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【ちょっと詳しく】家康公のお墓、久能山東照宮!

三保原屋は静岡駅前商店街にある家庭用品店です。創業は1687年と言われています。
以前、久能山東照宮の願い「平和」や「装飾」についてnoteにまとめましたが、今回のその続き。
(久能山東照宮にまつわる手ぬぐいの販売もしております。)

静岡行くなら、久能山東照宮がおススメ。
時期が選べるなら、個人的なおススメは「家康公が好んだ梅の時期」がいいかと思います。

久能山東照宮とは

家康公は人生最後の地に駿府(静岡)を選びました。
遺言により久能山に埋葬され、2代目将軍の秀忠公が「久能山東照宮」を建設しました。

そんな久能山東照宮の大きな願いは「平和」。
戦国の世から、世界でも珍しい200年を超える平和な世の中をつくった家康公の功績をたたえて「宮」という名前がついています。

いたるところに平和の象徴と考えられる装飾などがある点は、以前記載したこちらのnoteをご覧ください。

最初の印象

印象として「階段!」と答える方も多いのではないでしょうか。
なんでこんなに階段があるのか?は、なりたちを知ると理解できます。

現在の久能山東照宮は、7世紀頃に「久能寺」として山が開かれ、鎌倉時代には東海道屈指の寺院だったそうです。(久能山の歴史:久能山東照宮HPより)

1568年には武田信玄が当地が要害であることに着目し、久能城を築城。
階段をのぼると、その険しさを実感することができます。

一緒に祀られている偉人たち

久能山東照宮に行くと、家康公とともに、「相殿(あいどの)」という形で信長公・秀吉公が一緒に祀られています。

ここで不思議に思うのは、家康公と一緒に、信長公や秀吉公を祀っていること。

この事実を初めて知った時に、
「江戸時代に、家康公と、この二人を祀ってしまうと・・・信長公・秀吉公を応援していた人達の結束や反発が起こる可能性が高まる(?)のではないか??」
と心配になりました。

なんで一緒に祀られているか?

この点、久能山東照宮の方に伺うと

①もともとは神仏習合のかたちで創建されたので家康公の両脇には仏様がいた。
②明治維新で、神仏分離令のもと、家康公の両脇の仏様がどけられてしまった
③家康公の両脇があいてしまったので「平和を実現した功労者」として、家康公と同じく、信長公・秀吉公が祀られた

という流れになっているそうです。

そう思いながら歩くと、久能山東照宮にはお寺だったころの名残が他にも見受けられます。

●五重塔があった跡を見ることができたり
●御社殿の中にも、すこし仏教的な模様が残されていたり

神仏の関係や歴史を含め、なんとも、現在の日本人的な感覚が多分に含まれた場所だと感じました。

漆の修繕は大変

久能山東照宮は数多くの国宝・重要文化財から成り立っています。
その修繕にかかる費用と期間は相当なもの。
現在の技術をもってしても、修繕の規模により、1回の修繕につき5年~10年かかることもあるそうです。

創建当時も相当な労力が必要だったと考えられます。

建設期間はどの程度だった?

言い伝えによると、御社殿そのものの建設は1年7か月という驚くべき短期間でやり遂げてしまったそうです。(久能山東照宮HPより

色々な想像ができますが・・
徳川家康という人物に大恩があったり、、戦乱が終わったことにより感謝の気持ちを、建設協力などで示したい方が相当多かったのであろうと思いました。(個人的な感想です。)

あえて修繕していない箇所

修繕は「当時の姿を戻す」ために行う仕事。

祈祷をする際に、国宝の御社殿にあがることができますが、御社殿の内部も装飾の素晴らしさに目がひかれます。

普段は立ち入れない御社殿内ですが、御祈祷時に内部を見ることができます

この話も意図は複数考えられますが、、
ある一角については、創建当時より修繕をしていないと伝わる箇所があります。
(御祈祷などの際に、是非ご覧になってください。)

創建から現在までの時の流れを感じることができる貴重な場所を知ると、参拝がとても楽しくなります。

江戸時代の粋な話

久能山東照宮も日光東照宮と同様、「建物を完成させないため」に葵の御紋が逆さになっている柱があります。
(意図については諸説あります。)

この説の根拠としては
「建物は完成させたら、その後から崩壊が始まってしまうから」
とも言われています。

目に見えない粋な話

「現在と比べれば、生活こそ苦しかったと思いますが、心意気やユーモアが目立った時代だったのかな?」

と、久能山東照宮のご担当者様と話をしていたら、別のエピソードを教えてくれました。

様々な玉垣と呼ばれる装飾

修繕をする際、「いろいろな装飾を取り外し、つけなおす」ような作業もあるそうです。

職人としては久能山東照宮の修繕に関わったという事実を示すために、装飾の裏に自分の名前を残したりすることもある(過去にあった)そうです。

ただ、創建当初の装飾には、そういった職人さんの印・痕跡が殆ど見当たらないとか。

「自分が関わったかどうか、よりも、誇り高さが勝る仕事だったのかな?」
と、ご担当者さんと話をさせてもらいました。
(おそらく、このあたりも諸説あると思いますが、当時の方々が、どんな気持ちで久能山東照宮をつくったかを考えるのは楽しいですね。)

最後に

2023年は家康公が大河ドラマのテーマとなり、改めて注目が集まる愛知や静岡の歴史的な建造物。

建設当時の願いや、建設に携わった方、建造物の歴史を知りながら現地に行くと、旅行や散歩が数倍楽しくなると思います。

このnoteは諸説ある内容を含んでいますが、別の説が出たときは、それはそれで検証してみるのも面白いと思います。

静岡におこしの際は、是非久能山東照宮にも足を運んでみてください。(階段が大変な方はロープウェイによる参拝がオススメです。)

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