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「境界のない世界」になっていく。 - 「あいつら」のいない世界

まず前提として、人と人との対立は他者との間に「境界」(=壁、分離、心理的距離)があることが原因で起こります。
言い換えると、思考の中で「自分たち」と「あいつら」というグループ分けがあることにより、利害衝突が起きます。
例1:「自分たち」が生き残るためなら「あいつら」は犠牲になってもいい
例2:「あいつら」のせいで「自分たち」は上手くいかない
例3:どうして「あいつら」のために分け与えないといけないんだ

しかし今後の社会では、これらの分離は次第になくなっていくと考えられます。他者を理解することで、「境界」がなくなっていくのです。

歴史的に見ても、「境界」がなくなる流れは続いてきました。
鎖国下の日本人にとって米国人は「あいつら」でした。戦時中の敵国は「あいつら」でした。しかしグローバル社会となった今では相互に理解が進み、外国に壁を感じる人はかなり減っているのではないでしょうか。
現代ではインターネットの普及により、より多くの情報にアクセスして自分と異なる考え方に触れる機会が増えました。スマートフォンとSNSの普及により、さらに微妙なニュアンスまで含めた意見交換が盛んになりました。
これまで「理解できないあいつら」として退けられてきた社会的弱者=マイノリティへの理解も急速に進んでいます。

今後の社会ではどうでしょうか?

カギとなるのはテクノロジーの発展です。
VRや神経工学などの発展によって、他者の感覚・記憶・思考をリアルに追体験できるようになっていきます。

「なぜあの人はそういう反応をするんだろう」
「なぜあの人はあんなことを言うんだろう」
「なぜあの人は言うことを聞いてくれないんだろう」
「なぜあの人はこんなこともできないんだろう」

こういった疑問や不満を持ったことはないでしょうか?
そして人との衝突につながったことはないでしょうか?

では目の前の人がその行動に至った思考などを追体験できるとしたら?
自分では気付けなかった視点に気付き、相手を理解できそうですよね。
「それなら仕方ない」と共感すれば、不要な衝突を避けることになるかもしれません。

こういったテクノロジーが普及し、相互理解が加速すれば、人と人の間の「境界」はどんどん薄れていくと考えられます。現に、障害者理解のために利用が進められています。障害者だけでなく、自分と考え方が合わない「あいつら」の感覚・思考を追体験することで、理解が深まると考えられます。生まれも育ちも違う世界中の人たちのことを理解するようになります。

「あいつら」と感覚・記憶・思考を共有したあなたは、もはやその人たちを「あいつら」として見れなくなるからです。

私は、人と人との衝突は「相手を知らない・理解しない」ことから起こると考えています。「無関心」とも言えるかもしれません。「よくわからないやつ」には冷たいんですよね。

相互理解が進み、「あいつら」がいなくなった世界(=「自分たち」の範囲が拡大した世界)では、戦争・格差・環境汚染などの世界規模の問題はもはや他人事ではなくなります。身近な生活の中でも、相手を傷つけると自分が傷つくことになります。相手に損をさせると自分も損をします。抽象的かもしれませんが、感覚として自分と他者を切り分けられなくなっていきます。

ここに挙げたテクノロジーもその利用例も、ほんの一部です。今後あらゆる分野で急速にテクノロジーが発展していきます。それに伴って社会も急速に変わっていきます。

その行く先に、分離ではなく統合が、対立ではなく協調が、不信ではなく信頼があることを信じています。

みはえる

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