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アラフィフ野郎の、人生の節目の歌~学生時代編

これまで、夏の歌、カラオケ鉄板曲、失恋の歌などを思い出と共にアップしてきましたが、歌は世につれ、世は歌につれということで、これまでの人生で節目だった時の思い出の曲を、今日はアップしてみたいと思います!

過去の選曲と被る可能性大ですが(苦笑)、何卒ご容赦くださいm(_ _;)m

では若かりし頃からこれは人生において節目だった!忘れられない出来事があった!という順番にアップしていきたいと思います🎤


「1/2の神話/中森明菜」

・横浜の小学校を卒業し、広島県大竹市へ引っ越す頃の思い出。

広島県民になったのは中学校に上がるタイミングだったというのは既に何度か書いておりますが、「1/2の神話」はまさにその頃のヒット曲で、親子揃って慣れない地で再出発!という当時の気持ちを思い出させてくれます。


「僕笑っちゃいます/風見しんご」

・初失恋の思い出でもあると同時に、クラスの打ち上げでアカペラで歌った思い出。

中学1年の文化祭で、クラスで展示品を各自が作ってきて展示する出し物をやったのですが、その打ち上げをやった際、クラスのみんなに何してもいいと先生が呼び掛けていたにも関わらず、みんな恥ずかしがって誰も手を挙げなかったんです。

そこで実は私が毎晩風呂で練習していた、「僕笑っちゃいます」をフリ付き&アカペラで歌ったんですよ🎤

有難いことに大ウケしまして、ますます私のイメージが「欽ちゃんファミリー」に染まっていきました(笑)


「渚のハイカラ人魚/小泉今日子」

・中2の修学旅行でこの曲の替え歌を歌って、大ウケした思い出。

中学2年生に上がり、新しいクラスになったんですが、まだ全体の雰囲気がよく分からない5月に、早くも修学旅行があったんですw(゚△゚;)w

行先は北九州(大分の耶馬渓、熊本の阿蘇山、長崎の平和資料館等)で、オールバス移動(@_☆)

バスは苦手なので、席は頼んで前の方にしてもらったんですが、長い移動中に何もないのもつまらないので、1曲又も替え歌を用意していきました(笑)

「渚のハイカラ人魚」に合わせて、2年生の担任の先生のことを面白おかしく例えた替え歌だったんですが、バスの中で披露したらウケまして、半年前の文化祭の打ち上げと共に、「コイツ、普段は静かだけどなんかやらせたら面白い」というような認識が、皆さんに広がった思い出があります(^▽^;)


「青いスタスィオン/河合その子」

・中学校を卒業し、高校に入学したころの思い出。

中学卒業時点で私は精神的に荒廃していたのは既に記事にしておりますが、
↓ ↓ ↓

高校に入った後、元カノさんと同じ高校になったのは仕方ないけど、全体で370名を超え、1学年8クラスもある状態なら、精々で吹奏楽部で元カノさんと顔を合わす程度だろうと思っていたんです。
それだけなら、元カノさんと喋らなきゃいいだけですし(^_^;)

それが蓋を開けると、なんと同じクラスに配属されているじゃないですか!
しかも男子、女子、男子・・・と列は作られていて、勿論最初は出席番号順。
私は苗字がア行、元カノさんもア行。
左を向いたら2~3か月前に酷い仕打ちを受けた元カノさんがいるという、個人的には最悪な高校の船出となりました(苦笑)

そんな苦しい精神状態を支えてくれたのは、中3末期からおニャン子クラブのメンバー達でした(*ノωノ)
中でもこの頃のやり場のない虚しさを支えてくれたのは、「青いスタスィオン」です。

余談ですが高校の入学式の日に、アイドルの岡田有希子さんが飛び降り自殺をしたのは、あまりに衝撃的でした。


「I DON’T KNOW!/BaBe」

・高校の吹奏楽部で部長になるも、なかなかうまく運営出来なかった最初の頃、元気を出させてくれた思い出。

高校の吹奏楽部で部長になったものの、当初は先輩からの圧もあり、何をやっても空回りし上手くいかず、ストレスで痩せてしまったほどでした。

何とか毎日休まず高校には通っていましたが、夜帰宅すると、明日の朝が来なけりゃいい等と、17歳とは思えない思考回路になったりしてましたね(^_^;)

その頃ヒットしていたこの曲が、とても元気が出る曲だったので毎朝登校時には、ザ・ベストテンやザ・トップテンから録音した「I DON’T KNOW」を聴いて、気合を入れて登校していました。


「白夜/THE ALFEE」

・吹奏楽コンクールに全てをささげた17歳の夏の思い出。

吹奏楽コンクールについてはよく記事にしておりますので、ここでは省略しますが、打楽器に移籍したはいいものの、本番でちゃんとティンパニを叩けるだろうかとコンクール当日が迫って来るにつれ、緊張が高まってきました。

そんな17歳の夏は、ヒット曲と言えば「白夜」に尽きるという感じです。他にもヒット曲はありましたが、この頃アル中だった私は「白夜」の持つちょっとしたミステリアスなムードに惹かれ、毎日のように自宅で聴いていました。


