見出し画像

思えばあれは産後うつだった話

こんにちは。助産師のいずみです。

私が1人目を出産した時、どちらの親元からも離れた、仙台から電車で30分ほどいったところに住んでました。
出産するまでは、それなりに田舎ライフ(失礼!)が新鮮に思えて、資格を取ったり仕事始めて新しい人間関係ができたり仙台に遊びに行ったり楽しく過ごしていたのですが、出産したら急に外の世界との交流が無くなって。

娘が可愛く無いとか思うことはなかったけど、
何に対しても無気力、イライラが募る、夜電気も付けずにボーッと座って泣いていて、帰ってきた夫を驚かせたりしていました。笑

そして。
ある日突然、朝起きたら左耳が聴こえない…!

突発性難聴でした👂

義理実家に帰省した時、「こないだ突然左耳が聴こえなくなっちゃったんです〜」て話をしたら、
お義父さんが、
『いずみちゃん、それはストレスだ。頼れる人が周りにいないし、疲れが出たんだ。ね。』

あぁ、そうか。
これはストレスからくるものだったのか。

そんなこと、今考えればそりゃそうだと思えるのですが、育児渦中にいると、
"私がやらなきゃ"スイッチが勝手に入って、
"赤ちゃんこんなに可愛いんだから、辛いわけない!"みたいなスイッチが入って。

ストレスに気づかないものです。
(注*私は義理両親のことはほんとに好きで、手伝ってくれもしないで…みたいな感情は全くなかったです。)

産後ケアに興味を持つようになって、ちらほらオープンする産後ケアホテルを見ていて、

もしあの時仙台に産後ケアホテルがあったら。
(いや、ホテルじゃなくてもいいのですが、産後ケアが受けられる施設があったら。あったと思うのですが、利用に行きつく知識も体力も無かった。)
産後ケアを利用する文化が進んで、利用したい人が頑張らなくてもそこにたどりつけるようになったら。

あの時の私の孤独と、誰か助けてほしい、でも頑張らないといけない、と思って追い込まれていた自分や同じような産後ママを救いたい。
その思いが、
産後ケアで働きたい
の、原動力になっているのだと思います。

宮城県のとある田舎町
当時宅地造成が進んでいて、今頃見違えるような光景が
広がっていると思います。
大雪が降った日。
雪に慣れていない私は、家に閉じこもっていました。


☃️大寒波が身体に堪えますね。
暖かくしてお過ごしください☕︎
読んでくださりありがとうございました🫶

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?