上総 山の民

先祖に想いを馳せながら。

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先祖に想いを馳せながら。

最近の記事

チェロを持って森へ行ってみた

朝からチェロをクルマに乗せ、キャンプ場が点在する森へ。 綿密な計画もなくクルマを走らせ、なんとなく神社とかキャンプ場に行って、まずは 空気を感じてみよう、というところから。 なんとなく神社を目指している途中に休暇村があって、 なにやら車が多数停めてあって賑わっていた。即売所だった。 入ってみると、地元の人が朝穫りの野菜を持ち寄っていて ワイワイガヤガヤと楽しそうだった。 中にはこれあげるよ、じゃあお返しに私はこれを。 という物々交換まで発生。 仲良い〜(^-^) 理想

    • え。チェロを買い替えたら弓もそのタイミングで買い替えるものなのですか?

      • 流行のことばをあえて避けるこだわり

        社会ではその時々にブームとなる言葉、単語がある。 そのブームを察知しいち早く取り入れられることがステータスになっているのではないか、と思うことがある。 昔から私は、世間の流行をすんなり取り入れてしまうことに、 どうも恥ずかしさを感じてしまうのである。 『流行に敏感な自分に陶酔している人』 に見られたら恥ずかしいのである。 ふと周りを見たらみんな同じ格好だった。とか恥ずかしいでしょ? 我ながら、素直さのない天邪鬼な発想な気がするけど。 でも性分なので。。 しかし流行に

        • 絶滅危惧種、農業従事者。

          地元の地域で、農業従事者の現状を改めて聞いて、ショックだった。 いや。うっすらわかっていたけど。 あと10年も待たずにこの地域で農家は0人になるね。 と飄々と言う親。 私はいったい何をしてきたんだ…と いう自責の念に駆られてしまった。 会社からお金をもらうために必死になってサラリーマンを続けてきたけれど、 振り返れば何百年も続いてきた実家の農村が 消滅する目前だったのだ。 ご先祖様方ごめんなさい。 こんな愚かな人間をお許しください。 私は、何のためにこの世に生まれ

        チェロを持って森へ行ってみた

          まだまだ抜けてないなぁ。いままでの価値観。他と比較してどうのこうのじゃない。 自分が何をしたら楽しいと感じるか。 この一点に集中していたい。

          まだまだ抜けてないなぁ。いままでの価値観。他と比較してどうのこうのじゃない。 自分が何をしたら楽しいと感じるか。 この一点に集中していたい。

          地域おこしとは収益になることを探すのか

          地域おこしの一環で、自分でテーマを決めて半年間、なにかに取り組むというイベントに参加している。 今わたしは自分のテーマや取り組む内容を模索しているが、 そもそもの目指しているところ、根底で迷ってしまった。 これは、その地域で収益に綱がるようなものを見つける、ということか? そうなるとなんか今までと変わらない。 と思い直した。 世間で取り沙汰されている、いわゆる流行のキーワードに惑わされず、 ただただ自分がその場で楽しめること、それを見つけていこう。

          地域おこしとは収益になることを探すのか

          自然の楽しみ方

          周囲ではアウトドア好きな人が多く、 休みの日にキャンプいったとか焚き火が癒されたとか本当によく聞く。 田舎育ちのインドア派な私は、キャンプ道具を持って森の中へ、 ということをした事がなくイマイチその良さというかその感動が よくわからないので、今度機会があったら参加してみようかしら。 でも、子供のころから、 日陰の海辺に座り、半日中ぼーっと海を眺める。 家の縁側に座って風を感じながら小鳥の囀りに浸る。 などなどは日常だった。 子供のころに、好きなこと という欄には『日向ぼ

          自然の楽しみ方

          農業とは微生物との共存なのかな。 音楽とは周波数を感じることなのかな。 太古の人々は、それらを感じながら生きていたのかな。

          農業とは微生物との共存なのかな。 音楽とは周波数を感じることなのかな。 太古の人々は、それらを感じながら生きていたのかな。

          自然栽培なるものをやってみようと思う。運良く畑は実家にある。

          自然栽培なるものをやってみようと思う。運良く畑は実家にある。

          自己紹介

          初回なので自己紹介がてら記事を書いてみます。 上総の民です。人生も折り返し地点を過ぎ、今までの生き方を見直すことが増えました。 そんな思ったことを書き綴ってみようとnoteを始めてみました。 普段は片道1時間30分かけて通勤しています。 その通勤時間を無駄だという人は少なくありません。 しかし私はそうは思いません。 会社の近くに住んでいたこともありますが、いろんな誘惑があって かえって忙しかったように思います。 この何も出来ない通勤時間は私にとって ゆっくり思考を巡らせ