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未生流いけばな教本


未生流いけばな教本 肥原碩甫

久しぶりに紐解く懐かしい教本。
わたしは華道は未生流で、茶道は裏千家。

西洋のフラワーアレンジメントは習ったことがないのでわからないけれど、日本の華道の基本というのは非常にロジカルだ。

盛花の体用型A

これはお正月によく活けることがある若松の格花


いえ、なぜこの教本を久しぶりに紐解くことになったかというと、最近自分で生けるお花があまりにもひどいから。

そういえば、むかしお華のお稽古に通っていたときも、
「わたし、お華の才能あらへんなあ」とずっと思っていた。
お稽古は好きなんよ。
でも、お華には美術の才能がどうしても必要。
例えば、絵を描くとか、粘土細工が上手いとかの。
わたしは子どものころから、そういう才能がほぼほぼゼロに近かった。
お教室でお花を生け終わったあと、お稽古ノートに、今日どんなお花を使ったか、どういうふうに生けたかデッサンするのだけど、それが壊滅的に下手くそ。
その時点でもう才能あらへんなあと思ってしまう。

そんな懐かしいことを思い出しながら、ふと気になったことがあった。

花合羽

これは広げると風呂敷ぐらいの大きさになって、お花を生けるときに花器の下に敷いたり、お花を持ち帰るときにはこれに包んだりする。

花袋

気になったのはこれ。
花合羽に包んだお花を入れるバッグのようなもの。
むかしは三宮や元町を歩いていると、この花袋を提げた若い女の子をぽつりぽつり見かけたもの。
それが最近は皆無。
なぜだろう?と考えていて、気付いたことがある。

実はわたしはマンションの間取り図を見るのが好き。
うちにあって、実家にもあって、妹の家にもあるものが、これまで見てきたマンションの間取り図にはない。
少なくとも、わたしの記憶にはない。

それは、床の間だ。
日本の華道で生けたお花は、基本的には床の間、御玄関に飾ることが多いと思う。
そもそも床の間がなければ、華道のお稽古とはならないんじゃないか。
洋風のリビングには、洋風のフラワーアレンジメントとなるのは、至極当然のように思う。
そうなると、花袋を提げた女性を見かけないのも合点がいく。

寂しいねえ。
ほんまに淋しい。
そんなことを沁沁考えて、嘆息をつく。

でも、時代がどう流れようと、わたしは未生流のお華が好きですよ。

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