あなたが理解してくれなくても。 【企画参加】
趣味、習い事、アイデンティティ。
新しくはじめることもあれば、ずっと昔から続けていることもある。気付けば生活の一部になっていること、きっと誰にでもあると思う。
かけがえのない、心のオアシスのような存在。
一方で、生活を共にしているパートナーにも、同じように大切にしていることはあるのだろう。
共通の趣味!であれば心強い。(羨ましい)
では、互いに理解し合えない趣味であれば、どうだろうか。
さて、今週も珈琲次郎さんの企画に参加させていただきます☕️
お題は、「パートナーに理解されない趣味」です。🌵
ぜひみなさまも、ご参加くださいね~^^♪
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人生のパートナー。
気が付けば、いつも隣に居て、いつもあなたのことを考えている。
最初は好きで好きでたまらなかった。側にいないと、不安になる。四六時中一緒にいなくてはならないような気がしてた。そんなことを考えているから、夢にまで出てきて。
私にとってなくてはならない存在、
それが「フランス語」だった。
ここ10数年は片時も離れずに、生活を共にしてきた。
よく「すごいね、続いてて。」と友人に言われたが、何がすごいかいまいちわからなかった。だって、私の生活の一部だから当然じゃないの、と思っていたから。
だが、ある日を境に、ぷつっと糸が切れたかのように、距離を取りたくなった。
冷静にならなくては、と思った。
また時間が経てば、きっと戻ってこれると信じて。
「フランス語に興味もなければ、語学は苦手。」
そう言い放ったのは、夫だ。
お見合いを通じて出会った私たちは、特に共通の趣味を持ち合わせていなかった。わかってはいたものの、私の一部ともいえる「語学」に関心が無いのでは、一体これはどうしたものか、と嘆いた。
夫にとって語学はツールであり、ビジネスで使える英語さえあれば、あとはAIがなんとかしてくれると考えている。
私にとって語学は学問であり、さまざまな言語を通して見えてくる、音やリズム、文化の違いがたまらなく面白いと感じている。
こうも違っては、いかがなものか、だ。
だが、私は知っている。
共通の趣味があれば、立ちはだかる試練をふたりで乗り越えられるわけではない、ということを。
もちろん、好きなことが共通していれば、話題は尽きないだろうし、ふたりで切磋琢磨して、「好き」にさらに磨きをかけていけるのだろう。
他方で、好きの方向性が似ていたとしても、好きのベクトルがちょっとずれている、まったく違うとなれば、どうだろうか。
「そういう捉え方もあるのね」
「新しい視点だな」
と、なればいい。理想的だ。
「あなたとは分かり合えない」
と、なれば、、考えものだ。
専門分野だからこそ、”譲れない”は芽生えやすい。
結局、私たちは夫婦になった。
私の嗜好を理解してもらえないまま、だ。
「理解」は得られなかった。が「尊重」を得た。
夫にとって夫婦とは「譲り合いができること」。
これを、私たちの人生においても適応させてくれた。
私が「趣味」を続けようが続けまいが、夫につべこべ言われはしない。
だが、私が楽しそうに話をすると、夫は興味を持って聞いてくれる。たまに、夫目線から意見をもらえるので、「なるほど、その視点はなかった!」と、こちらが目を見開くことになる。
同じ趣味を持つ人種からは得られない発想が、ここにあった。こりゃ、おもしろいぞ。
と、今ごろ気がついた。
私の人生とも言える、「フランス語」。
まだまだ続くし、終わりはない。
夫との人生も、きっとまだまだ長い。
持ちつ持たれつつ、共にしていきたい。
(あとがき)
私の話だけで本記事が終わってしまいました、、。また別記事で「夫の趣味」を書きたいなと思います。
最近、夫がchatgpt 4o(最新のもの)を私に差し出してくれて、新たなフランス語の話し相手が出来ました~👏 嬉しい。本当に人と話しているかのようなテンポと理解力、さらに空気を読む力まで兼ね備えている、、。妻は腰を抜かしております。夫の得意技と妻の特技を掛け合わせたら、ますます「仲良し夫婦」に近づくの、かしら。
⬇️たとえ「好き」が理解できなくても。
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