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もしも私を異常と呼ぶならの話

私には観念的に母国語が存在しないらしい。主治医が教えてくれた話だ。
第一外国語として日本語を自然に学んでいるので語学系には強い脳になっているはずだよ、と。大抵の国の人はその国の言葉を使う。私はどこの国の人なのだろう。主治医は「きみだけの世界があって、きみの国の人かもしれないね。」と言ってくれた。

世界はレイヤーで成り立っている。Photoshopや画像編集ソフトを使う方には分かりやすいかもしれない。
きみのビジョン、あなたのビジョン、そして私のビジョン。
たくさんのビューポートから見た現実が幾層にも重なって、まるで地層のようになって世界を織りなしているのを感じる。どのレイヤーにも各々ラベルがつけられるとして、私は自分の層に「異常」と貼られるのを(誰が貼るのかすら知らないくせに)ずっと怖がっている。

もしも私を異常と呼ぶのなら、大人しくクリアなレイヤーになる所謂「差し障りのない」人になればいいのにそちらにもなりきれず、本日、実はこれを書くちょっと前にめそめそ泣いたのを白状する。「異常」なんていうラベリングを許さずに、自分の手で「自由」を描けばいいのにと、泣いた自分に腹が立った。

先日、ある方と遠いさよならをした時「そういえば、私は自閉的でしたか?」と聞いてしまった。怪訝な顔で「それはどういう意味でしょう?」と問い返され、答え終わってから、そのワードの全てが全て自分が自分に貼ったレッテルだと気づいて鼻白んだ。こんなに格好の悪いことはない。

時折の夢に、背中に翼の生えた人が出てくる。私は白い箱の中でその人と一緒にいる。ただ居るだけで会話が成り立つあたり、私の国の人か、もしかしたらそこの天使か神様なのかも?と思う。うっすら微笑む人。これを書きながらその顔を思い出した。冷たい春の雨の降る日だが、「春」の一文字の含みはある。そわそわと涙と、自分のラベルを拭うのだ。私よ、忘れずに自分のペンを取れ。

ここまで読んでくれてありがとう。次は明日は笑顔の予定。

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