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思い出が無くなったわけじゃない。「必要なものだけが残った」

約4年ちょっと住んだシェアハウスが、つい先日取り壊された。まだ取り壊しの様子は見に行っていないけれど、きっと外観は工事用のシートに覆われて、1か月もすれば跡形もないのだろう。


この4年間、私はあの大きな家で、偶然にも集まった女子たちと一緒に生活を共にし、人生の転機となる出来事も経験した。マンガで見ていた"都心で暮らすアラサー独身OL"の権化のような生活。その生活で、女の子は1人でもポテチを食べることを知った(みんなで遊ぶ時だけに食べるものだと思っていた)し、帰宅して早々に「ねぇ聞いてよ」と言える安心感を得られたし、それぞれが用意したお茶を片手に、0時過ぎまでじっくり話せる心地よさを見つけられたのだった。

さらに加えると、「もう嫌だ」と思った時に駆け込めるお店が2,3軒あることも、私を支える大きな要素だった。できればずっとあの場所で、安心する人たちと一緒に暮らしたかったな、と思う。


後ろ髪惹かれる思いで去ったあと、一緒に住んでいた1人がFacebookでこんなことを書いていた。最近、家の近くのレストランでその子の誕生日祝いをした時に、思い出話をたくさんしたからだろうか。

「取り壊しが決まり、暮らした家は跡形もなく消えてしまうことになったけど、必要なものだけが残ったととらえて、私たちのたられば女子会がこれからも続くことを願います」


「大切な場所が無くなってしまう」と、何度も思っては胃がきゅるきゅると縮まっていたのだけれど、それはもう私たちにとって、必要ではなくなったものなのかもしれない。ダイニングテーブルで湯たんぽを抱えながら、リビングのソファでテレビを見ながら、くだらないことも大事なこともたくさん話したあの日々は、ちゃんと「必要なもの」として私たちの記憶の中に残っている。

そうやって支え合ってきた私たちは、もう大丈夫。夜中まで付き合ってもらわなくても、彼女たちからもらった言葉がたくさんあるから。一緒に住んでいなくても、「話を聞いてくれる存在」だと、知ることができたから。

大きな要素だった「場所」が無くなったのは、今まで築いた「絆」だけでも十分やっていけるからなのだ。

あの家で、同じ境遇のようなみんなと、必死に一生懸命に生きていた"生きづらいアラサーの思い出”は、私の脳内にずっと残るんだろうな。


気になる言葉、魅力的な言葉を集める共同マガジン「コトバツムギ」を始めました。共同運営者は以前ライティングスクールで一緒に学んだスミヨ。さん。月~土までのうち、私は月・水・金を担当しています。

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