Miho Woodgate(海外女性経営者、スモールビジネス専門コンサルタントxコーチ)

バリ島のウブドでカフェを経営。 スモールビジネス専門のステージアップコンサルティングと…

Miho Woodgate(海外女性経営者、スモールビジネス専門コンサルタントxコーチ)

バリ島のウブドでカフェを経営。 スモールビジネス専門のステージアップコンサルティングとコーチングを提供。 30代半ばに恵まれた会社員生活を手放し、海外へ移住して20年。オーストラリア、ポルトガル、インドネシアに住んだ。 駐在ではなく、住みたい場所を自分で決めて自力移住した。

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  • 一粒で何度でも美味しい人生を!

    ・今の働き方に違和感を感じている人 ・新しいキャリアにチャレンジしたいけど、どこから始めればいいのかわからない人 ・起業・副業に興味があるけど、勇気がなくて踏み出せない人  こんな方の参考になればと思い、私のリアルな人生ストーリーをご紹介します。 30代半ばまでごく普通の会社員だった私。今はバリ島ウブドでカフェの経営と、ビジネス・コンサルティングとコーチングを仕事にして、会社員時代とはまったく違うライフスタイルで暮らしています。 まるで別の人の人生を生きているようです。 コンフォートゾーン脱出の秘訣なども織り交ぜながら、綴りますので、どうぞお楽しみに!

最近の記事

【My Story#17】まさかのバリ島移住

2008年11月、ついに家の改築工事が終わり、それを祝って、家族3人でバリ島旅行に行きました。 最初の1週間はウブドに滞在したのですが、初日から、夫はすっかりウブドに魅了されてしまいました。ウブドはビーチエリアから小一時間ほど内陸に入った、のどかな田園エリアです。標高が高いので比較的涼しく、緑が濃く、景色の素晴らしい場所がたくさんあります。また、バリの伝統芸術・芸能の中心地で、バリ絵画、バリ舞踊、ガムラン音楽などでも有名で、なんとも言えない雰囲気があるのです。 社交的な夫

    • 【My Story#16】下宿屋のおかみさん

      夫と共同購入した家は、築45年のこじんまりした中古住宅でした。広い裏庭には、ピザ窯の小屋がありました。この家を1960年代に建てたのは、ポルトガルからの移民家族で、毎週日曜日になると、奥さんが薪でパンを焼き、いい匂いが通りにあふれていたそうです。 夫は、大工仕事が大好きで、セミプロ級の腕をもっていました。古い家を、自分で少しずつ改築し、とても素敵な3LDKに生まれ変わらせました。ハウジング専門雑誌に、写真入りで紹介されたくらいです。 いつまでたっても、仕事を始めない私に業

      • 【My Story#15】本当の自由はとても不自由

        思春期の頃から、親の敷いたレールの上に乗る人生なんてありえない。私は私の人生を自由に生きるんだと思っていました。 会社でもそれなりに評価され、行動力がある方だと思っていました。でも、大学院を修了して、完全に自由になってみて、これが大いなる勘違いだったということがわかりました。 よく考えてみれば、会社員時代は何をするべきかは会社が決めました。大学では先生が決めました。私は、それを達成する方法を考えて、実行するのが得意だっただけだったのです。  何をするのか、なぜするのか、い

        • 【My Story#14】会社員マインド vs 起業家マインド

          私と夫は、生まれ育った国と文化が違うということ以外にも、大きな違いがありました。 それは、お金に関する考え方です。 彼は20年来のフリーランスのフォトグラファーで、会社員経験はほぼありません。また、夫の父親は現役時代はイギリスで事業を営んでおり、サラリーマン家庭ではありませんでした。お金は自分で稼ぐ、自分で増やすというスタンスの家庭環境で育ちました。 一方、サラリーマン家庭育ちの私は、会社からの期待に応えることが、収入を増やす方法という、受け身スタンスの家庭環境で育ちま

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        • 一粒で何度でも美味しい人生を!
          17本

        記事

          【My Story#13】オーストラリアで自信喪失

          大学・大学院進学準備のためのアカデミック英語コースで、若いアジア人留学生たちに囲まれながら、英語の勉強にどっぷり専念しました。日本人の友だちもできました。 人生ではじめて、シェアハウスに住んでみました。私は自分のプライバシーがないと落ち着かないタイプで、見知らぬ人と同じ屋根の下に住むなんて、それまでの私には、とても考えられないことでした。でも、折角の機会なので、これまでの自分だったら絶対にやらないことをやってみようと思いました。 幸いシェアメイトに恵まれて、私は新しい人生

          【My Story#12】兼高かおるさんの言葉 

          システムエンジニア時代も、マーケティング時代も、データを駆使し、ロジカルに説明するのが得意だった、左脳派の私。 それなのに、人生最大の転機では、なんのロジックもなく、とりあえずオーストラリアに行くことを決めました。再就職活動をすれば、働かずして失業保険を半年間もらえることもわかっていました。でも、そんなことをしたら、自分が腐ってしまうと思ったのです。それに、日本にいると、あれほど好条件で、ネームバリューのある会社を辞めてしまった自分を責めてしまいそうで怖くもありました。

          【My Story#11】人生を変えたボストン・ノート

          休職中、自分が情熱を持てることを探して、いろいろな本を読みました。その結果、産業心理や人材開発、人材育成などに関することに興味があることがわかってきました。  三つ子の魂百までとはよく言ったものです。幼稚園の頃、「はたらくおじさん」が好きだったこと、小学校の頃、学校の先生になりたいと思ったこと、高校生の時の進路指導で人に関わる仕事をしたいと書いたこと、大学生の時、家庭教師のバイトや教育実習が楽しかったことなどがつながってきました。 渋谷の伊東屋でボストン・ノートを買いまし

          【My Story#10】Why not?

