「憧れ」から生まれる原動力
年末に夫と「VIVANT」を一気見した。
面白すぎて、カッコ良すぎて、、泣けた。痺れた。視聴者を裏切るような話の展開が凄まじく、ハリウット映画を観ているような緊張感もある。
テレビ放送されていた頃には、毎週続きを気にするのが嫌で観てはいなかったのだが、遅ばせながら世間の皆様がこのドラマにハマる理由が身にしみてわかる次第で、ドラマを観終えて1週間ほど経つが、まだ現実に戻りきれていない自分が居る。半分はVIVANTの世界に居るため、ここ数日はこちらの世界では半分うつろ状態だ。
この素晴らしい作品を観て、多くの方が泣き、VIVANTと現実世界を彷徨ったに違いと憶測するが、痺れるポイントは人それぞれかと思う。
私は圧倒的に、「言語」だった。かの有名な俳優・女優の方々が、モンゴル語を遣って役を演じている。なんと美しいことか、と思わずにはいられなかった。「言語」を通して、役を演じている役者の方々が私にはほんとうに眩しかった。
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私の人生の中で、一人だけモンゴルの方とお会いしたことがある。
フランスのストラスブール滞在時に、大学院に留学してきていた学生だ。
アジア人である私たちは、フランス人から見れば同じような民族の外国人で、さほど違いはないように思えた。
彼を通して学んだモンゴルのことは、彼らはモンゴル語の他に、幼少期からロシア語とフランス語を話し、高等教育までに英語までマスターした努力民族だということ。もちろん、彼が裕福で教育を満足に受けられる環境であったのは間違いないが、フランス人顔負けの美しいフランス語を話し、大学院生を全うしている彼に「憧れ」を抱いたのは私だけではなかったはず。
ドラマでバルカ共和国民を演じている役者の方々を観て、様々な異文化を経験した人だけが放つ人柄の奥行きが、彼の面影と重なった。
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この作品を通して、「モンゴル語」への憧れが芽生えた今、勢いに乗せて新しい言語を学び始めようと思う。
大変恐縮だが、大谷選手のお言葉をお借りして、まずは「憧れるのをやめる」ことから進めてみよう。
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