旅をする意味|明日もきのうも遠く離れている
2019年12月、私は半年先の未来を見ていた。2020年7月までの旅行の計画をたてていたのだ。旅行好きの人ならきっと理解してくれるだろう。旅人にとって半年以上先の旅行の計画をたてることが普通であること。
そして2020年3月、私の未来は白紙にもどった。
去年、20府県を旅した私は、このご時世を生きるのがとてもつらい。残念なことに私はここ数週間、人生でこれまでないほど落ちこんだ。生きることが耐え難い日々を送っている。これは事実なので仕方がない。私は今、生きることがつらいのだ。
そもそも私はなんでこんなにも旅できないことにストレスを感じているのか理解することで、心を整理し、自分を救えるんじゃないかと思った。
でも文章を書く気力もない。どうしたものか。
そんなときちょうどテレビをなんの気もなく見ていたら、
人は自分自身の悩みをかかえるのではなく、その悩みを持っている人は自分以外にもいると考え、その人を救ってあげたいと思うことが大切だ。
とそんなようなことを耳にした。
なので、家から出ることができず同じように苦しんでいる友人を救う気持ちで、私にとって旅がどんなものだったのか整理していく。
旅は延命措置
人はいつか死ぬ。それははじめからわかっている。
私にとって旅は延命措置だった。私はいつだって何ヶ月も先の未来に「きちんと」生きていると信じ、そして一緒に旅する仲間のことも同じく「生きている」と信じていた。
いや正しくは、今から3ヶ月後、あの場所に、あなたと行くために、私はその日まで生きなければいけない、と強く願った。
明日交通事故にあうかもしれないし、突然死だってぜんぜんある。明日も生きてる保証はないし、それなのに当たり前みたいな顔して旅しようとしていた。
でも旅の計画があれば、たとえ日常がどんなにひどくても、生きたいと思った。
私にとっては、少し先の未来を生きる理由が「旅」だっただけで、きっと誰かにとって、それは友達と会うことだったり、アイドルのコンサートだったり、何かのイベントだったのかもしれない。
人は無制限に生きれるような気がしているが、私も、誰だって、平等にいつか死ぬ。
それでも私にとって旅はほんの少し先の未来まで生きてる約束だったし、「生きたい」と駆り立てる理由だった。
旅は「しらない自分」を与えてくれる
私は自信のある人に憧れる。
私はちょっと臆病で慎重で、そして怖がりだ。
それなのに、一人で海外旅行に行くことだってある。アジアの少し危険な場所にだって。
旅は精神的にも、物理的にも道に迷う。そんなことを繰り返していると、意外な「じぶん」に出会ったりする。何年もずっと私は私をやっているのに、時々知らない自分に気づく。
大学生のある時まで、私は飛行機に乗れなかった。今でも飛行機が空を飛ぶのかにわかに信じがたいし、なるべく空は飛びたくないんだけど、それでもあるきっかけで私は旅をしまくるようになった。
「自分探しの旅」なんて言う人がいるけど、正直旅先に本当の自分はいない。むしろあったら怖い。あれはたぶん、日常や習慣の中では気づけない眠っている自分を、旅という非日常的な刺激が、しらない自分を目覚めさせるきっかけになっているんだと思う。
私はたくさんの場所を訪れてきた。それは観光地だけじゃない。
異国の文化を肌で感じ、多くの人に出会い、目を背けたくなるほどの「現実」をたくさん目にした。
旅は人を成長させる。知らない世界を知ること、それはここにいるだけでは出会えない自分を与えてくれる。
日本にいるときだったら絶対に食べない料理、絶対に着ない服、それに絶対に仲良くなることのないような人と仲良くなったり。
道に迷い、新しい自分を発見する。
旅は私にとって非日常であり、現実と明確な境界線がある。
旅先の私は、普段の私を手放し、新しい自分を発見する期間だった。強く、着飾る必要もない私でいられた。
旅は心を豊かにするもの
例えば、世界中の誰とでもいつでも話すことができる。
例えば、世界遺産や芸術作品を目にすることができる。
文明の進歩は、できないを可能にしてきた。
けれど、心の豊かさっていうのは「便利」とか「簡単」とか、そういうことだけじゃなくって、もっと泥くさいものから与えられることもあると私は思っている。
人生において、自分の足で、自分の目で、直接その場で感じること、その意味の大切さを知っている。
最近、『あつまれどうぶつの森』が流行っているらしい。会社の同僚が「無人島生活にハマっている」と言っていた。
でも私は、リアル世界で実際に無人島生活をしたことがある。たぶん、日の出と日の入りとともに生活したあの感覚を知っている限り、私はこのゲームを楽しめない。
私は人以外の写真をよく撮る。同じようにたくさんの人がカメラを撮り、私たちは好きなものをいろんな人の視点で見ることができるようになった。だけど写真は「切り取られなかった世界」が明確に存在する。そして写真に映らなかったもののほうが、実は心に残ったりする。
独特の匂いとか、灼熱の暑さとか、信じられないほどの寒さとか。格好つけて撮られた写真には写らない本当の魅力。
正直体験しなくてもいいことばっかりなんだけど、ぜんぶやっぱり自分の心のパワーになっている。
あとになって思い出すのも、結局そういうことばっか。
朝3時に起きて縄文杉を見に行ったり、ジンベイザメと一緒に泳いだ海とか。
天国があるならきっとこんな場所であって欲しいと思った異国の島や、流れ星に本気で手を伸ばした星空とか。
そういうひとつひとつが私の心のエネルギーになっていた。
私の日常生活は、心を失ったみたいに生きている状態にもともと近かったのかもしれない。だから旅というアイテムは私に人間らしさを取り戻してくれていた。
私は知らない世界がたくさんあると知っていて、それをディズニーの世界に出てくるお姫様みたいにお城のなかでじっとは待っていられない。
世界は広く、そして挑戦者に寛容だった。
おわりに | 明日もきのうも遠く離れている
ムーミンに出てくる永遠の旅人スナフキンは言う。
明日もきのうも遠く離れている
たぶんだけど、過去も未来も、同じだけどうしようもない。なにをしても昨日のことは変わらないし、正直明日のこともよくわからない。
あの時こうしていたらという過去と、消えてしまった未来。双方に板挟みされ、私達はきっと不安でいる。
約2ヶ月ほど、私は家に閉じこもっている。狂いそうな、いやすでに狂いながら、でも早く私の知っている日常に戻ってほしくて、私は外の世界を遮断した。
『今は、大切だから距離をとろう。』そういう時間なんだと思って言い聞かせている。
私が日常を失ったように誰もが日常を失ったはず。
いつになるかはわからないけど、時間もお金もなにもかも気にしないで、行きたい場所に行きたいだけ満足するまで旅しちゃう、そんな旅をしよう。
旅をする予定も今はない。けど、今日も生きなければいけないと思えるのは、また一緒に思い出を作る、そんな旅が待ってると信じてるからだ。旅できる保証も約束もないけど、生きると約束して欲しいし、また絶対に会おう。
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