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「親ガチャ」は一度の失敗ではなく、それをリカバリーできないことをさす

昨晩、布団の中に入って目をつぶっていると、
上の方から、なにやら子供のすさまじい泣き声が。

我が家は鉄筋コンクリート造りで防音性は高いはずなのに、やけにクリアに聞こえるので「おそらく家から閉め出されているのでは?」と、パートナーと話していました。

よくある話。現にパートナーにも身に覚えがあったそう。
でも、傍から見ている側としては「泣いている時間、長いな…」という感想でした。

私は、昨日こんな記事を書いた手前、ちょっと不安になりました。
あの子にとって、今日の経験がトラウマになってしまいませんように。

家に入れたら、お母さんはちゃんと謝って、抱きしめてくれるんだろうか。


日本では「当たり前の光景」

昨日の話をもうひとつします。

とあるnote記事を読みました。

親ガチャって、最近流行ってるけど、そんな気軽に言っちゃダメだよ~、
親に進路を決められるとか、鍵っ子で寂しかったとか、きょうだいと対応に差をつけられたとか、家族にひきこもりがいるとか、
そのくらい普通、当たり前にどこにでもある。
どこの家庭にも探せば事情くらいあるよ~、だから親ガチャとか無意味なこと言わないで、親が傷つくだけだよ

履歴に残ってなかったのでうろ覚えです

要約するとそんな記事でした。

私も、おおむね同意です。
挙げられていた例は日本では多くの家庭で見聞きすることだと思います。

でも、結論だけは納得がいきませんでした。
私もよく言うからわかるんですが、親ガチャ失敗した、って、主語が「自分」なんですよね。失敗したのを自分のせいにできる。

だから、
他の人に自分の事情…精神疾患を抱えていること、を説明しなければならなくなった時に
「子育てを失敗した親」のせいでなく、「親ガチャをミスった自分」のケースとして説明でき、しかもライトな印象を与えられる、魔法の言葉なんです。
親を責めるどころか、むしろ守るための言葉だと思います。

日本は心理的虐待が多い

虐待には5種類あって

  1. 身体的虐待 (暴力をふるう)

  2. ネグレクト (世話をしない)

  3. 性的虐待

  4. 経済的虐待 (実際はかけられるお金を出さない。もともと貧乏など、子供が納得しているケースは含みません)

  5. 心理的虐待

がその5つです。

多くの人が「虐待」という言葉を聞くと連想するのは「身体的虐待」、よくて「ネグレクト」までではないでしょうか。実際私もそう思っていました。

先ほどのnoteに挙げられていた例、もう一度出しますが

親に進路を決められるとか、鍵っ子で寂しかったとか、きょうだいと対応に差をつけられたとか、家族にひきこもりがいるとか

「鍵っ子で寂しかった」は程度によってはネグレクトも含むかもしれませんが
だいたい「子供から決定権を奪う」「ヤングケアラーをさせる」「子供に窮屈な思いをさせ、ありのままの気持ちを受け止めない」という、心理的虐待の要素が入っている例になっています。

親の役割は、子供の心を受け止め、安全基地になること

心理学者の西尾和美さんの研究によると、
日本の8割の家庭では、子供とのコミュニケーションに異常をきたしているそうです。

だから「そのくらい普通、どこのおうちにもある」って、あまり言い訳になってない。

昨日の記事でも軽く紹介したので、続けて読んでくださっている方には既読の内容になりますが、
心理学者ボウルビィが証明した「愛着形成」の理論を再度ご紹介します。

人間を含む哺乳類は1~2歳の頃、ひとりの特定の養育者(かならずしも母親でなくてもよい)とのスキンシップによって愛着を形成します。
愛着が形成されると、その人を「安全基地」にして、少し離れて行動ができるようになります。
そしてケガをしたり、なにかいやなことが起こった時に「安全基地」…つまり養育者のところに帰って、癒してもらう。
癒してもらえるのがわかっているから、次のケガを恐れずにまた探索にでかけられる
それがだんだんひろがっていって「近所の公園」「学校」「電車で数駅の大きな街」そして「社会」に、探索に出られるようになっていく。

