見出し画像

『自分自身の一番の応援者は』~緑のふるさと協力隊を経験して~

過疎化・少子化に悩みながらも地域を元気にしたい地方自治体と、農山村での活動や暮らしに関心をもつ若者をつなげるプログラムとして1994年にスタートした『緑のふるさと協力隊』。

これまでに107市町村で830人以上の隊員たちが活動してきました。

今回は、2007年度の14期隊員として、福岡県築上町で活動をした加藤さんに協力隊時代と現在について書いてもらいました。




①なぜ、『緑のふるさと協力隊』に応募したか?

「人生は1度切り、やらずして後悔するより、やって後悔するほうがマシ」だという思いで当時、会社員だった私は、仕事を辞める決断をして、田舎に行ってみようと実践した。

 もともと大学は農学部で、「将来田舎暮らしをしてみるのも悪くないか」くらいの気持ちを漠然と持っていた。農山村に行く目的は、ずばり、全く知らない土地に色々な人脈作りをしに行こう!という気持ちでいたのを覚えている。経験も知恵もなく大した技量も無い自分に、何が出来るのだろうか?という不安を抱えていたが、応募の資格に、何も無いから飛び込む事が出来るという、いわば逆説的な説明書きを目にした瞬間、身震いがして今の自分には「これだ!」と思ったことを今の様に思い出す。


②協力隊時代を振り返って。今のわたし。 

「たかが1年、されど1年」の協力隊活動を終えて早16年が経とうとしている。思い返すとこの言葉に自分の人生が集約されていると言っても過言ではない。

 現在は、派遣されていた九州からは遠く離れた、関東で家族と暮らし、会社員として働いているが、心の故郷は今でも派遣されてた福岡県築上町だ。派遣当時と比べると、結婚し、子供が産まれて自分自身の環境も随分と変化した。しかし、自分自身を作り上げている礎の原点が、協力隊であることは、間違いなさそうだ。
 なぜならば、協力隊活動時代の経験を生かし、子どもたちに環境の大事さを伝えていく仕事をと思い、地球緑化センター職員を経て現在は、企業の一員として、社会貢献活動の1つ「水環境を通しての啓発活動」を小学校を訪問して実施している。


 さらに、なにか自分に迷った時、進むべき道に迷った時に、ふと頭で考えることは、活動当時の記憶で、出会った人々との触れあい、生きる姿を頭で蘇らせ、いつもヒントをもらっている。そして、今でも親戚づきあいみたいな間柄で、行き来する関係性を継続している。いわば、派遣後の生き方の物差しとなっている。
 視点を1つに絞らず、多角的に視野を拡げ、生き方って1つではない、回り道こそ近道だ、そんな事を考えさせられる1年であった。この1年が、その後の16年にも繋がっているということは言うまでもない。
 周りが経験できない事を1年間頑張ってやり通した事が、他人には出来ない感覚だと信じ、自信につながっている。当時の自分の存在が今の自分を励ましてくれ、色々なことの気づきになっている。自分自身の1番の応援者は、その活動をした時代の自分であり、現在の心の拠り所となっていると自負している。1年間の活動がその後の人生を左右する経験。まずは、見知らぬ土地へ飛び込んでみて・・・と胸を張って言える。

この記事が参加している募集

ふるさとを語ろう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?