広島ハ晴天ナリ 初めてのひとりぶらり旅②
〝大久野島でうさぎに逢いたい〟
朝7時少し前に起きて、広島駅から大久野島へ行く交通手段を調べた。
宮島に行くより便は悪く遠かった。
あとは昨日寄れなかった原爆ドームにも必ず寄りたい。その際は資料館にも。
原爆ドームは大久野島とは反対方向だ。
帰りの飛行機の時間は16時台なので、15時には空港に到着していたい。
どうにかやりくりして周れないだろうか。
広島駅から忠海港までは高速バスで向かい、港から大久野島へのフェリーが出る。
資料館の開館は8時30分。
ピコピコピコ…
『7時半に広島駅から広島電鉄に乗って原爆ドーム前で下車。
8時30分になったらすぐさま資料館を見学し、10時のバスに乗れるように広島駅に戻る。』
〝よし!これで行こう!!〟
そうと決まったら顔を洗って歯を磨いて、15分ほどで支度を済ませた。
我ながら男前な準備力だ。
毎朝、出勤前に男前準備力を磨いている甲斐があった。
※わたしは女性である。
路面電車に乗るのは初めてだ。バスと同じ乗車方法なのだろうなと想像はしていたが、そのようだった。のんびりしている感じがなんだか可愛い。
電車に揺られながら、うさぎの島から広島空港へ向かう手段を調べた。思いの外アクセスが悪い。画面に釘付けになっていると、自分の心の声しか聞こえなくなり運転手のアナウンスも耳に入らなかった。
沢山の人が降りたので〝まさか〟と思って外を見ると、揺れる木の葉の後ろに、ドームらしいものが見えた。
確信は得られなかったが、とりあえず人の波に乗って降りてみた。
その〝らしいもの〟に近づいていくと、やはりそれは原爆ドームだった。
〝あれ?思ったよりも小さいんだ〟
正直な第一印象だった。
写真を撮りながらドームを囲ったフェンスをひとまわりして、色々な角度から建物を見た。
もともとは広島県産業奨励館という建物で、県内の物産の展示や即売、商工業に関する調査・相談などの業務、美術展や博覧会などの会場として利用された施設らしい。
〝そういえば、広島に原爆が落ちた事しかよく知らなかった〟
絵本や教科書で教わったり、TVなどでは見ていた。しかし近いようでまったく遠い事実であり、いま何があったのかをきちんと知らなければいけない気がした。
〝うさぎには悪いが、また今度にしよう〟
それならば、腹ごしらえをしてから資料館に入りたい。〝お腹が空いた〟という思考に邪魔をされたくはないから。
わたしは勤勉モードに入ろうと、近くのコンビニで朝食を買って、資料館前のベンチで食べることにした。
「何が食べたいかな。」自分に訊いた。
「そうだなぁ、今無性に硬めのスコーンが食べたいな。そしてなんだか昨日とは打って変わって肌寒いし、野菜不足だったから具沢山の味噌汁が飲みたい。唐揚げも食べたいなぁ。」
朝から唐揚げは躊躇もしたが、わたしは唐揚げが食べたいのだ!
そうだ、身体が欲するものというのは、足りないものを補おうとしたり、何か意味があるものなんだと前に聞いたことがある。
ならば食べよう。食べる以外ない!!
