『火の鳥』の絵本は 美しい絵本だった
手塚治虫さんの『火の鳥』が絵本になる、という新聞の見出しを見た時には、驚いた。あの壮大な物語が、どうやったら絵本になるのだろうかと、想像もつかなかった。
でも、記事を読むと、手塚プロ公認の絵本であるらしいこと。それから、絵本を手掛けるのが、鈴木まもるさんだということが分かり、だんだんとわくわくしてきた。
鈴木まもるさんは、絵本好きにとっては『せんろはつづく』のシリーズで有名だけれど、その他にも、良質で、子どもたちにも人気のある絵本を、何冊も何冊も世に送り出している。私は、最近では『どこからきたの おべんとう』という本が大好き。丁寧な取材と、細かくて妥協のない描写、そして、ちょっとした遊び心にあふれていて、ものすごく密度の濃い本。
そして何より、かこさとしさんが亡くなる直前まで手掛けていた最後の絵本『みずとは なんじゃ?』の絵を描いたのも、鈴木まもるさん。Scientistでもあったかこさとしさんが、絵を託した人。
何が生まれるのだろう、楽しみになった。
そして、数カ月。
期待していた絵本を、ようやく読んだ。
あぁ、こうなるのか、と、深いため息が出た。
見渡す限りのラベンダー畑に咲く花々を集めて、1滴のラベンダーオイルを抽出したような、そんな絵本。
後書きを読んで、鈴木まもるさんが、『火の鳥』と中学生の時に出合い、心打たれたことを知る。そういう想いの在る人が、自分の中の深い深いところで全部受け止めて、そこから、核となるものを描くと、こういう絵本になるんだなぁ。
何よりも、絵が本当に美しかった。命の美しさ。
目に見えないはずのものなのに、「あぁ、これが命なんだな」って思える圧倒的な説得力があった。
私は『火の鳥』を、生きることの愚かさと切なさがぎゅぎゅっと詰まっている物語だなぁ、って感じている。
生きる、ってそれだけで、誰かを押しのけたり、傷つけたり、奪ったりすることが沢山ある。生きることの業の深さみたいなものを沢山見せられて、物語の世界に飲み込まれそうになる。
でも、愚かなのは、必死に生きているからなんだと思う。
愚かで切ないんだけれど、だからこそ、愛おしい。
愚かだし切ないし、HappyEndじゃない作品も多いけれど、それでも、その愚かさに惹かれて、何度も何度も読み返してしまう。
一方、この絵本では、そういう人間たちの業の世界ではなく、愛おしさの方にぎゅっと視点をあてて描いていると感じた。
命が連綿とつながること、その連なりの1つとして生きることへの、率直な賛美だなぁ、と思った。
とりわけ最後の場面に出てくる空の色が、本当に好き。
空を見上げれば、火の鳥は、いつでも近くにいるのかもしれない。