生きてるうちは書いていようと思った
高校を卒業してから全く漫画を読まなくなってしまった。小学生の時は毎週ジャンプを読んでいたり、兄の本棚からスラムダンクや浦安鉄筋家族を借りたり、いとこからもらった50冊近い、マーガレットで連載された単行本を粛々と読破していたのに、最近はあまり読む機会がない。
ページをめくるのがハラハラするくらい興奮したのは、スラムダンク。はじめて漫画で泣いたのは、世紀末リーダー伝たけし!のとある金魚の話。そして、初めて声を出して吹き出した漫画が、さくらももこさんのコジコジだ。
コジコジをはじめ、ちびまる子ちゃんの映画やアニメを見て育った私としては、さくらももこさんの突然の訃報を聞いて、ジェンガで1番下が1つだけになってしまったような、少し不安定な気分になった。
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ホスピス病棟に入っていたせっちゃんが、眠るように旅立っていったと母から連絡があった。日曜の夜のことだ。
水曜日は握手をして、木曜日は手と手を重ね、金曜日は彼女の手の下に自分の手を入れた。土日はもう目を開かず、時々手を動かすだけだったと母からメッセージを受け取った。
木曜日に尋ねた時は、内緒話をするような声で話ができた。予想通り私はあまり話せず、せっちゃんからもらったぬいぐるみをずっと抱いて見せていた。3か月前とは全く違う彼女を見て、驚きと実感がこみ上げ思わず涙が出てしまい、余計に話すことが出来なくなってしまったのだ。
会社の話、共通の知人の話をする母に、せっちゃんと一緒に相槌をうつ。母が天然なこと言って私が突っ込むと、笑っているような仕草もする。
そろそろ帰ろうか、となった時に、母が思い出したように「みほが書いたnote、時々せっちゃんに送ってるんだよ」と言った。恐らく祖父母のことを書いた時に伝えたものだろう。それを聞くと急にせっちゃんが、何度も、何度も、「これからも、書いてね」と言い始めた。「これからも書くよ」と言っても、何度も繰り返し話しかけてくる。
せっちゃんの手に私の手を重ね、「ありがとう、またね」と言おうと思って言葉を詰まらせた時も、最後に病室を出る時も、「書いてね」と言い続けてくれた。結局、それが最後に私にかけてくれた言葉になった。
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長い人類の歴史の中では、人の死は特別なことではない、流れる日々の出来事なんだろうなあと思う。私たちは目に見えない大きな歯車の中にいて、生きたり死んだりを繰り返しながらくるくる回っているのだろう。
生きることと死ぬことについて、何か想いはあるかと言われると、今はまだ整理ができていないような気がする。し、今後できるかもわからない。
けれど整理ができていなかったとしても、今日はなんだか書きたいな、と思った。答えの出ないもんもんとした想いをうまくまとめられなくても、とりあえずそのまま書いておこうと思った。そしてもちろん、今後も書きたい。わかりづらいし自信ももてない文章だけど(もちろんうまくなりたいから努力もするけれど)、せっちゃんの「書いてね」に甘えて、生きてるうちは書いていようと思った。
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