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読書録①「私はいま自由なの?」

ちょっと前に読んだ本が脳をフル回転させてくる面白さで、脳みそが踊っていたのでその時に考えたことを忘れないように残したいなと思って読書録を書いてみました。

「私はいま自由なの?男女平等世界一の国ノルウェーが直面した現実」 リン・スタルスベルグ著

本の表紙


ジェンダー先進国とされるノルウェー。
だが、そこに住む女性たちは幸福なのか。
労働問題を扱うジャーナリストが、「先進国」ができるまでの過程を点検し、仕事と家事、両方の負担に押しつぶされそうなノルウェー女性たちの肉声を拾い集める。
「ジェンダーギャップ」を埋めただけでは解決しない、日本もいずれ直面する本質的な課題を浮かび上がらせる渾身のレポート。

柏書房

読んだ本は、「私はいま自由なの?男女平等世界一の国ノルウェーが直面した現実」という本。
北欧は「高福祉社会」として有名で、「ジェンダー平等先進国」とも呼ばれていて、日本における北欧のイメージとして強いのは「幸せな国」というものだと思う。

この本がフォーカスしているのは、そんな幸せの理由の1つでもある「男女平等」の側面。
ノルウェーは女性の就業率が高い、トップの座につく女性もいる。男性も育休をとって育児・家事に参加するし、子どもが1歳になれば保育園に預けて働けばよい。女性がキャリアと家庭を両立しやすい社会。

でも、本当にそうなの?それでいいの?私たちは本当に自由なの?
と、「恵まれた社会」を改めて問い直すような内容。

本文に入る前にひとこと…
この本でいわれる「家庭」は、主に伝統的核家族を想定していて、父、母、子どもたちという家族構成。そこに当てはまらない家庭についても言及はあったけれど、メインの議論からは外れている印象。また、「家庭」と「幸せ」を結びつけすぎかなという印象もある。ステレオタイプ的な「女性らしさ」の強調が目立つ部分は、個人的には同意できない部分だけれど、筆者の主張のためには必要な論の組み立て方だったのかなと思っている。

この本は主にノルウェーのフェミニズムの歴史や社会制度の歴史を振り返りながら、いまのノルウェー社会がどういう思想の上に出来上がってきたのかを分析し問い直すけれど、わたし自身がフェミニズムにもノルウェーの社会制度についてもあまり詳しくないので、100%は理解できていません。なので、そういう前提で読んでもらえると心が軽いです。

葛藤の責任

この本において、筆者が繰り返し言及していたのが「もっと家で子どもと過ごしたい」「家事をしたい」と思う女性の存在だった。
ノルウェーは「世界一幸せで男女平等」。しかし、ケア労働のほとんどは女性が担っており、働く女性の大半は時短労働をしているそうだ。そしてその中には、短時間でも働かなくては生きていけないから働いている人も多い。
でも、ノルウェーのような「恵まれている」社会にいながら「もっと家で子どもと過ごしたい」と願うことは「前時代的」で「反フェミニズム」だと捉えられてしまう。

「家にいて子どもや家族と過ごしたい」「自分で家事や育児をしたい」という気持ちと、「キャリアを積みたい」「働かなくては」という気持ちの間で生まれる葛藤。それは果たして女性の責任なのだろうか。

ノルウェーの「ワークフェア」という制度を初めて知ったのだが、
Work=労働と、Welfare=福祉を掛け合わせた言葉で、社会保障給付の代わりに、受給者に就労を義務付ける制度だそうだ。言い換えると、「フルタイムで働かないものには、諸々の手当てを受ける権利がない」ということ。
ワークフェアという制度は、「働かない人は意欲がない。人は怠惰だから、鞭が必要だ。」という考えに立脚していると筆者は言う。
フルタイムの仕事をしない=社会福祉を失う」社会において、それでも働かずに専業主婦(夫)を選ぶこと、フリーランスなどのより融通の効く働き方を選ぶことは簡単ではないだろう。

ぐずる子どもをどうにか着替えさせ、保育園に連れていき、ギリギリに出勤する。退勤後は急いで子どもを迎えに行って、ご飯を食べさせ、寝かしつける。そんな生活、大人だって疲れるのだから、子どもにとってはなおさらきつい。「保育園に預けておけば安心」と言うけれど、保育の質は不十分で、子どもは嫌でも1日の大半を保育園で過ごすしかなく、1日が終わる頃には疲れ果てている。それが子どもにとっていいことだとは思えないけれど、それでも働かなければならないから仕方がない。
この葛藤は果たして、親たちの責任なのだろうか。

生活費を賄うため、福祉を受ける権利を得るために、賃労働とケア労働という二重労働をするしかない。幼い子どもを長時間保育園に置いておくしかない。それは自由な選択ではなく、選ばされた選択肢ではないのか。

(人はいつでも自由で、いつまでも自由ではない気がしているので、そもそもの「自由」をどう捉えればいうのもよくわからないですが、私の場合「自由」は何にも縛られず、強制されず、指図されず、遠慮せず、自分の自主的な決定ができる状態というようなイメージがあります。)

