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父と娘の珍介護道中(日記的エッセイ2010〜2022) 時々、母のこと、故郷のこと、自分のことEP28

エピソード28
コロナ禍によって生じた父と娘の大きなストレス

2020-01-02

今日は実家でお年始。
まず大磯の六所神社と高来神社とお墓に初参りをして、弟家族と里帰りした父を囲んでご馳走に舌鼓を打ちました。
父の滞在時間は約3時間。8時には寝る段取りをしたいらしく、いつも通り6時半くらいからそわそわと帰りたいモード全開に。
ま、だから全然ゆっくりできないんだけど、これがここ最近の藤井家のお正月。
父にとっては、自分の動線で快適に暮らせるケアハウスが、今はマイホームなんだなとあらためて思う。
ミラーレスのいいカメラを買った姪が素敵な写真をいっぱい撮ってくれた。
なんて美味しそうに、なんて自然に見えるんでしょう。愛だね~。
私もまた一眼がほしくなった~。さて、明日は自分のお正月。

2020-03-20

今日は3週間ぶりに父の顔を見に行きました。
ここ2週間ほどずっと自分の体温計ったうえで、短時間ならOKと判断。
もちろん、ケアハウスに入る際も、体温計測と手指消毒とマスクはマスト。
お彼岸のお墓参りに行くのに、お寺さんに父の名前で差し上げるお布施を、父からちゃんと受け取りたかったしね。

前回会ったのは、ケアハウスの所長さんから面会を控えてほしいという通知があったと同時の2/28(金)。
「これからあまり来れないけど頑張ろうね」、「そうだなぁ」と言って別れたけど、その段階では父は世の中に何が起きているかあまり実感してなかったと思う。
面会に行けなくなって2週間目の水曜日、ああ、そろそろ父が爆発するだろうなと予感。
でも、もし自分が知らずにかかっていたら、行けばケアハウスに感染させちゃうかもしれない。
それは怖いと思っていたので、預かっていた洗濯物(ユニクロの上着だけだけど)を、木曜日の午前中着くように速達で郵送した。
散歩して見かけたきれいな花々の写真と、励ましの手紙を同封して。

そしたら、それが父に届く直前の木曜日の午前中、やっぱ来ました。
「みほちゃん、困っちゃったよ。お通じがないんだよ〜。下剤がなくて病院行きたいんだけど、来てくれないかな」とナキの電話。
耳もちょっと遠いので、電話だと柔らかいコミュニケーションが難しい。
「お父さん、今、病院に行くのは一番危ないよ。だから連れて行けないのよ」と、何度も言ってるうちにだんだん大きくなる自分の声に嫌気がさしてた頃、
「病院が危ないって、お父さんのほうが危ないよ」と父は一瞬キレかけて、
すぐ思い直したのか、「わかった。自分でタクシー呼んで行くから。もう切るよ。ありがとう」と言ってプツッと切れた。

いやー、もうなんとも言えない無力感。
なんとかしてあげたいけどなんともできない。ま、自分でタクシーを呼んで行くことは実際には不可能だけど、
神経質な父が今回のことでどれだけ参りかけているかは手に取るようにわかるから、「お通じよ、なんとか出てくれ」と祈りましたよ。
でも、その後一切父から電話はなかった。
その日速達で着いたはずの手紙を見て、なんとか状況がわかってもらえたのかな、あのあとすぐにお通じあったのかもな、と、ま、安心は半分くらいでずっと気になってた。

今日、父の部屋にいた時間は5分もなかったと思うけど、
案外元気で本当に安心しました。
長居はできないので、お寺さんに持っていくもの以外の細々とした連絡は手紙にして、「あとでゆっくり読んでね」と、渡してきた。
部屋を出るときに、「まだしばらく頻繁には来れないよ」と言ったら「そうだね。感染っちゃったらコワいからね」と言うてはりました。

「毎週行くことに意味はあるのか?」とか思いつつ、好きな音楽を爆音で聴き東名ぶっ飛ばしーので父の顔を見に行っていた金曜日。
そのルーティンが崩れてオカシくなっていたのは、実は父じゃなくて、
案外自分のほうだったのかもと思ったのでした。
そんなことも書いとこ。記録だからね。

世の中の状況やムードが、本当に毎日のように変わる。
人数制限はあるけどピラティスはやってるので、通常通り通って、早足ウォーキングして、万が一かかっても大丈夫なように体、鍛えちょります。
で、これからは、行けない間は手紙を書こうかなと思いました。
温故知新の時代なのかも。

姪のカメラにいい笑顔、私お手製の煮しめ、父と息子、娘(これが遺影となった)

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