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外国人が好きな日本語

外国人はこう! とわかった気になる人は多い。
そもそも主語が“外国人”とやけに大きいのが気になる事だけれど…。

外国人と言えども、本人に聞いてみなければ、話してみなければ分からない事も実際はとても多い。傾向はあるかもしれないが、そんなものは結構脆いものだろう。

その例として、「外国人が好きな日本語」というのがある。

相手にウケると思って、日本に少しばかり興味を持っていそうな外国人相手に、その人なりの基準を持って「外国人が好きな日本語」とやらを発する人がいる。
酷い人だと、日本という国をあまり知らずそこまで興味持ってない人にまでそういう事をしている人もいる。

もちろん、ウケたりする場合もあるし、当たる場合もあるが、ただ相手へ気を遣って面白がってるふりをしたりして後から変わった対応をされたと言う人もいるのは事実だ。

そもそも、相手にウケる語と相手軸で話すためには相手の情報や前提がいるはずだ。
それは、日本人であっても同じなはずであるけれど、案外そういう視点が抜け落ちている人は多い。

例として、日本に観光したというだけで、みんな“寿司”“おもてなし”“温泉” が好きなわけでもないし、日本独特の単語が好きなわけでもない。

観光地の一つとして楽しむためだけに訪れている人も多いし、興味の対象はその人に聞かなければ分からないのだ。

日本人が外国旅行をする際、その土地の歴史や文化に多大な興味を持ち深く勉強してから訪れるかというと全ての人がそういうわけでもないだろう。
その人の性格や目的によるし、何が楽しいと思うかでも違うはずだ。

ただ非日常体験をしたい。気分を高揚させたい。

これも立派な理由として成り立ち自由だ。

歴史に興味があり史跡巡りをしたい人に現代のスリル体験を話しても変だし、ただ景色を眺めてボーッとしたい人にスポーツを勧めても的外れ。

日本のアニメやゲームを収集する目的の人に、旅館とそのおもてなしについて触れても的外れで、カプセルホテルやコンビニに行きたいだけの可能性もあるだろう。そのコンビネーションの場合もあるし、聞いてみなけりゃ分からない。

私が言いたいのは、それぞれみんな違うから決めつけるのは変だという事だけだ。それは押し付けになってしまう場合もあるだろう。

それだから、「外国人が好きな日本語」を定義している人はどれだけ異様な事をしているのだろうという事。

「Bushi」「Samurai」「Sushi」「Omotenashi」

と聞いても、

は!?何それ!?興味ないんだけど。。

と思う人はいるはずだし、逆に好きな人もいる。

「Ninja」「Nintendo」「Manga」「Ramen」

が好きな人もいれば、どうでも良い人もいるだろう。

映画オタクで日本映画を知っていれば、「Yakuza」「Kurosawa」が好きな可能性は上がる。

いや、「Totoro」かもしれないけど笑

それ全てがどうでもいい。

ただスキーがしたい。

とかそんな理由で日本を訪れた事があり、「日本語」や「文化」自体に興味がない人もいる。別にそれでも良いはずだ。
そもそも日本人である事を理由に関わりたいと思っていない人も多いはずだ。

「外国人が好きな日本語」

を決めつけている時点で考えがとても狭いと思う。

そんなもの、会ってすぐの外国人に対して分かるはずはないんだから…。

目の前の人はこう思うはずだから、こう言おう。と決めつけていないだろうか…。

その人に対し、前提や情報はあるだろうか?

それが予測だとしたら、外している可能性も考慮せねばおかしい。

決めつけなんてとんでもない。そう思う。

ま、気づいている人もいて欲しいと思うが、これが外国人限定って話でもないけれど……

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