「自由」が抑圧するもの

私たちは、今までになく自由な時代を生きている。
男性が育児休暇を取得し、女性がリーダーになる時代。
性別に関係なく、学ぶ機会が与えられ、キャリアと家庭を両立させることができる。私たちは自由だ。

というのは、本当だろうか。
二重労働により1人ひとりの負担は増え、カバーしきれない家事労働を担うために祖父母が手伝ったり、ハウスキーパーが雇われたりする。
キャリアと家庭を両立させることができるのは、ケア労働をアウトソースする余裕があるか、サポートシステムへのアクセスがしやすい状況にある人。
誰もが頑張れば何でもできるわけでは無い。
それでも社会が「私たちは自由で、何でもできる」というメッセージを発し続ける理由は何だろう?

「自由」になった社会で、人々の苦しみは自己責任にされやすい。
「自分で選んだことだ」「望めば方法はあったはずだ」「やりくりが下手なのが悪い」「能力が低いのが悪い」
だけど、その状況に至るまでのどれだけの選択が本当に「自由」な選択だったのだろう。

選択肢が増えても、制度が整っても、そこに至るまでの道のりがうまく整備されていなければ、その「自由」を得られる人は限定される。だけど、その上辺だけの「自由」は、そこからこぼれ落ちてしまった人を見えなくしてしまう。誰かを踏みつけ続けた先に用意された「自由」は、結局誰かを踏みつけた上にしか成り立っていないので、聞かれてこなかった声は聞かれないまま、都合の悪いものは見えないようにしたままなのだと思う。だから、すこし悲しい気もするけれど、世の中に溢れるきれいな、キラキラした言葉を簡単に信じてはいけないのかもしれない。

「神話」を疑うこと

この本を気に入った大きな理由の1つが、自分の周りにあふれている、北欧についての「幸せ神話」を疑うスペースと言葉をくれたこと。

日本にいると北欧は「幸せな国」として語られることが多く、入ってくる情報はのんびりして自由で平和な毎日を想像させる。だけど、わたしにはそれが不思議だった。
幸せは1人ひとり違うので、調査で本当に「幸福度」を測れているのかよくわからないと思っていたし、北欧の良いところばかりを語る人たちが見たいものだけを見ているようで違和感があった。でも、本当にそんなに素敵な社会があるのなら、そこに住んでいる人がどんな感覚で、どんな毎日を生きているのか見てみたいと思った。そして(もちろん他にも複数の理由があったけれど)、わたしはデンマークへ留学することにした。

実際に行ってみて、「北欧いいよね」と思うし、デンマークの好きなところを沢山挙げられる。しかし、短い期間の滞在の中で理解できたことは、そんな社会にも課題は沢山あるということだった。

世界一幸せな国」で友達と日々語らっていたのは「幸せとはなんだろう」「どうやったら幸せに生きられるんだろう」という話だった。「こんな国出ていきたい」という言葉も聞いた。それも、ジェンダー不平等や社会制度が理由でだった。そして、そんな社会の中で自分がどう「居ること」ができるのかということについて悩んでいる人も多かった。

現地に住む日本人のブログで読んだ人種差別の経験、デンマークでクラスメイトたちが一生懸命声を上げていた移民受け入れに関する問題、メンタルヘルスに関すること、「ジェンダー先進国」で生まれ育った友達が受けてきたジェンダーやセクシュアリティを理由とする偏見や差別や被害の話…。
そんなのは「幸せな北欧」の物語からは排除されてわたし達の元に届く。

社会を変えていきたいと思った時、目を向けなければならないのは、理想的な制度や環境を整えてきた社会の素晴らしさだけではなく、その素晴らしいはずの社会で生じ続けている問題の方だと強く思う。一度描いた想像を見直すことなく追いかけ続けても、同じ壁にぶち当たるだけだから。

この本で何度も繰り返された「私たちは恵まれているんだから」「世界一幸せな国なんだから」「男女平等の国なんだから」という言葉。わたしにはその言葉が、日常の中の小さな、しかし確実に存在している、人々の辛さや疑問を押し殺す言葉になってしまっているように思えた。
誰かや何かをあまりにも理想化し称賛しすぎることは、時にその対象から声を奪い、抑圧することになってしまうのではないかと思う。そして、そこに生じている歪みを無視しながら、それでもそんなユートピアの虚像にすがり続けることで、わたしは向き合わねばならない問題から目を背けてはいないだろうか。

自分たちが進もうとしている道は、本当に自由や平等につながっているのだろうか。そもそも、自分が理想だと考えてきたものは、本当に理想なのだろうか。そんなことを考え続けるのは結構辛いけれど、立ち止まって周りを見渡したり、他者の声を聴いたりすることができなければ、結局どこかの誰かに苦しみを押しつけ直すだけなのかもしれないと思う。

おわり

このうまくまとまらない文章では、この本の面白さの10分の1も伝わらないと思うけれど、ジェンダー、男女平等、北欧、どれかが引っ掛かる人にとっては読んでみて面白い本なのではないかなと思います。

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