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アルコール事変@1993.3.27

前回の記事で、偉そうに初めてのアルコールについて語っておりましたが、調子に乗るとやはり痛い目に遭うということを、私は社会人になる前に学ばせて頂きましたm(_ _)m

広島での学生生活を終え、富山への引っ越し手続きに入っていた私。

住んでいたアパートを引き払い、住民票を富山に移したのは、1993年3月12日でした。

ですが!

私には広島でやり残したことがまだありました。

1つ目は大学の卒業式です。これは3月24日に開かれることになっていました。

2つ目は高校の吹奏楽部の定期演奏会です。これは3月29日に開かれることになっていました。

また私は正式に採用される前段として、3月22日と23日に、新人研修を受けなくてはいけないことになっていました。

いや~、なかなか3月も押し迫ってからの日程は、ハードでしたね~((ノェ`*)っ))

そのため私は、3月23日の新人研修が終わった後、富山駅へ直行して「スーパー雷鳥号」に乗り、京都から初めての「のぞみ」に乗り、広島へと一時Uターンしました。

翌日の大学の卒業式については、これだけでネタ1本書けるので、またいつか書きたいと思いますが、広島へUターンしてから再び富山へ戻る3月30日まで、私は広島駅から近い、横川駅前にウィークリーマンションを借り、広島最後の1週間を過ごしていました。

その1週間で、高校の吹奏楽部の定期演奏会第3部で与えられた出番の曲を仕上げねばなりません。

私はほぼ毎日、高校へと通い、私が担当することとなったドラム3曲の練習をしながら過ごしていました。

ただその1週間で、まともにウィークリーマンションで過ごした時間はどれだけある???というほど、練習後は、ありがたいことに私との別れを惜しんでくれる皆さんと飲みに出かけてました(笑)

その中で一番強烈な事変が起きたのが、定期演奏会2日前の、3月27日です。


その日の練習後、カラオケに行こう!ということになりまして、私と後輩約10名ほどでカラオケに出掛けました。

私はガンガンと飲まされ、立場的にその場では一番年上なもんですから、注がれるままにビール、日本酒、カクテルを見境なく飲んでました。

するとちょっと気持ち悪くなってきたので、一度吐き出してスッキリさせようと思ったんです。

そしてトイレへ行き、気持ち悪くなっている原因物除去作業を行った後…


気を失いました!εミ(ο_ _)ο


その時刻が大体20:20頃。

そして行方不明になった私を後輩が探しに来てくれ、その声でハッと我に返ったのが22:30頃。

私は2時間余り、トイレの個室を占拠し、気を失っていたのです。

ここから少し記憶があります。
私は「助けてくれ~」と呻き、後輩達は「助けますけど、トイレの鍵だけは先輩が開けてくれなきゃ助けられません」と返し、「じゃ鍵開ける~」と、トイレの鍵を開けたんですが、私の記憶はここからまたプッツリと消えています。

その次の記憶は、誰かの車に乗せられ、何処かへ連れていかれている瞬間、ほんの10秒(笑)

更なる次の記憶は、誰かの家の寝床に担ぎ込まれ、布団に寝かされた瞬間、ほんの30秒(笑)

当然翌朝まで爆睡してたんですが、翌朝目を覚ました瞬間の、鈍器で後頭部を殴られたような頭痛、これは一生忘れられません(苦笑)

結局私は、1年年下のクラリネットの後輩宅へ担ぎ込まれたことが判明しまして、まだまだ激しい2日酔い状態ながら、丁寧に後輩のお母様にご挨拶させていただき、そのまま定期演奏会の練習へと車で送ってもらいました。

途中で2日酔いにはソルマック!という宣伝を思い出し、コンビニでソルマックを買って飲んだんですが、まあ不味いこと(@_☆)

2日酔いのままドラムの練習に臨んだのは、この時が最初で最後です(*ノωノ)

まあ夕方には流石に酔いも醒めていたのですが、その日は断固禁酒で夜を過ごしました(^_^;)


この時の体験以来、私は飲み会では、絶対にチャンポンはしない!

と固く心に決め、頑なに守っております!

若い皆さん、体を傷め付けるだけですから、無茶なことはしないようにしてくださいね♪

サポートして頂けるなんて、心からお礼申し上げます。ご支援頂けた分は、世の中のために使わせて頂きます。