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誰もが"ブラック・ミラー"を語り、誰も原作者について語らないはなし

2010年中旬、私はイギリスの田舎でグラフィックデザインを学んでいた。英語が拙く、発音を聞き取ってもらえない自分は、NHKでシーズン2までしか放送しなかった"(新)ドクター・フー(2005–)""SHERLOCK/シャーロック(2010–17)"を追いながら、テナントカンバーバッチの発音を真似た。当時は"ダウントン・アビー(2010–15)"も視聴していたが、先の2作品や"ブロードチャーチ(2013–17)"のようなSFやミステリーは、英語のニュアンスを理解するには、わかりやすく楽しめた(2010年代のイギリスドラマ、名作尽しか?)。そんな中、Channel4が放送した超マイナーなSF短編ドラマがカルト的な人気を博した。
"ブラック・ミラー(2010–)"というのですが。

今ではNetflixの看板作品としても挙げられる、"ブラック・ミラー"。よく、"世にも奇妙な物語(1990–)"と乱雑に並べられていることに私はあまり納得がいかない。確かに"近未来SF的要素のあるダーク/胸糞ドラマ"とレッテル付けするのは簡単であるが、原作者チャーリー・ブルッカーのことを知っていれば、全くの別物だとわかるはずだ。"ブラック・ミラー"を語る者は多いが、ブルッカーに関して語るものは数少ない。私は彼を語らずして"ブラック・ミラー"シリーズを語るのは不可能だろうと確信している。

シーズン6のレビューはこちらから。


チャーリー・ブルッカーはイギリスのコメディアンとして知られている。また、番組司会者、作家、プロデューサーでもあり、ジャーナリスト、ライターとしても活躍している。彼のコメディのスタイルは英国的なドライさと強烈な風刺を根本に、喜劇的でどこか不遜なトーンがある

例えば(おそらくブルッカーの持ちネタで一番有名な)このコント。
"テレビにおけるニュース報道が映像言語としてテンプレ化している現象"をニュース報道風に読み上げるという(クッソ高度な)コントである。ブルッカーの低予算ワンマン番組 "Wipe(2006–20)"シリーズでは先のようなコントを交えて、スタジオ(あるいは自宅)から画面越しにトピックを解説しながら、皮肉を飛ばすスタイルで人気を博した(このスタイルはYoutuberのビデオエッセイの先駆けともいえるだろう)。番組ではテレビの報道姿勢、テレビ、映画やCMが社会や視聴者に与える影響や、文化的価値を、風刺的にユーモア交えて、解説、検証、批判している。またSNSメディアの反応社会/政治情勢を交え、幅広いテーマ取り扱った(例として、セレブに対するセンセーショナリズム、(いわゆる"ドゥームスクローリング"などを引き起こす)感情操作、イメージの歪曲、感動ポルノなど)。当たり前だが彼の番組はめちゃくちゃ政治的である。(この際、Grandaddyの"A.M. 180"とNathan Fakeの"You Are Here (Fortdax Mix)"のテーマ曲が最高にイカしてるのにも言及しておく。)

特別番組、"How TV Ruined Your Life(2011)"では、これらのテレビ報道とメディアによる影響を"恐怖、生活、願望、愛、進歩、知識"の角度から扱ったブルッカーのテレビ/メディア批評(とコント)の集大成ともいえる高い完成度を誇る。

また番組内のコントに登場する、すっとぼけた一般市民役で登場するアル・キャンベルダイアン・モルガンも魅力的だ。モルガンを主役にした"Cunk on (2016–)"シリーズは番組内のコーナーからBBCの番組化を経てNetflixでも配信している。こちらは真面目な顔して専門家に直球にドアホな質問をしながら歴史を紐解くというコメディである(翻訳すると面白さが半減するので英語での視聴をオススメする)。

"Wipe"シリーズ以外のブルッカーの活躍は、討論コメディ番組"10 O'Clock Live(2011–13)"の司会メンバー、近年では長者ニュースクイズ番組 "Have I Got News for You(1990–)" にゲスト司会としてほぼ毎シーズン登場している。

