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見えないけれど、きっとある

「ママ、人間の受精卵ってどれくらいの大きさか知ってる?」
小学2年生の次女がクイズを出してきた。

我が家はコロナ禍のstay homeの時期に性教育に取り掛かった。「外に出られず自然に会話が増える今がチャンス!」と考えたからだ。長女が小1、次女が年中の時だった。その時に買った子ども向けの本を、そういえば最近彼女はよく読んでいる。

性についての会話をオープンに、日常にちりばめたい私は、「しめしめ」と思いつつ会話を膨らませた。すると、彼女の知識は私よりもずっと正確だった。「胎盤はママから赤ちゃんに栄養を届けるときに、いらないものを濾してきれいにする役割があるんだよ」「羊水はお水や赤ちゃんのおしっこでできていて、赤ちゃんをぐるっと包んで周りの衝撃から赤ちゃんを守ってくれているんだよ」といった具合に説明してくれる。ちなみに、受精卵の大きさは「校庭の砂粒くらい」だそうだ。
「よく知ってるね。本にそんなことまで詳しく書いてあった?」と尋ねると、助産師さんに教えてもらったのだという。

そうだ。1週間ほど前に、学校に助産師さんを招いて、命についての授業があったと言っていた。改めてよくよく聞いてみると、クラスメイトのAくんが赤ちゃん役、Bちゃんは助産師さん役で、みんなでその出産を見守ったこと。無事に産まれてブランケットに包まれたAくんが思わず、「あったか~い!」と口にしていたこと。そんな様子を話してくれた。

それをきっかけに、リビングの本棚にありながら風景と化していた本が、娘のアンテナに引っかかるようになり、それを読みながら知識を深めている今日この頃、というわけだ。



先日、私はライター・さとゆみさんのライティング講座に参加した。さとゆみさんは「犯人しか知らない言葉を大切にするように」と言った。その場にいる人しか知らない情報や描写をちりばめ、自らの(あるいは誰かの)体験を言葉で映像化させること。追体験させたエピソードの奥底にあるものが、読者の過去の経験とつながり、共感が生まれるのだ、と。

あの時さとゆみさんが教えてくれたことと、教壇に立ってくれた助産師さんの姿が頭の中で重なる。当然、娘には産まれた瞬間の記憶なんてない。それでも、助産師さんはわずか45分間で、娘がお腹の中で育ったかつての時間やこの世界に生まれた瞬間を掘り起こし、輪郭を与えてくれた。どんな方法なら子どもたちに実感を伴って理解してもらえるか、心を砕いて準備を重ねてくれたのだろう。たくさんの出産現場に立ち会ったプロならではの体験やシーンを、丁寧に伝えてくれたのだろう。まさに「犯人しか知らない言葉」をたっぷりと受け渡してくれたに違いない。

娘に「プロのお話って本当に面白いよね。ママも一緒に聞きたかったな」と声をかけながら、こんな我が子の様子を今すぐ助産師さんに見せられたらいいのにと思った。子どもの心に、新たな興味と知識の種が確かに蒔かれたこと。あなたの仕事の爪痕がここにしっかりと残ったこと。それを伝えたくて、でもそうできないことを、もどかしく思った。それと同時に、ふと頭をよぎったのは「もしかしたら、実は私も自分の知らない場所で、こんな風に誰かの心に爪痕を残すことができているのかもしれない」という気づきだった。

誰かから面と向かって「ありがとう」と言われたり、手掛けた原稿の感想をもらえたりすると、私はその日眠りにつくまで上機嫌だ。家族には優しくなれるし、ふとした瞬間に受け取った言葉を反芻してはついにやけてしまう。
でも、仕事相手や読者からの反応がたとえ見えなかったとしても。「見えない」ことと「ない」ことは違うはずだ。それにもかかわらず、「見えない」ものは「ない」と決めつけている気がする。それはきっと、自分の文章に、目線に、自信がないから。

これから、もっともっとうまく書けるようになりたいと思う。私の唯一の経験を、私だけが知る言葉で丁寧に描きながら、いい文章を手渡せるようになりたいと思う。自分の仕事が見えないところで花開いていることを、疑うことなく信じられるようになりたいと思う。


ちなみに、私が参加したのは「さとゆみライティングゼミ東京道場」。こちらの様子や振り返りは、また別の機会に改めて。

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