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父と娘の珍介護道中(日記的エッセイ2010〜2022)  時々、母のこと、故郷のこと、自分のこと EP4

エピソード4
災害の不安を上回る父の落胆

2011-03-13

もうおとといのことになる。仕事に行く支度をして、ちょうど出ようとしたその時、スゴい揺れがきた。
むき出しで置いていた台所の缶詰めや食器が落ち、本棚の本が落ち・・・。
ゆっくりとした大きな長い揺れだった。

ふと我に帰り、出口がふさがっては大変と、ドアを開けた。
ウチは3階だし、とにかく一人でいるのが怖くなり、バッグを持ってそのまま外に飛び出した。道に出ると、近所にお住まいの方々も続々と出てきた。
お互い顔を見合わせながら、立っていられずにしゃがみこんだ。
見上げると、電信柱とケーブルがものすごく揺れてる。怖かった。

携帯から家族に電話をしたが、全然つながらない。
電話をかけようとする手が震えている。
この段階ですでに軽いパニック状態だった。
揺れが少し収まって、一旦家に戻ったが、また揺れる。そしてまた外へ。
そんなことを3回ほど繰り返した。
普段顔見知りじゃないご近所さんと、「電話がつながりませんね」と話す。
それだけでも、少しホッとする。
とにかく、一人でいることが不安でならない、そんな心理状態だった。

auの「災害用伝言版」に事前に登録していたのだが、咄嗟にはその使い方がわからなかった。
auのウェブにまず接続することを思いついたのは、だいぶたってからだ。
それくらいパニくっていた。連絡がとれないことが不安を一層募らせる。
たまたま自分の実家に行っていた夫と、固定電話で連絡がとれたのは、
発生後3時間後くらいだったと思う。

メールもつながらなかった。
地震が起きて1時間以内に「災害用伝言版」に載せたメールが、登録していた家族それぞれに届いたのは、翌朝の4時頃のことだったという。
その間、SNS等で友人や家族の無事がわかったり、連絡をとれたのはよかった。
友人、家族の大勢が帰宅難民となり、大変な思いをしていた。
みんなの無事を祈るしかなかった。

テレビから続々流れる現実を目の当たりにして、胸がつぶれそうになり、
一人眠れない夜を過ごした。余震で船酔いのようになってしまい、
以降ずっと地面が揺れているような気がしてならない。

翌日帰宅後、いつもと変わらない表情の冷静な夫を見て、
なぜだかイラッとしてしまった。「
だっていつ何が起こるかわからないじゃない」と言うと、
「そんなこと言ったら、これまでだってこれからだっていつだってそうだよ」と静かに言われた。

うん、たしかにそうなんだ。わかっているつもりだった。
でも・・・ああ、私って弱いなぁと思う。事態に仰天して、冷静さを失い、
どうしよう、どうしようと焦るばかりで、何も手につかない。落ち着かない。
自分が食事をとることにさえ、どこかネガティブな気分になっていたのだ。

一晩眠り、今日は少し平常心を取り戻した。
相変わらずテレビからの光景に胸が押しつぶされそうになる。
今日がこんなに暖かくて、いいお天気であることに、
どこか違和感を覚えてしまう。
でも、少なくとも昨日よりは落ち着いた。
今というこの時間を、自分の頭で把握することができるようになった。

「私」とはいかに弱い存在なのだろう。
本当に人は一人では生きられないんだなと思う。
支えてくれる大切な人たちがいてくれること、
支えたいと思う大切な人たちがいること、
これまでのすべての一期一会に感謝したい気持ちでいっぱいになっている。

「常に今日が最後だと思って生きよう」。
そんな風に思った瞬間は今までもあった。
でも、今回ほどそれを実感したことはなかった。
限りあるからこそ、とにかく、今日の自分を精一杯生きよう。

そう思ったら、心のヘンな興奮や緊張がほぐれてきて、少しラクになった。
大好きな音楽を聴きたいと思えた。
優しい音で耳が満たされると、なぜだか涙があふれ、心がさらに落ち着いた。
生産的な気持ちが生まれてきた。
そう、何かできることをやるためにも、まずは自分が元気でいなきゃ。
そのためにはご飯も食べなくちゃ。

書こうと思い起ったたぶんこれが、今日の私の生産的な気持ちの現れだ。
長いまとまりのない文章を読んでくださった方、ありがとうございました。

暗闇が光で満たされるよう、心を送り続けたいと思います。

2011-03-21

一昨日、地震後初めて父の老健施設に行き、
無事予約していた病院に連れて行くことができた。
本当はもっと早く顔を見せたかったのだけど、この日が病院と決まっていて、
でも、車にガソリンが半分しかなかったので、それを温存するため行くのを控えていた。

父にとっては地震の不安より腰の痛みの方が切実だ。
この日本当は神経ブロックの注射を打ってもらうはずだったのだが、
いつも針を入れている打つ尾てい骨の近くに、
なんと床ずれが出来てしまっていた。
その黴菌が体内に入ってしまうと重篤なことになりかねないというドクターの判断で、注射は見送りに。
藁をも掴む思いだった父の、「先生、なんとかお願いしますよ」という消え入るような声がせつない。

幸いまだ出来始めなので、圧力をかけないように気をつければ、
次の1ヶ月後の予約までには治るのではないかとのこと。
でも、父にしてみれば、ブロック注射を打ちさえすれば腰の痛みが軽減されるという一縷の望みをかけて、
その日を待ちに待ち、無理をしてまで出かけてきたので、落胆は大きかった。
急にまた痛みが悪化してしまったようだ。

床ずれの原因は、もちろん仰向けで休むことが多かったということもそうだが、
圧迫骨折のため常時装着している胸から腰にかけてのコルセットが、
横になるときや座るときにそこに当たっていたのではないかということだった。

なので、腰の安心のためにしていたコルセットをしばらくはずさなきゃならない。それも父にとっては今後の不安要素のひとつだ。
「まだ初期だから大丈夫。1ヶ月後までに治そうね」と励ましながら、
療養先に帰ってから、ベッドでの寝方を二人で研究したのだけど、
頑張り屋の父もさすがにまいっている様子。
泣きそうな顔を見るのがツラかった。

そこでも停電はあったという。
職員さんもいつもと違うシフトでご苦労されている様子。
入所者がしいられることも多くなる。いつもと違う日々で体調をくずされる方もいらっしゃるだろう。
それを見るにつけても、被災地でのご苦労はいかばかりかと胸が痛くなった。

父の体も世の中も、とにかく日に日によくなってくれることを心に強くイメージしよう。

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