ベンチに座ると、上空ではカラスが旋回している。
取られないように細心の注意を払って食べた。
スコーンにはチョコチップが入っており、想像していた味とは少し違ったが、味噌汁と唐揚げは裏切らない。やはり安定さが違う。
満足していると開館時間となった。
お茶を一口飲んで、いざ資料館へ向かった。
順路を進んでいくと、原爆が投下される瞬間が立体映像で展示されているスペースがあり、じっと見ていると吸い込まれそうになった。
資料館は混雑していたが、話し声はすこしも聞こえない。静まり返る館内は、時々鼻をすする音だけが響いた。
1945年8月6日午前8時15分。
当時の朝のことは想像はできないけれど、過去の自分が過ごした8月の朝を思えば、水を貰った朝顔が雫を光らせて元気に咲き誇り、蝉は太陽に向って力強く鳴いていただろう。
「今日も暑い」と言いながら、
テレビを見たり、ご飯を食べたり、洗濯をしたり、麦茶を飲んだり。
家族といる朝も、学校にいる朝も、仕事をする朝も。
いろんな人の幸せな朝。
それが一瞬で壊されることを想像すると、胸が痛くなる。こんな痛みよりもっと痛かったのだろうと思えば、涙がこぼれそうになった。
順路を進めば進むほど、より具体的にその辛さ、痛み、苦しみが伝わってきた。
そして、進めば進むほど、1945年8月6日午前8時15分だけの苦しみだけではなくて、それは長く長く続くことがわかった。
時には世代を越えて。
当時の写真の悲惨さを見れば、撮った人はどんなに心が痛んだろう。けれどその人が写真家や、報道関係の仕事に就いていたならば、伝える使命感があったのかもしれない。そうでなくても、残さないといけないと思う人もいたのだろう。
そのおかげで今日わたしは知ることが出来た。
ひとつひとつの展示を、少しも見逃すことのないように、少しずつ進んだ。
現在【ともだちの記憶】なる特別展示もされている。わたしはこの特別展示冊子の表紙にもなっている絵に、とても魅了された。
8月6日の空を描いたものだ。
ともだちに重きを置いた展示。
「わたしだけ生き残ってごめんね。」と
十代そこそこの子が思うだなんて、「どれだけ悲しかったことだろう。どれだけ苦しかったのだろう。どれだけ辛かったのだろう。こんなことしか言葉が浮かばなくてごめんね。」と思った。
ひろしまの負の世界遺産を1人でも多くの人が見て、生きていく上での心の財産となりますように。
資料館を出ると、わたしは原爆死没者追悼平和記念館なる場所で被爆体験記の朗読会に参加した。定期的に開催されているようだ。
被爆体験記を3名の方が朗読してくださった。なかでも印象的だったのは、こどもが書いた詩だ。
まだ語彙が少ない子供の言葉は、つたないながらもその素直なまっすぐな感情が伝わる。
父を亡くした子どもが亡き父を想い書いたもので、胸に残った1行の言葉。
〝おとうちゃんとよんでみたい、さばってみたい〟
さばってみたいとは、広島弁で触ってみたいの意味らしいが、ここではぎゅっとしがみついていたいとの気持ちが込められている。
ただ目で文を追うよりも目を瞑って聞く朗読は、より想像し、記憶に残った。
朗読が終わると、朗読してくださった一人の男性が実体験や、被爆者から聞いた戦争話を聞かせてくださった。
絵に描かれている被爆者は、大抵手を前に突き出しておばけのポーズになっている。
その理由はいくつかあり、火傷してただれてめくれた皮膚を足で踏むと痛いから手を上げていたということや、心臓より上に手を上げていないと痛むからだということを、実際に話された方がいたそうだ。
他にも今話題の朝ドラは後々広島の被爆にも関連付くこと、上映中の映画オッペンハイマーのことなど、これまであまりに遠いかった事実は、わたしのすぐそばで触れられるところにあった。
結局、何事も知ろうとするのか、しないのかのどちらかなのだろう。
かれこれ4時間はいたみたいだ。気がつけば正午が過ぎた。
さぁ、そろそろ広島駅に戻って昼食を食べよう。そして空港に向かわなければ。
電車の中で余韻に浸る。
だが可哀想な過去だけで済ませたらいけない。
わたしはわたしが生かされてる今、平和でいられるために何が出来るのか。
わたしなんかが出来ることはちっぽけかもしれないけど。
そして、自由に選択出来る今にせっかく生まれてきたのだから、悔いのないように生きよう。
ありがとう。
だからわたしは今日も昼食は好きなものを食べるのだ。
広島駅に着き、定食屋に入った。
メニューを見るていると、牡蠣かき定食なる魅惑にまんまと釣られた。
牡蠣ってすごい力で誘惑するもんだ。
他なんか見えないくらい魅力的だ。君はなんて素敵なんだ。
けれど、鯖寿司がこっちを見ているではないか。なんて健気な目で見てくるんだ。
〝だめだ。僕には選べないよ!結婚するなら鯖寿司。君みたいなタイプだ!でも、今は牡蠣の魅惑にはまっていたいんだ…なんて罪なことだ。わぁぁーーーーー〟
「すみませーん!生ビールと牡蠣カキ定食と、鯖寿司一貫おねがいします!」
「はいよー!」
ひとりで昨日からこんなにたくさんの牡蠣を食べて、バチが当たりそうだ。
大切な人たちへのお土産は牡蠣シリーズを買って帰ろう。みんなにこの美味しさを伝えたい。
わたしは広島から貰った愛と、牡蠣を持って帰路についた。
携帯は機嫌良くわたしの側にいる。
みんなの平和がいい。
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