また単発番組、"Gameswipe(2009)""How Videogames Changed the World (2013)"ではゲーム評論と、ゲームに対するメディアの反応と人々への影響を解説している(後者のテーマ曲がなぜかゲームボーイ版のロボコップなのかは謎だが)。

ブルッカーが初めてドラマを執筆したのは短編ドラマ、"Dead Set(2008)"。リアリティー番組"Big Brother(2000–)"の撮影中にゾンビアウトブレイクが起こり、出演者たちがテレビ局のセット内でゾンビや、他の出演者と格闘するホラードラマだ。低予算だが完成度の高く、"テレビ局×ゾンビ"という巧みなギミックと、リアリティ番組における現実とフィクションの曖昧な境界人間ドラマをやりすぎるぐらいに操作する制作側リアリティ番組への憧れセレブ崇拝覗き見や名声への執着するカルチャーへの批評が色濃く反映されている。(5話完結だし"The Walking Dead(2010–23)"よりは見やすいのでは。)

ブルッカーと"Wipe"シリーズから関わりのある、アナベル・ジョーンズ製作総指揮の"ブラック・ミラー"は現代版"トワイライト・ゾーン(1959–64)"を製作するところから始まった。"トワイライト・ゾーン"は作家であり敏腕プロデューサーのロッド・サーリングによって製作され、日本では"未知の世界"、"ミステリー・ゾーン"や"あなたは信じますか"(なんじゃそら)の邦題で放送され、"世にも奇妙な物語"の誕生のインスピレーションともなったSF短編番組だ。サーリングは政治的で物議を醸すような題材を、超自然的な現象が起こるSF設定と掛け合わせる表現に辿りつき、次第に番組はファンタジーホラーに傾むくこともあった。その根幹には「運命の残酷な無関心と無慈悲さ、そして詩的正義の皮肉」があると彼は語っている。

冷戦の最中に幼少期を過ごしたブルッカーは、幼い頃に見たSFパニック映画、"The Day of the Triffids (1963)"や、核戦争を想定したドキュメンタリー、"QED -A Guide to Armagedon(1982)"や(当時レーガン大統領が日記に「まじヤバい」と書き記したほどの)"The Day After(1983)を引き合いに、人々が平穏な日常を暮らす一方、脳のどこかで"いつか起りえる終末"を意識していることに言及しており、"ブラック・ミラー"はその恐怖意識を見事にエンタメ化させた成功例とも言える。

"ブラック・ミラー"は一種の推理小説風のオムニバス作品であり、科学技術の発展と現代の社会問題に対する論評であり、 テクノロジーの暗黒面や、社会に与える潜在的な影響のリフレクションである。

そこにはブルッカーが自身のコメディシリーズと"Dead Set" で培ってきた、社会風刺テクノロジーへの恐れ、そしてなによりメディア(テレビ、ゲーム、ネット)批評が一貫して痛烈に描かれている。

科学技術の発展が人間のあらゆる欲望を満たすデバイス(大抵は現在の技術の進歩を外挿した架空の技術)として表現され、それが人によって湾曲、ないし感情を超えた極端な行動を引き起こし、展開を裏切るようなどんでん返しや、バッドエンドほろ苦い結末を迎え、視聴者の感情を揺さぶる。ありきたりなダークディストピアチックな演出に陥ることはなく、初期のエピソード(地上波放送のため、CMを考慮した構成と尺になっている)は英国ドラマの色合いがより強く、Netfilix以降では予算の増大オーディエンスの拡大アメリカンチックなポップさやノスタルジックな演出や設定で作風やジャンル、ストーリーテリングの幅が鮮やかである。

"人""社会"を繋げる"スクリーン"を消した時、"ブラック・ミラー(黒い鏡)"が現れ、人と人との繋がり人間性そのものを問いかける。

そしてブリティッシュユーモアを忘れず。


"ブラック・ミラー"の新シリーズに期待を膨らませつつ、旧エピソードを再視聴することになるだろう。そこには、最初の放送から10年以上が経ち、技術も大きく発展した今だからこそ、きっと新たな発見があるだろう。

until then. go away. (次の機会まで。帰れ。)


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