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余命10年を観た、そしたら溢れに溢れた

あと10 年しか生きられないとしたら、あなたは何をしますか。——あと10年しか生きられないと宣告されたのならば、あなたは次の瞬間、何をしますか。(原作「余命10年」小坂流加さん著より)

私はこの小説が大好きで何度も読んだ。6回は読んだ。何故か手が伸びて買ったのは高3の冬で、初めて読んだのはその1年後の大学1回生の頃。読み始めたら止まらなくて、ただひたすらに目を文から文へと移して、ページを捲ってた。知らない間に入り込んでしまっていて、知らない間に泣いてた。それも声が出るほど、辛くて苦しくて息が詰まるほどに。映画化が決まった時、1人でも絶対に見に行かなくちゃと思って、また何度も読み返して、日記に感想を毎回書いたりして。何度読んでもあるページからあるページまでの数ページ分の紙が読む度に濡れて乾いてを繰り返してカピカピになってる。その度に溢れたものが読む邪魔をしてボヤけてしっかり文字が見えなくなる。映画でも同じところで泣いた。大泣きした。

死という現実、それを目の当たりにした茉莉の心情が空気の音に表れて始まる。茉莉は残された時間が10年と知って、失う時に辛いものを敢えて作らないように決めるの。家族はどうにもできないけど、恋人を。終わりがわかってる恋なんてしないって。そんな茉莉が人生に迷って自分を失いかけた和人に出会って、2人の人生(命)が交ざったときたまらなく胸に込み上げるもので溢れかえる。幸せも悲しいも楽しいも苦しいも愛しいも辛いも恋しいも。全てがお互いの糧になって「生きる」ことが輝きだす。目の前にあることに対して無邪気に生活するということ。私たちにはあまりにも当たり前になっているけど、友達や家族、恋人とただ一緒に居れるだけで、その存在が在るだけでどれだけ幸せなことなのか。ただ息をして、ここに居れることが実はどれだけ愛しくて儚いことなのか。それを気づかせてくれる人に出会うことは偶然でありながら奇跡で、その人が私たちにとってどんな存在であれ、凄いことなのか。フィクションだからこそ私たちにそれらが徐々に染み込んできて感情が膨れ上がって零れる。茉莉が病を発症して決意したのは20歳の頃。私は今21歳。同世代の方たちに観て欲しい。読んで欲しい。どっちが先でもいいし、映画を観た何年後に読んだっていいからとにかく感じて欲しい。感情を、溢れさせて欲しい。

撮影期間は1年で準備期間を含めるとそれ以上。原作者である小坂流加さんのご親族にもお会いして映画の方向性や構成を考えて撮影したそう。だから、小説とは違う部分が何ヵ所かあるけど、より、リアルを、茉莉(小坂流加さん)が生きた証になってたし、より強さと繊細さを感じられた。菜奈ちゃんが茉莉を、坂口さんが和くんを演じてくれて本当に良かった。本当に、素晴らしかった。2人の表情や声や動きに何度も揺さぶられたし引き寄せられた。RADWIMPSさんが歌う「うるうびと」は、野田さんが何度も作品を観て悩んで、最後には自身も涙が溢れたそう。和人目線で書かれた詩はたまらなく響いてきて、優しく刺さる。

今、予告を改めて見ても、買ったパンフレットを読んでも、改めて小説を読んでも、写真を見ても一つ一つのシーンが鮮明に浮き上がってきてそれだけで泣けてしまう。そこにはいろんな涙がある。特にハンカチを目元から離せなかったシーンは最後の回想のシーン。希望と願望とこうなれば、、っていう茉莉の想いが想像になって茉莉の中で形になる。あぁ、今を一生懸命に生きなきゃって幸せに思いながらも苦しくなる。淡いね。

生きる意味を教えてくれる大好きな作品。きっと私は2回目を観に行く。2回目はなおさら最初から泣いてしまうかもしれない。

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