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先日友人と日本の映画 Plan 75を映画館で観ました。
セレクト映画を上映するシアターは封切初日ということもあり、ほぼ満員。

映画の内容は詳しくは書きませんが、超高齢化社会の日本で75歳以上の人が自ら死を選択することを認める制度ができた時の物語です。


倍賞千恵子さん演じるミチが、職探しをするのに「もうちょっとがんばれるかな、と思って。。」と言ったとき、きっと誰もがそんな風に思いながら、老いていくんだろうな、と思いました。(私も?!)

映画の中で死を選択する高齢者は、みんな孤独でした。そしてどこかにつながりを静かに求めていました。

人が死を自ら選択するのは、未来に対して希望がなく、絶望しているから。
未来に何の楽しみも幸せも期待できない、もっというなら未来に現在から続く苦しみがあるようにしか見えないから。

私には高齢化だけが問題ではなく、それに付随してくる高齢者の疎外(=孤独)が本当の問題になると感じました。

因みにアメリカ人友人に映画の感想を聞いてみたところ、「絶対にあり得ない、助けを求めることだってできるはず。高齢化社会問題は分かるけど、制度によって排除してしまえばいいというのは恐ろしいこと」とコメントしていました。
ちなみに、バイデン大統領は80歳、トランプ前大統領は76歳。
本当に人間はX歳だからxxという数字での判断はできません。

幸せの要素として、「人とのつながり」があります。

つながりは、どんなところでもできます。家族、友人、知り合い、近所の人、商店街のお饅頭屋さん、などなど。
小さなふれあいから、強い絆まで様々なつながりがあるけれど、そのひとつひとつに幸せを感じる時間があると思いました。

映画の主人公のミチが、毎日何かを待っているように郵便受けを見にいくシーンを見て、母を想いました。
母は、スマホやコンピューターができませんから、私からメールや動画を送ることができません。そのかわり、私は週に1度日本の母に手紙を書いて送ります。その中に必ず1-2枚の写真を同封して。

そうすると私のデスクで書いたこのメモと写真が、まるで自分の分身のように母の元に飛んで行ってくれるように思えるのです。
母は、写真入り手紙がとても楽しみなようで、最初は電話でわざわざ手紙が届いたことを知らせてくれていました。

電話やFace Timeもいいけれど、その人の家に届いて、いつでも手にとって眺められる手紙と写真、私から母への定期便です。

孤独にさせない、感じさせないことへの小さな行動、これからも続けていきます。

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