          そもそもコンピューター好きではない私が、IT業界にいるのはもう限界。そろそろ卒業して、自分が情熱を持てる業界に移らないと、年齢的にも手遅れになる と焦り始めました。 結婚願望はなかったので、婚期を逃す焦りはなかったのですが(笑)、キャリアチェンジ適齢期を逃すことが心配になりはじめました。 当時、海外留学してMBAを取ることが流行っていました。海外のMBAを取れば、再就職に有利だと思い、チャレンジしてみようと思いました。高額なMBA専門の予備校に通い、英語の勉強もがんばりま

          【My Story#9】安定か自由か?

          この頃、友達がちらほらと家やマンションを買い始めました。私も触発されて、週末になると物件を見て回ったりしました。安定した大企業勤務の上に、外資系でサラリーが高かったので、高額の住宅ローンも問題なく組めるようでした。 あるとき、世田谷区にある一戸建ての物件が気に入り、買おうかどうか迷いました。30年の住宅ローンの見積もりも作ってもらいました。ある日曜日の夕方、不動産屋さんにお願いして、その家でしばらく一人にしてもらいました。リビングの真ん中にぽつんと座って、そこで生活している

          【My Story#8】なんのために?

          このように学びは大きかったのですが、1台でも多くパソコンを売るという使命には、どうしても感情的にコミットできませんでした。感情的なコミットメントがなければ、がんばる原動力がありません。ガス欠です。 そんな状態でしたから、仕事に結果を出せず、評価も芳しくありませんでした。入社10年をすぎて、はじめて仕事で自信を喪失しました。 そして、こんなことを考えるようになりました。 一台でも多くパソコンを売ることの意味ってなんだろう? 上司が売上目標を達成して出世するため?  日本法

          【My Story#7】十億ってなんですか?

          パソコン事業部に異動して3〜4年ほどたつと、パソコンは急速にコモディティー化して、価格競争の時代に入りました。DELLの出現で、メーカーが直接エンドユーザーにパソコン販売をする、ダイレクト販売がはじまりました。 マーケティング部門に、セールスとしての役割が求められるようになりました。一台でも多くのパソコンを直接ユーザーに売ることが、私が所属していた部署の、新しいミッションになりました。 私にも十億超えの売上目標が降りてきました。1台25万円のパソコンを、いったい何台売れば

          【My Story#6】ブリスベンの衝撃

          そんなころ、オーストラリアにアジアパシフィック全体のパソコンのコールセンターが設立されました。私はセンターの立ち上げを手伝うため、ブリスベンに2週間ほど海外出張に行きました。 コールセンターのマネージャーは、ヨーロッパでのコールセンター設立の実績をかわれて、ブリスベンにやってきたイギリス人男性でした。腹心の部下2名もイギリスから連れてきていました。週末、数名の同僚と一緒に、マネージャー宅のランチに招かれました。 ブリスベンの中心街からゴールドコーストに向かって車で30分ほ

          【My Story#5】7年めの再出発

          入社7年めの新しい出発でした。 異動先は、マンモス企業の中で唯一コンシューマー向け製品を扱っている部署でした。そこで、パソコンの新企画、マーケティングを担当しました。ちょうどインターネットの黎明期で、パソコンが一般家庭に急速に普及し始めていた時期です。業界全体にものすごい勢いがありました。 自由で風通しのいい企業文化のIBMの中でも、新しい職場は、輪をかけて自由でオープンでした。同じ会社なのに、別会社に転職したかのように、いろいろなことが違い、新鮮でした。 コンシューマ

          【My Story#4】20代女子の願望

          当時のIT業界のご多分に漏れず、労働時間はとても長かったです。深夜残業はあたりまえで、夜中にタクシーで帰宅することもしばしばでした。週末もよく働きました。それでもイヤイヤやらされている感じはなく、仕事が好きでした。 今振り返ってみれば、仕事が好きだった理由は、会社から与えられた仕事が、当時の私の個人的な願望を叶えてくれていたからです。 具体的には、 ①経済的に安定・自立すること ②自分が成長している実感が持てること ③会社から評価されることで、自分の存在意義が感じられるこ

          【My Story#3】舞台は大きいほうがおもしろい

          バブルがはじける直前の1990年に大学を卒業し、アメリカのコンピューターメーカーIBMの日本法人である日本IBMに、システムエンジニアとして入社しました。 入社数ヶ月前に送られてきた書類の中に、勤務地の希望を書く欄がありました。私は関西生まれの関西育ちなので、自然と大阪勤務を考えていました。ところが、その書類を郵便局に出しに行く車のなかで、突然こんな考えがヒラメキました。 「舞台は大きいほうが面白い。」 自分でも、どこからこの考えがやってきたのかはわかりませんでしたが、

          【My Story#2】子ども時代

          時代の価値観 私は1960年台後半の高度経済成長期に、兵庫県の赤穂市に生まれました。父は 大手繊維メーカーの会社員でした。母は結婚前は幼稚園の先生をしていて、子どもが大好きで、料理が得意な専業主婦でした。三歳年上の兄と四人家族で、兵庫県と奈良県で育ちました。 父は十一歳のときに空襲で父親を亡くし、経済的に苦労して育ちました。子供の頃の夢は、白いごはんをお腹いっぱい食べることだったといいます。 こういう生い立ちは、当時はめずらしいことではありませんでした。もののない戦後に