死生観は心の状態の指標?
このご時世、死生観について考える人が多いと思います。
と言うより、今まで考えてこなかった人は、考えた方がいいのでは?と思ったり…。
偉そうにすみません。
ということで、死生観について思うところをここに残します。
***
昨今の日本では、「死ぬのはイヤ」と「死ぬのはしょうがない」と思う人達に分かれるらしい。
死生観が分かれるということだ。
このご時世だから分かれたのではなく、それが浮き彫りになってきただけなのかもしれない。
そして、「死ぬのはイヤ」の方が圧倒的に多いらしい。
実際に調査したかどうかは知らないけど。
死生観は個人で違って当たり前。
でも、「死ぬのはイヤ」で生きるのって、窮屈で何かと不自由だと思う。一言で表現したら、「生きづらい」と思う。
生きづらい時って、こだわりが強くて物事を達観することが難しいよね。
もちろん、この「イヤ」の中には、「子どもを残して逝けない」もあれば「やり残したことがあるからまだ生きたい」「単純に死ぬのが怖い」など、人それぞれでしょう。
けど、そんな各々の事情は、実はあまり関係ないと思っている。
達観できないということがポイントじゃないかな。
かく言う私も、数年前までは多数派だった。
「死ぬのはイヤ」と言うより、「こんな状態のまま今死ぬなんて恐ろしい」だった。
当時の私はとても生きづらかった。ほとんどの時間を不安とともに過ごし、時々パニックの症状が出るくらい。
関連記事
⇒「このまま死んだらどんな気持ちか?」を全力で考えたら恐怖で全身総毛立った
ここ数年で、自分を見つめ、不要な感情を解放し、心の色メガネがクリアに近づき、自分の中に安心・安全が増えて、心身ともに軽く楽になったら、死生観まで変わったんだよね。
今の私は、「人間必ず死ぬんだからジタバタしても仕方ないでしょ。だったら死ぬまでに自由に生きたい」と思っている。
(だからと言って、ウイルス対策を全くしないわけではないよ。周りにも配慮するしね。)
もちろん死ぬのは怖くないと言えば嘘になるし、「今死ね」と言われたら動揺するとは思う。死ぬ間際の痛みや苦しみは経験したくないし。
でも、昔の私とは死に対する受け止め方が明らかに異なる。
そんなふうに死を受け止められるのは、
「あなたがそこそこの年月を生きてきたからじゃないか」
「あなたには守るべきものがないからだ」
などと言いたくなる人がいるかもしれない。
けど、年齢や状況はさほど関係ないよ。
内面の問題だと思う。
個人的意見だけど、「死ぬのはイヤ」派の人達は、心の根底にある怖れや不安が幅を利かせている可能性が高いと思う。
なので、世の中で何か起こると、その怖れや不安が強く反応しちゃう。
ということは、日本には生きづらい人の方が多いことになるね。
実際、周りを見渡す限り、生きづらい人はかなり多いように見える。私の解釈だけど、まあそうだと思う。
最近では、自分の生きづらさを自覚されている方も増えてはきたようだけど、気づいていない方も多いよなぁ。
パニック障害やうつ病などの心の病を発症しなくても、生きづらい人はたくさんいるからね。
ということで、人の死生観は、生きづらいかそうでないかをあぶり出す、一つのバロメーターかなと思ったわけ。
人が必ずしも死なないということであれば、何としてでも命を死守したいと思うかもしれない。
けど、誰でも平等に100%必ず絶対に死ぬからね。受け入れざるを得ないよね。いい意味で諦めると言うか。
なんて言ってるけど、死を目の前にしたら抵抗したくなるかもね。
でも今は、動揺せずに「仕方ない」と思えるから良しとしよう。
今、心穏やかに過ごせているということが大事だから。
いずれにしても、死ぬ時に心残りのないように生きたいなぁ。
長沼美恵/Mie Naganuma
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?