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英語分からないと決めつけ

昨日、『アースクエイクバード』という映画について書きました。
あの映画のあるシーンを観て私がオーストラリアで体験した事を思い出したんです。

それは、主役の外国人女性が日本語を理解でき話せるけれど、刑事さんが話せないと決めつけて通訳をつけ、英語で話しかけたシーンです。

彼女がどう思ったかはさておき、日本で使われている言語は主に日本語です。彼女の日本語能力がどれほどかは初対面では分からないにせよ、外国人の見た目なだけで日本人ではないから日本語が出来ないと決めつけた状態で接するのは相手がどんな気持ちがするか?という事です。

これは、どんな国でもある事と思います。

相手の言語レベルがそんなに高くなければ、最初から言葉が分からない人として自分の国の言葉で話しかけられて区別される事は“優しい”とか“ありがたい”とか思われるかもしれませんし、それは否定しません。

しかしその逆で、住んでいる国に馴染もうと思い語学をある程度身につけている人だと最初からその国の言語で話せないと区別される事にはデメリットも大きい。そして、中には嫌な気分になる人もいるんだなと知りました。

それは、私がオーストラリアの病院で入院した時です。日本人と分かったら、「英語ができない人」とわかるような表示がベットの上にされました。
その結果、私は英語ができない外国人であるという思い込みから現地人とは違う適当な対応をされた事があります。

例えば、分からないだろうとの決めつけから何も文句は言わないだろうからと適当に処置をしようとする。話してても聞き取れないからとの決めつけで、私のケアに対する愚痴を大きな声で話すなどなど、、、キリがありませんでした。
これは、私が見た限りでは、現地人にはしていない事でした。

その表示を貼ろうとした時、私が雑談していた看護師さんが

「この子は英語で会話できるからおかしい。差別だからこれを外して欲しい」

と騒ぎました。

私は、不動産関連で契約の時に英語が第2外国語の契約者がいたら通訳をつけるように決まっている法律を見たことがあります。誤解が起こり易いと揉め事の原因になるので外国人は区別する旨が書いてありました。

だからその「英語ができない人」であるという表示がされた時、病院側の経営する上でのルールかもしれないと思い、その表示については詳しく聞かなかったし、あー。そんなものなんだな。と最初はその程度に冷めた感じの気分だった。

これは元々は、良いサービスを平等に提供するためだったかもしれない。(わたしには分からないですけど)
しかし、英語が出来る人か出来ない人かで大きく対応を言語以外の場所で変える人がいるとしたら配慮とは真逆になってしまいます。差別にさえ繋がる。

平等と差別は隣り合わせにもなりえてしまう。

言葉ができてもできなくても同様のサービスを提供できるようにそう表示したとしても、それを読んだ人がどんな人かで真逆の対応をする可能性もあるという事なんです。

英語ができなくても海外生活は大丈夫なんて、とてもじゃないけど私は言えません。
できればできるほど良いに決まっています。

そして最初からこの人は外国人だから言葉できないよねと決めつけられたような対応をされたら、嫌な感じがした方が自分が悪い目に合わないように自分を防衛できると思うんです

防衛本能が麻痺してないよねという意味。

残念ながら、どの国に行ったって良い人ばかりじゃないのでね…。

だから、外国語圏に行ってもその言語を出来なくても全く大丈夫みたいに開き直るのは良いとは思えません。リスク回避の意味で。

それに外国人だけじゃなくて残念ながら日本人の中でも現地語がわからない事を逆手にとって騙す人さえいる。

英語が出来ないアピールよりは、実際のレベルよりも出来る演技をした方がリスク回避の点では余程ましだし、英語力があればあるほどリスク回避ができるのは本当のことです。

英語が分からないとの決めつけは、その決めつけた人がどんな人かわからない以上はリスクはないとは言えない。

悪い経験にあった事がない人又は気付いていない人は、自国語で話しかけられて素直に無邪気に喜びます。

だけど、区別されてる時点でリスクが現地人よりも高くなっているのは事実だからそれは頭に入れるべきかなと…。
意識していろんなパターンを想定すれば危険を回避できるんです。

日本での話に戻します。外国人がそこにいて、すぐに日本語が出来ないと決めつける人は跡をたちません。

本当に出来ないのか知っていますか?

と私は問いたい。

私はオーストラリアでいろんな国出身の人に接したけど、レベルの差こそあれ日本語を知っている人には沢山会ってきました。
ネーティブレベルの人もいました。話せなくても聞き取れる人もいました。何個かフレーズを知ってて推測程度にはわかる人もいたし、、、
それはどこのルーツかもあまり関係ない感じもしますし…


滞在期間が長くいろいろ経験してきたり、ある程度頭がある人間や危機察知能力が高い人であれば日本語が出来ないと決めつけられたら、なんとなく不快な思いになるのではないかと思うんです。

そして、それに行動が伴えばもっと嫌な気分がするのではと思います。

だから私は日本で暮らしている今も、見た目外国人の人であっても最初は必ず日本語で声をかけています。
そして、困っていると分かったり向こうが日本語以外の言語で話し始めてから初めて対応を変えるようにしています。

決めつけるって、安易ですよ。
意識しないとそんな罠にはまりやすい。

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