「風のLONELY WAY/杉山清貴」

・初めて入院生活を送った時、吹奏楽部のみんなからの励ましに号泣した思い出。

高2の2月、私の通っている廿日市西高校がある廿日市地域の小中高の吹奏楽部が集まっての、「第2回ブラスフェスティバル」というイベントがありました。

実は打楽器移籍後、このステージが私のドラム初披露の場だったんですが、なんと本番前日に風邪をこじらせて救急車で病院に運ばれ、即入院になってしまったんです。

元々その数日前から風邪を引いていて、このイベントがあるからと無理して投稿したものの体調を悪化させ、高校まで母に迎えに来てもらったり、体調面では最悪に近かったんです。

ですが、やっと念願のドラムを叩けるからと、ずーっと無理して部活に出ていたら、本番前日に倒れてしまったんですね。
呼吸が出来ない症状になり、無理やり酸素吸入器で呼吸していたんですが、翌日のイベントに大迷惑を掛けてしまったことが悔しくて、病室のベッドで落ち込んでいました。

そしたらイベント本番前日の夜だというのに、副部長が寄せ書きを持ってきてくれたんです。

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密かに保管していたので、今も現物があるんですが、取り急ぎ書いてくれた寄せ書きが嬉しくて、不覚にもこれをもらった瞬間、号泣してしまいました。

残念ながら2月のイベントは出れませんでしたが、退院後少しずつ体調を整えて部活に顔を出した時には、手荒い復帰のお祝いをしてもらいました(笑)

これも高校の吹奏楽部での、忘れられないエピソードです。

その入院中、ラジオを聴いていたら、杉山清貴さんの「風のLONELY WAY」がよく掛かっていたんです。なので、バラードの曲調と合わせて、吹奏楽部のみんなに支えてもらった、とても思い出深い一曲です。


「語りつぐ愛に/薬師丸ひろ子」

・高校卒業という時期、この先の人生どうなるのだろうかと漠然とした不安を抱えていた思い出。

私が高校を卒業する直前に、昭和から平成に変わったんですが、ちょっと前の平成から令和に変わるようなカウントダウンイベントなど何もなく、世の中全てが自粛ムードで、テレビは昭和天皇がなくなられてから2日間、どの局を見ても昭和天皇に関する特番ばかりだったりで、物凄く重苦しいムードが漂っていました。

そんな中、最後の共通一次を受けたものの得意科目で慢心からか失点してしまい、国立大進学は諦めなくてはならないかも…という状態になっていたので、余計に私の精神状態も低速飛行になっていました(^_^;)

その頃、私が一番仲良くしていたグループがあったんですが、私以外は国立の志望校へ無事合格し、惜しくも浪人を選択した親友Yは、代わりに年上の恋人をゲットし、聞きたくもない惚気話を聞かされたりでした(苦笑)

自分だけ何もない!滑り止めの大学にやっと受かっただけじゃん!

この曲を聴くと、そんな、世間も自分自身も混沌とした頃が思い出されます。


「WHITE COMMUNICATION/永井真理子」

・落ち込んでばかりの大学生活で元気を取り戻したキッカケになった歌。

私は志望校に進学出来ず滑り止めの大学に通うという、人生で初めて味わう挫折に、大学1年生の時は苦しんでいました。

サークルにも入らなかったので、友達もなかなか出来ず、いわば暗黒時代です。

でも広島に残っていたことで、吹奏楽部の後輩が私を頼って遊びに行きませんか、と誘ってくれることが増えてきました。

そんな中カラオケに行った時、1つ年下の元気一杯の後輩の女の子が、永井真理子さんの「WHITE COMMUNICATION」を歌ったんです。
それを聴いた時、私の中で何かが弾け、元気を取り戻せたんです。

暗黒の大学生活を抜け出したキッカケの曲であり、後輩の女の子にも感謝ですし、永井真理子さんにも大学時代の私を救ってくれたということで感謝です。


「サヨナラ/GAO」

・就職先が富山に決まり、広島で過ごす日がカウントダウン状態になっていく寂しい思い出。

「人生の分岐点」という記事でも書いたのですが、広島の大学に通いつつも、両親は私が大学1年の時に先に富山へ戻っており、私は何処で就職すべきか大いに迷いました。
最終的には一人っ子なので親の世話をしなきゃならない、お墓を守らなきゃならないといった理由で富山で就職したんですが、広島で過ごす日が残り少なくなってくると、何もかも寂しくなってくるんですよね。

年が明け、平成5年になったら、身辺整理から始めないといけません。
片付けしながら、色々な曲をBGMに流していましたが、特にGAOさんの「サヨナラ」は、シンプルなタイトルと曲調に、逆に強く心に刻まれました。

今聴いても、広島を離れる寂しさ、富山で上手くやれるのかという不安な心境だった頃を思い出します。


本当は50歳まで書こうと思ったんですが、学生時代だけでここまで浪費してしまったので、2回に分けたいと思います(;^_^A

就職後の人生の節目、忘れられない出来事と曲は、次回に続きます~💦

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