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「これが私の天職です」-ルンビニでのお寺修行で感じたこと①-

毎朝うちわ太鼓をたたきながら周辺の村を4時間あまりかけて15kmほど巡り、夕方は本堂などでの1時間半ほどのお勤めが義務付けられている。

ネパールに到着してもなお、私は迷っていた。お寺修行に興味はあるけれど、「地球の歩き方」で紹介されている日本寺の修行内容を見ると、はたして私なんかが行ってきちんとお勤めができるのだろうかと、ずっとモヤモヤうじうじしていた。

ルンビニには10以上の国のお寺がある。中でも韓国寺はバックパッカーに人気の宿となっており、瞑想もお好みで出来るらしい。宿泊ついでに修行体験を楽しむか。いやでもせっかく来たのだから、大変な修行でも経験してみると何か変わるんじゃないか。

決め切らないまま初日は過ぎて、お寺泊を予定していた2日目の朝になってしまった。

とりあえず、日本寺まで行ってみよう。
子ども用のレンタサイクルに乗り、でこぼこ道を進む。途中お尻が痛くなって立漕ぎをしつつ20分位走っただろうか。日本寺へ到着した。

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「Excuse me」
誰もいない本堂へ向かって声を出す。反応はない。
ふと横を見ると、お勤めの時間が記載されていた。

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「Excuse me」
今度はもう少し大きな声で叫んでみた。すると本堂の脇から、優しい目をした僧侶が日本語で話しかけてくれた。流ちょうな日本語で、穏やかな話し方をする、ネパール人のビシュヌさんという方だ。

普段日本寺には、佐藤上人、上西上人という方がいらっしゃるそうだが、去年起こった震災の復旧で、今はカトマンズに泊まっているという。

今は私一人だけだけれど、それでもよければ、とビシュヌさんが話してくれたので、流れるように日本寺への宿泊を決めた。

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チア(ネパールのミルクティ。インドのチャイに似ている)とビスケットをいただき、少し話した後、午後のお勤めが始まった。


【16:30~18:30】
大太鼓を叩きながら、「南無妙法蓮華経」をビシュヌさんと交互に唱える。

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大声を出すのは苦手だし、「南無妙法蓮華経」なんてどんなリズムで言ったらいいの、なんて最初の30分はずっとソワソワしながら大太鼓を叩き続けていたけれど、次第に迷っていた感情はなくなり、気持ちが集中しはじめ、あっという間に一時間半が終わってしまった。最後の30分でお経を詠んだ後は、外でのお勤めが始まる。

【18:30~19:30】
うちわ太鼓を叩きながら同じように「南無妙法蓮華経」を唱え、仏舎利同(ストゥーパ)を回る。

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ストゥーパの四方には仏像が立っていて、前を通るタイミングで三回お辞儀をする。正面の仏像にお線香を供え、また南無妙法蓮華経を唱えながら戻っていく。途中、そばにあるお墓に立ち寄り、水を取り替えて、本堂に戻ったら、夕方のお勤めは終了だ。

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ちょうど夕暮れ時だったので、空の水色と太陽のオレンジ色がグラデーションのように重なり、とても綺麗な色をしていた。暑かった一日も終わり、ふと心が軽くなったような感覚を覚えた。

お勤めの後は、食前のお経を唱え、ご飯、おかず、スープがワンプレートに盛り合されたネパール料理の「ダルバート」を食べた。おかずはすべてお寺でとれた野菜だという。

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「毎日お寺でお勤めをして、大変じゃないんですか」

お勤めそのものは楽しかった。でもこれが毎日、一生続くと思うと、途方もない作業のような気がして、ビシュヌさんに聞いてみた。すると、ビシュヌさんは目をキラキラさせながら笑顔でこう答えてくれた。

「仏教に出会ったとき、これが私の天職だと感じたんです。自分の家はヒンドゥー教だったけれど、小さい頃からどこか違和感があって。でも日本語を勉強して、日本寺で住まわせてもらえるようになって、お勤めをすることで来世のために徳が積めるのは、とても楽しくて、幸せです。」

みほさんは毎日会社に行きますよね。お勤めはそれと似たような感じです、とビシュヌさんは付け足したけれど、土日や、夏休みを楽しみに働くわたしとはなんだか次元が違う。ひとつ感じたのは、「信じる」ことは人を強くさせ、また幸せも感じさせるということ。何かを「信じる」ことには、強く生きるための重要なヒントが隠れているような気がした。

食事を済ませ外に出ると、まるで星がゆっくりと移動しているかのように、無数のホタルが空いっぱいに広がっていた。


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