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理由はなんとなく、それだけで十分

先日読んだ心理学の本に続き、心理セラピストが教える自分を変える「魔法の9色」を読み終えた。


色の力を使って、自分の心の状態を読み取ったり、モヤモヤの元となる心のブロックを癒す方法を教えてくれる本なのだが、私は主題より、著者の意識や心理に関する説明がわかりやすく、そちらに夢中になった。



例えば、感情には反応する感情(emotion)と湧き上がる感情(feeling)の2種類があるという。


前者は私たちが認識できる顕在意識*の中にあり、感情を抱いた対象と理由が明確。後者は自分では気づけない潜在意識*の中にあって、「なんとなく(惹かれる・惹かれない)」と理由が説明出来ないものをいう。


*顕在意識と潜在意識
私たちの意識は、顕在意識と潜在意識で構成されている。前者は自覚ができるが、後者は出来ない。意識の約90%は潜在意識が占めている。


抱いた感情がネガティブな場合、それはブロックと呼ばれる心や行動にブレーキをかけてしまうもので、潜在意識下に原因があれば、その理由は自覚できない。



一口に「感情」と言っても、出どころが違うとは初耳だ。


今まで「なんとなく(feeling)」は掴みどころがなく、信頼を置ききれないこともあったけれど、理由が説明できる感情(emotion)と居場所が違うだけだったとは(時々疑ってごめんよ)。


私たちは多くの場合、理由を求めたがるし、それが論理的でないと納得感を抱きづらい傾向にある気がするが、理由がうまく言語化出来ないからと言って、それが間違っているわけではないことに納得がいった。


疑うこともあれど、私が何かをやりたいと思うとき、「なんとなく良い気がする(だからやってみよう!)」がきっかけであることは多く、そこに上手く説明出来る理由はついてこない。


人に説明しなければならないときはなんとも厄介で、「なんでそこに行くことにしたのか?」「それをすることにしたのか?」などと理由を聞かれる度に、納得しきらない相手の顔を見るのが常である。


「私しか納得感を得ない回答で、すみませんね。私だってよくわからないときが多々ありますよ。」とバツの悪さを感じることも多かったけれど、感情の出どころを知って、「私は今のままで良いんだ」とホッとした。


むしろ、「なんとなく」ほど大事な感覚はないのではと、自己肯定感の高まりさえ感じている。湧き上がる感情(feeling)は、直感型の私にとって、心強い相棒ではないか。


なぜだか、目の前のことは全て理解することができ、説明もつくと思いがちだが、その考え方の方がおかしいのかもしれない。


理由が言語化できる事柄はときに、「こっちを選んだら、周りに認めてもらえるかも」、「親が、パートナーが、子供が喜んでくれそう」などと、他人軸からの選択になっていることもあると思う(何を優先するかであって、それもOKなのだが)。


その点「本当はこうしたい」という、自分のための欲求が色濃く反映されるのは、「なんとなく」の方なのかもしれない。


明確な理由のない感情に従って行動するのは、勇気がいる。でも、従い続けると、自己信頼も高まるように思う。


どんなときも自分を信じる力。目の前の道がどこに続いているのか見えないとき、それでもこの先に明るい未来があるんだと信じられる力。


「なんとなく」を信じて行動し続けると、その力は段々と養われていくように思う。


「今回も、わたしはきっと大丈夫!」そんな信念とともに、思い切って自分のワクワクする対象に飛び込んでいけたら、どんなに清々しいだろう。


こっちであっているのか良くわからないと思いながらも、湧き上がる感情(feeling)は潜在意識からのゴーサインと思い、一歩前に踏み出し続けられる自分でありたい!(と自分に言い聞かせる)。


あなたは何に対して、なんとなく良いなと感じるだろう。ぜひ見つけて、最初の一歩を踏み出してみてほしい。


ちょっとこわいと思うとき、それもまた潜在意識からのゴーサインだろうと思う。





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