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20230828(読書について)

 何のために本を読むのか。あまり考えたことがない。

 私は最近よくnoteの記事を空き時間に読んでいる。
そこで先ほど見かけた記事で気になる文章を見つけた。

「読書と年収の相関性について」
「本を読めば金は稼げる」

 昨今の世の中は多様性を認めようという流れがあるが、やはり全体の巨大な潮流としてお金を稼ぐことにばかり価値をつけようとしているように見えてならない。
 もちろん稼ぐことは重要だ。私も日々会社で働きながらマイペースに貯金や投資をしつつ、お金の勉強もそれなりにしているつもりだ。
 だからこそ、そこには最終的な目的があるべきだと考える。これもよく言われることだが、人間は死ぬ瞬間に最も富んでいるケースが多い。皮肉な話だが、いつ死ぬかわからない中で日々の不安と闘うために最も効果的だと考えられているものの一つが貨幣の存在である。
 しかし、死ぬ瞬間まで完全に不安を取り除くのはかなり困難な話であるし、それはお金によって取り除かれるようなものではないように思う。

 そこで読書の話に帰ってくる。本が我々にもたらしてくれるものはなにか。あらゆる種類の純粋な知である。活字離れと言われて久しいが、そのような中でもやはり読書に意義を見出す人は多い。前段の話の中で「本を読めば金は稼げる」という話があったが、ある意味では正しいものの本来その順番は逆のように思う。
 すなわち元からよく学ぶ人は結果的に大金を稼ぐ傾向にあり、そして読書を通じてインスピレーションが鍛えられることでより多くのチャンスを手にするという話で、金を稼げるから本を読もう!というわけで多くの金持ちが本を読んでいるとは思えない。

 さて、その上で私はどうかというとこれもまたお金のことなど関係なく昔から本が好きでたまらない。もちろん浮き沈みはあるが、今もなお読書に対する熱は冷めやらず、小説や自己啓発本、ビジネス本などを乱読している。
 先ほどの論で行けばこのままだと私は大金稼ぎになれるようだが、正直言って趣味の読書と財を成す云々の話は私の中であまり近づけたくはない二項である。読書に対して何か知恵やテクニックを求めることもあるが、とにかくただ活字を読みたい、この作者の世界に浸りたい、といった純粋な気持ちで向かい合うことも多く、むしろそちらの方が本来の私にとっての読書の目的である(JAZZを聴けたらなお良い)。

 文章を書くようになったのは最近であるが、これもまた悪くない。
 もう何も書けないだろうと思ったところからなぜだか頭の中で自分を通り越して話が展開するようになる。その感覚を味わえているだけで書いた甲斐がある。
 私が敬愛する村上春樹氏は毎朝早起きをして書斎でPCに向き合い、習慣的に文章をしたため続けているそうだ。もちろんまるで進まないこともあるらしい。その事実はある意味で私を安堵させてくれる。

 本の素晴らしい点はその不動性(変換で出てこないからきっとオリジナルの言葉だ)にある。
 つまり本はその内に持つ言葉の羅列を、たとえどれほど長い月日が流れたとしても保ち続けるのだ。
 船乗りが北極星を軸に自らがどれほど移動したかを測るように、かつて一度読んだはずの小説を数年してから読み直すとまるで異なる物語のように感じられるということがざらにある。
 それは単に中身を忘れてしまっただけということもあるが、人間は生きていると無意識の内に物事に対する捉え方、感性が少し前とは大きく変容する生き物であり、それを分析的に数値化して測るということはなかなか困難である。そもそも測ろうとする者はそういないだろう。
 そこで本という北極星は我々にその変化をひと目にして明らかにしてくれる。さらにいえばここでその本の内容の秀逸さや奥深さは関係ない。どんなに初見でつまらない内容だろうと二度目もそうとは限らないのだ。
 だからこそ私もまだまだより好みせず様々な書物に当たっていきたいと望んでいるし、時には再読して自分の変化を楽しむためにも読書を利用していきたい。

 学ぶことを辞めたら死んだも同然だ。進むしかない。

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