これが、ボウルビィのいう「愛着形成理論」です。

私は愛着形成がうまくできないまま大人になってしまった

ちなみに、ボウルビィの愛着形成理論を受け、エインズワースという心理学者が、人間の子供の愛着の安定性を確認するための方法を発見しています。

それが「一緒に遊んでいる最中に母親が退出→再入室した際の子供の反応を見る」という方法なのですが、

  • 安定型…母親が退出すると泣く、再入室するとすぐ駆け寄り抱っこを求める(愛着形成が十分できている)

  • 回避型…退出、再入室する母親に無反応(愛着形成が十分でない)

  • 葛藤型…再入室後の親に敵意や攻撃を示す(愛着形成が十分でない)

  • 無秩序型…母親が近づいても回避する、突然泣き出す(虐待の可能性)


ここで、私の幼少期の話をします。
といっても私自身は覚えていなくて、あとから母親から聞いた話なのですが、

3歳ごろのある日、一緒に買い物をしていると、会計の途中で私がいなくなったそうです。
母は必死に私を探して、2時間ほど経ってからようやく交番で私と再会。

私は、「あとで行こうね」と言われていたパン屋さんにひとりで行っていたらしく
再会してひとことめが「遅かったね」だったそう。

3歳なので、エインズワースの上記の実験よりもう少し複雑な感情が身についていてもおかしくはない時期ですが
あえて上記4つの型にあてはめるとすれば「回避型」
母の不在時も、再会のときにも無反応、でした。

そして15年後、私は精神疾患を抱えます

虐待かどうか判断するのは「子供が傷を抱えないため」

精神科に通い始めてから、母と話をしたことがあります。
「何がそんなにつらかったの?」と聞かれたので、いろいろと答えました。
一人っ子の共働きで家に誰もいないから寂しかった、夕飯がお惣菜ばかりだと大事にされていない気持ちになった、などなど。

私も自分の感情をまだきちんと把握できていなかったので、そんな些細なことしか不満を見つけられなかったのもよくなかったのかもしれませんが

「そのくらいどこのおうちにもある、さくらは完璧主義すぎる」と泣かれました。


今なら言い返せる。
そもそも虐待がなぜいけなくて、児童相談所という組織がなぜ存在するかというと、子供にとって親は自分の命をもろに握っている強力な存在だから。
かんたんに人生を曲げられるくらいの力を持っているから、親によって子供が傷を負わないようにするために存在しているのです。

だから「児童相談所が介入しなければ虐待でない」も
「どこのおうちにもあるから虐待ではない」も、間違い。
子供が傷ついたら、それは虐待なのです。

我が家のケースでは、子供が家族関係を理由に精神疾患にかかっているので、心理的虐待と断言できると思います。

そして。
あのとき私が言うべきだったのは、夕飯が惣菜ばかりだったことでも家に誰もいないから寂しかったことでもなくて
「母が父の家系を…自分の源泉の片方を全否定するから、自分のことを汚いと思ってしまった」「寂しい時に母が私より仕事を優先し、それがずっと続いたから、自分は受け入れてもらえないと思ってしまったから」で
惣菜やらなんやらはその感情を補強するための材料でしかありませんでした。
ここに関しては、きちんと答えられなくて、母親にすこし申し訳ない気持ちが残っています。
たぶん、彼女の欲しかった回答ではないことを言ってしまった。彼女にとってもわだかまりが残っているのではと思います。

昨晩のお子さんのおうちの方が、抱きしめてくれることを祈って

私のパートナーは、たぶん2割の、機能不全家族でない家庭で育った人です。
そんな彼でも「家から閉め出される」は経験があったそうで、
「あれは子供が反省するまでとかじゃなくて、親が落ち着くまでの時間稼ぎなんだよな~」と言っていました。

日頃のコミュニケーションできちんと愛着形成ができていれば
1回や2回泣かされたり閉め出されたりしても、
そのあと「安定型」の反応のように駆け寄る子供を抱きしめてあげることで、子供が深刻な傷を負うことは回避できるのだと思います。

大事なのは完璧であることではなく、失敗をリカバリーできる信頼があること。

私があの時、母親に言い返したかった言葉であり
昨日のおうちに伝えたいことです。



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