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一足飛びに行きたがるから

お久しぶりのnote。最近のもやもやの正体が少し見えてきたので、久しぶりに書いてみることにした。
最近のわたしはというと、仕事に対するモチベーションがコロコロと変わる毎日。「よし、がんばろう!」「これ楽しいぞ…!」と思う日もあれば、「なんでわたし今ここにいるんだろう」「何のためにここで働いてるんだろう」って思う日もある。変わらずヨガは好きだしそこはブレてないんだけど、この会社で働き続けたとして何が生まれるんだろう、って。わたしの人生にどんな豊かさがもたらされるんだろう、って。

わたしは、もっとヨガを深めたい。もっとお客様にとって、分かりやすくて楽しいヨガを共にしたい。ヨガを通して、自分のことを大事に思えたり、癒されたりするような時間を共有したい。それが、今のレッスンではやりきれてない(と自分では思ってる)のが、もどかしいし悔しい。それに、ヨガのことを話したいんだけど物販とか他のことも話さないといけなくて、それが楽しいときもあるけど本質的じゃないな〜って思うときもある。

そう、たぶんわたしは本質を求めてる。わたしにとって、目の前のお客様にとって、本質的に必要なものは何だろうって。物販もお客様のサポートになるのは身をもって実感しているけれど、わたしにはその前にもっとサポートできることがある。何のために、コーチングを学んでるんだ。シータヒーリングもやったんだ。NVCだって学んだじゃないか。今目の前で関わってくれてる人たちに対してそれを生かさなくて、いつ生かすんだ。そんな声が聴こえてくる。

表面的になんて、いくらでも関われる。でもそうじゃなくて、わたしは人生まるごとで関わりたいんだ。しんどいことがあるなら、話を聴きたいし力になりたい。なんかな〜ってもやもやしてるなら、それをスッキリするサポートがしたい。
もしかしたら、1時間のレッスンの中で、それは解消されてるのかもしれない。でも受け取りきれないから、感じ取れないから、コミュニケーションを取りたい。その人の心の声を、聴きたい。

そう思うと、今の環境も悪くないのかもしれない。今の環境では、毎日たくさんのお客様が来る。集客をがんばらなくても、来てくれる。わたしは、そのお客様一人一人の人生まるごとに、関わりたい。表面的にではなくて、その質感や手触りも確かめながら。
これはわたしのエゴなんだとは思う。ヨガは、そんなエゴすらも手放して、ただただ今のありのままの自分を受け入れるプロセスだと思っているけれど、レッスンの中でわたしはそれがどれだけできているのだろうか。発する言葉一つ一つに、魂を込めてレッスンができているだろうか。伝えたいことを、しっかり自分の言葉で届けられているだろうか。

わたしは、「与えられたことをこなす」ことは、つまらないと思う。退屈する。だから最近も、全然ワクワクしなかったし「もっと自由に、ワクワクすることをしたい!」と思っていた。でも、この環境の中でできることは、まだまだありそうだ。
わたしのやりたいこと、できること、これまで学んできたことや今深めたいことを織り交ぜながら、わたしの在り方すべてで、体現する。発する言葉一つ一つに魂を込めて、目の前のお客様に心を込めて伝える。わたし自身がわたし自身に、大いなる存在に、すべてなるものの創造主に、繋がれてなかったんだな。だから、発する言葉も腑に落ちなくて、もどかしかった。環境が原因じゃなくて、今のわたしの在り方が原因だったんだ。

目の前のお客様は、1時間のために、いろんな予定を調整してレッスンに来てくれる。人生のための、1時間。その1時間にどれだけ焦点を当てて、全力を尽くせるか。
その1時間に合わせて、自分をフラットな状態に持っていくこと。グラウンディングして整えること。わたしがわたしに、繋がり続けること。今のわたしを最大限に受け入れて、最高最善だと捉え続けること。この世界を、起こる出来事を、心から信頼すること。その一つ一つなんだなあ。当たり前のようで、最近忘れてた。

納得して、悔いなく今の環境で十分にやり切れたとき、スッパリと辞めて独立する。それはもう決めたこと。でもそれを許したとき、一足飛びにそこに行きたがるのがわたしの性質。ワクワクするほうに、楽しそうなほうに、一足飛びで行きたがる。これはくり返してるパターンのひとつ。階段で行く方法も学べるよ。土台固めがまだできてないよ。まだまだ、やれることあるよ。
早ければ2月末。それまでひとまず今は、今のわたしにできることを精一杯やろう。この世界に、わたしの想いを、表現し続けよう。

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