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父と娘の珍介護道中(日記的エッセイ2010〜2022)   時々、母のこと、故郷のこと、自分のこと EP1

エピソード1
「お父さん、インパクト強かったなぁ」(タクシー運転手さんの言葉)

2010-10-15

今日は東名ぶっ飛ばしーので大磯の実家に。
空気の入れ替えをして、大好きな母の笑顔の写真に挨拶をして、
老健施設で療養中の父の見舞いに。
2時半から30分間のリハビリに、週1回はおつき合いしてる。
もうだいぶ前から、父というより、いつもお世話になってるおじいちゃんという感覚です(笑)。

火曜日と金曜日は、理学療法士の先生がついて、
マッサージで筋肉をほぐしながら、手で負荷をかけてもらい、
足の筋肉や腹筋を鍛える運動をする。
マシンじゃなく、回復具合に応じて先生が声をかけながら、
手で負荷を加減するというのが、いい効果を生んでいると思う。
“おじいちゃん”、よく頑張ってました。

月、水、木は、先生はつかないので、平行棒や杖を使って自主トレ。
手のリハビリだと言って、小さな字で日記もビッシリ書いてる。
今日もこっちが励まされて帰ってきました。

2010-10-26

今日は老健施設のケアマネさんとリハビリの先生と、いつ頃父の帰宅が可能かの面談があった。弟も会社をお休みして同席。

そんな折なのに、先週の金曜日あたりから父がまた腰が痛いと言っている。
今日は弟がついでだからと、かかりつけの病院で神経ブロック注射を打つのに付き添ってくれた。
そしたらなんと、前回圧迫骨折した腰椎の上の骨が、
再び圧迫骨折してる疑いありと判明。
レントゲンを素人が見てもわからないが、先生の診断ではおそらくそうだろうとのこと。
このところ父の調子がよかったので、
早ければ年内にも帰宅できるかもなんて空気もあったのに、
どうやら調子よすぎて頑張りすぎちゃったみたいだ。

「何かきっかけがあったと思う?」と父に尋ねたら、
「この前ね、食堂の椅子を持って10メートルくらい歩いちゃったの」だって。
できることは何でも自分でやるが父のモットーだし、
先日の運動会でも賞状をいただくほどの頑張り屋さんなので、
「そんなに頑張っちゃダメじゃない」とは言えず、
「頑張っちゃったんだね」、「うん。頑張っちゃった」と、なんとなくお互い笑うしかなくて。

しかしまぁ、圧迫骨折とはやっかいなもので、動かせばと痛いし、
それを怖がって動かさないでいると、次第に体が動かなくなっちゃう。
その寸止め加減がリハビリでもすごく難しい。
痛いというのは、それだけで神経が滅入るので、
しばらくまた辛いだろうなと思うけど、持ち前のバイタリティでまた乗り切ってほしい。
急に寒くなったので、心配は尽きませんが。
ということで、父の帰宅はまだ先になりそうです。

2010-11-07

今日も東名ぶっ飛ばして大磯方面へ。
実際はまたぶっ飛ばせなかった。
なぜかというと、今日は土曜日で、最高の行楽日和。そりゃ行くわな、箱根。というわけで、東名川崎から大磯まで2時間以上かかりました。フーッ!

実家に着いて、いつものように空気を入れ替え、父の見舞いに。
目の回るような〆切りの忙しさで、どうしてもスケジュールがとれなかったので10日ぶり。
「ずっと顔を見せないから心配していた」と、父。
具合の悪い人にいらん心配させてしまったなぁと申し訳ない気持ちになった。
父は腰の痛みが再発したことに相当ガッカリしていて、
自分が頑張りすぎちゃったことを悔やんで落ち込んでる。

なので、少しでも元気になればなぁと思い、
ずっと会えていない父の詩吟のお仲間に私の携帯から電話をして、
久しぶりの会話を楽しんでもらった。
涙ぐまんばかりのうれしい顔で話す父を見ると、
ああ、やっぱりお仲間に会いたくて仕方ないんだなぁと。
近々お見舞いにいらしていただけるということで、ありがたいかぎりです。

2010-11-18

今週の実家方面行きは、電車でゴー!

大磯駅には久しぶりに降り立った。
さすがにパスネットは導入されていたけど、ホームから見えるのは、
桜や紫陽花などの植え込みと、昔よりちょっと住宅が増えた小高い山だけ。
子供の頃見ていたのとほとんど同じ風景だ。
何が素晴らしいかって、そう、大磯駅には、
駅にもれなくついてくるあの立て看板の類がいっさいない。
きっと、駅長さんが代々そういうポリシーを貫いているんでしょうね。

ちょっとうれしくなって、いつもとは違う道順で実家に向かった。
魚屋さんの店先で干されている鯵や鰯や鯖のみりん干しがなんとも美味しそうなこと。
ウチでもよく母が、2階の物干場で、これを作ってた。
その味を知ってるから、スーパーによくある赤みがかったベタッとしたみりん干しはとても食べる気にならない。
母直伝のレシピを思い出して、天気のいい日にまた作ってみようかな。

大磯はその昔宿場町で、旧街道沿いの松並木の名残もあったりもする。
こんなに狭い道だったっけと思いながらのぶらり散策。
いい環境に育ったことをとてもありがたく思いました。

いつものように実家の空気を入れ替えて、父の療養先へ。
荷物があったので、タクシーを頼むと、
なんと偶然その運転手さんは、
父が一人で詩吟の会にでかける時によく送ってくれてた方。
私自身は面識がなかったけど、
頼んだときの「東町の藤井です」と老健施設という行き先から、
父が療養中であると知った運転手さんは、丁寧なお見舞いの言葉をくださった。

「お父さんはよく道を知っておられてね、病院にお連れするときなんかにいい抜け道を教えていただきましたよ。インパクト強かったなぁ」とおっしゃる。
「あそこは一通だからね、その手前を一旦右に入って、でもそのまま行くと行き止まりだからね・・・」などと言っている父の姿が容易に想像できた。
私の車の助手席に座るときももれなくそうですから。
「インパクト強かった」という言葉に思わず笑ってしまいました。

その父は、今日は自主トレ日だ。
ぶり返した腰の痛みとだいぶ上手くつきあえるようになったようで、
まずは平行棒歩行をつかまらずに往復5回歩。
階段の上り下りも1往復するというので私はびっくりだけど、
「手すりにつかまるから、フツーに歩くよりラクなんですよ」と言ってせっせと始めてしまう。

すれ違うスタッフのみなさんから、
「藤井さん、頑張りすぎないでね」と声をかけられているので、
「まだしばらくはほどほどのメニューでやろうね」と柔らかく釘を刺した。
やらないと動かせなくなるけど、やりすぎると痛くなる。
この加減がホント、難しそう。
ま、本人がいちばんよくわかっているのかもしれません。
上手く調整してくれることを願うのみです。

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