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痣があろうと

文・ハネサエ(OTONAMIE)

短大に通っていたころ、ある講師がことあるごとに「氷河期だからって」と言っていた。

「私たちが就職活動をしていた頃はね、もっっっとすごかったんだからね。氷河期どころじゃなかった。大っ氷河期。氷河期だからって就職できないなんて甘えたこと言わないことね」

その講師は私たちより20歳ほど年上で、よく授業そっちのけで自分の就職体験を語っていた。

「私が就職したのは学習塾だったんだけど、毎日毎日、塾生が休憩時間に使った湯呑を洗わされてね。当時は紙コップなんてものなくってさ。大量の湯呑をやっと洗い終わったと思ったら、また休憩時間がやってきて使い終わった湯呑がどっさり置かれてるわけ」

彼女は大量の湯呑を洗い続ける日々に嫌気が差して、毎日終業後にファミレスで勉強を続け、努力の甲斐あって英検1級を取得したのだという。

「私の人生の分かれ目は英検1級よ。お陰で『英検1級持ってる』って電話一本掛ければ仕事にありつけるんだから」

まだまだ清い心を持った子どもだった私は、仕事にありつくことの大変さを知り、そして、就職しても湯呑を洗い続けることになるかもしれないという覚悟をした。

また、彼女は

「同窓会なんかで会ってさ、けっきょく1番上手くいってる人ってのは同じところでずーーーっと働いていたコだね。長く働いた人が一番稼いでるのよ」

そんなことも言っていた。

彼女の言葉をまとめると、例え、湯呑を延々と洗うことになったとしても、同じところで辛抱強く働くのが社会で生きていくということ。文句があるなら英検1級を取りなさい、ということらしかった。

そして、何の因果か、私が新卒で働いた京都の小さな出版社では、下っ端の女子社員が30分おきに常務のお茶を取り替えるという慣習があった。来客のお茶出しも含めると、本当に文字通り湯呑ばかり洗っていた。

それでも彼女のお陰と言おうかなんと言おうか、「それが社会で生きること」だと素直に思っていた。だって、まだまだ20歳のお子さまですし。
彼女の言葉が概ね彼女の主観に基づいていたとしても、それが私が知り得た数少ない社会の断片のひとつだったのだ。

*

先日、ハローワーク四日市の方にお話を聞く機会があった。
印象的だったのは、私たちより少し下の世代、20代の人たちは仕事を長く続けるという感覚があまりないということだった。もちろんそれは、ポジティブな意味で。
キャリアアップのために転職を、とは近年よく耳にするけれど、そうは言っても世の中は長く同じ場所で働くことを前面に押し出していると思っていたし、まして若い人たちはかつての私みたいに大人が用意した建前みたいなものをまずはいったん鵜呑みにするものだとも思っていた。

もしかすると、可能な限り同じ職場で長く働かなくては、という意識って私も含め、就職氷河期世代に沁みついた痣みたいなものなんだろうか。

就職することが非常に困難で、手放したらもう二度と手に入らない。例えそれがどんな非道なブラック企業だったとしても、就職できただけ御の字、そんな時代を確かに私たちは生きていた。

ハローワーク四日市で働く職員さんの話では、就職氷河期世代の非正規雇用者は多いが転職活動に積極的ではない傾向があるのだという。

だって、私たちには沁みついた痣がある。

人間関係にそこそこ満足できて、空調に不満がなくて、休憩時間もちゃんとあって、休日も確保されているならそこは手放してはいけない安住の地に違いないのだ。

私はかつて、空調に大きな不満こそあれ、そこそこ人道的に働けて、お給料をきちんと頂ける会社で働いていた。例え、1日の大半、湯呑を洗っているような日があったとしても、余程の事情がない限り、転職なんて考えてはいけないのだと思っていた。

*

話は少し変わるが、私は結婚を機に三重県に流れ着いて、いろんな紆余曲折を経ているうちに、気が付いたらフリーランスでものを書いて、暮らしている。
必死で手に入れた職というより、今の環境でできることを探っているうちにこのような状況になっていた、という方が近い。
湯呑ばっかり洗っていたせいか、京都のその会社で5年以上働いていたのに社会性はろくに身につかず、子どもが産まれてからというもの慢性的に疲れていて、日々睡魔と戦っている。そんなだから、組織の中で働ける気が、からきししなかった。
英検1級を取得できなかった私は電話1本で仕事を得ることも、当然できない。

でも、時々、「誰かと働きたいなぁ」と思うこともやっぱりある。社会から逃げるように暮らしてきたけれど、ひとりってときどき心許ない。

ここ数年、夫によく「出勤したい。職場に行きたい」とこぼしている。
一応、会社という体裁で仕事をしているので、厳密にいえば出社しているけれど、私が働くそこはまごうかたなき自宅であり、目の前にはいつだって部屋干しの洗濯物が早く畳めと言わんばっかりにぶら下がっている。
そして、言わずもがな、同僚なんてものはなく、いつもひとり、もしくは下校した子どもたちが真横で騒いでいる。出勤とは程遠い。

私だって、やる気のない日にキラキラ働く先輩を見て背筋を正したりしたいし、失敗した後輩を優しく慰めたりしたい。旅行のお土産をみんなで分け合ったり、書き味のいいボールペンを教え合ったりしたいのだ。
子どもが朝から学校に行き渋った日も、きっと同僚に話を聞いてもらったら元気が出るに違いない。
出社への憧れは募っていく一方だ。

*

ハローワーク四日市を訪問した帰り、1階へ降りると廊下に「求人情報」と書かれた紙が置かれてあった。A4サイズのその紙を手に取ると、ずらりと求人情報が並んでいる。

職種、賃金、所在地、就業時間などが書かれていて思わず見入ってしまう。

ほうほう、9時〜17時、いいじゃない。へぇ、造園、二の腕の贅肉が取れそうだしなんか人相が良くなりそう。自動販売機組み立て?!人力なの?!治験コーディネーターってなにするの?かっこよすぎでは??道端で理不尽な目に会っても「わたし、治験コーディネーターなんですが」って心の中で思えば強い気持ちでいられそう。

長らく求人票を見ることなんてなかったけれど、読み始めると夢中になる。

あらゆる職種をほんのひととき想像すると、そこで働いている新しい私が輝いている。
そこにいる私はコアラみたいに眠るロングスリーパーな私ではなく、きりきりと働くまぶしい私。特に造園業に従事している私は、大きな石をひょいと持ち上げたり、見上げるほど高い松の木に登っており、とても格好良かった。小麦色に焼けて引き締まった二の腕が発光していた。

思わず、ハローワーク四日市へ赴いた際に同行したメディア関係者の男性に「なんだか私、就職したいです」と言ったら「向いてないですよ」と一蹴された。思うのは自由だ。ほっといてくれ。

*

引っ越しの多い20代だったせいか、間取り図を見るのが好きだ。
持ち家を得た今も、インターネットでよく物件情報を眺めている。縁側のある古民家を見つけるたび、縁側で日向ぼっこをする夢をみる。いつかきっと、と思うと少し人生が広がるような気がする。

求人情報を熟読していると、それと似た気持ちになった。
一行ごとに異なる人生があって、一行ごとに輝く私がいた。
社会性に乏しく、眠たがりな私だけれど、この求人票のどれかひとつと縁があるのかもしれない、そう想像することはただ楽しかった。

「今日すごく眠いんだけど。低気圧のせいかなー」と笑い合う職場を今日も夢みている。

沁みついた痣のことを忘れそうになるくらいには、自分の眠たがりを棚に上げるくらいには、求人票には夢がある。


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