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疲れたときは「何もしない」場所を選ぶ

目をつぶると思い出したくないあれこれが頭の中いっぱいに広がり、ドクドクとした心臓の動きが全身を波打つように響く。あぁ、眠れないと布団の中でもがくこと3時間、明け方まで飲み歩いていた友人と電話がつながり、なんとか眠りについた。

結局お昼近くまでベッドから動けず、「もしかしたら今日も……」と不安が募る。気持ちは疲れているのに、ゆっくり休めない。仕事の資料用にパラパラめくっていた森林浴の本を眺め、ふと「あぁ、疲れてるなら森に行ってみよう」と思い立ち、近くの公園へ足を運んだ。

読書中の本には、木に触れることについてこんな言及があった。

手や足が木肌に触れると、脳や体がリラックスすることもわかっています。ほかにも、近年身の回りに電化製品が増えたことも影響し、体内に溜まった電気を外に放出する方法として、素足で大地に触れたり、手で木々に触れることはとても効果的と言われています。ー『あたらしい森林浴』より

いつも眺める大きなクスノキのところまで歩き、そっと触れてみる。

ゴツゴツした木肌と、手のひらの体温はあまり変わらず変化が無かったので、思いきって抱きついてみる。周りの目が気になるところではあるけれど、その代わりリラックスできるなら大丈夫。両手を広げても周囲の1/3にしかならない大きな木にくっついているからか、なんだか守られているような気分にもなってきた。

これは次、素足で大地に立ってみる……?

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1度人の目を気にしなくなるとその後の行動もスムーズだ。サンダルを脱ぎ、土の場所に裸足で立ってみると、こんどはひんやりとした冷たさが足の裏にふれた。本による事前知識があったせいかもしれないけれど、足の裏から何かが出ている感じがする。身体から地面へと流れ出るものが感じられ、自然と呼吸もゆっくりになった。森林浴とはまさにこのことを指すのだろう。

1時間程度の散歩でもずいぶん気持ちがすっきりできて、夜は考え事をする暇もなく眠りについた。

気持ちが落ち込んでいるときは何をするにもしんどさを感じてしまうもの。部屋に閉じこもり、考えたくない考え事をぐるぐると繰り返してしまう。もちろんしんどい時には無理に何かをする必要はない。けれど何もしなくてもいいから、その"何もしない場所"を森や公園に変えてみるのは、ひとつの解決手段だなと思う。

ぼーっとしながら虫の音を聞いたり、葉っぱが揺れる様子を眺めたり。川のある森なら、川が流れる音も気分の回復につながる。誰に何を言われるわけでもなく、ただそこに「ある」自然を眺めることで、自分もここに「ある」だけでいいような気もしてくる。

何かをしなくては「何者か」になれないような気がしてしまう日常から少し離れて、「ある」だけでいい自然に囲まれることは、結構大事なことかもしれない。


去年の毎日note

去年はバーに逃げ込んでたけど、今年は森にいる……



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