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【短歌&エッセイ】ふくよかな娯楽

歌舞伎を観てみたいなあ。と思いつつも、チケットを取るのはなんだか難しそう…となかなか行動に移せずにいた私の耳に朗報が入る。市川海老蔵改め、市川團十郎さんの襲名披露と、その息子にあたる市川新之助さんの初舞台公演が2週間にわたって名古屋の御園座で執り行われるらしい。しかもネットで調べたところ、通常なら一万円以上するチケットが学割でなんと三千円で観劇できてしまうらしい。学割史上、いちばんテンションの上がる学割だった。そうともなれば、いそいそとチケットを購入...

歌舞伎を観てみたいなあ。と言いつつも、実は歌舞伎自体は今までに2回観たことがある。映画館で毎月違う作品が上映される"シネマ歌舞伎"と、岐阜県の加子母かしもという小さな村にある歴史の深い芝居小屋「かしも明治座」で毎年開催される"地歌舞伎"を観劇したことがあった。地歌舞伎というのは、その土地の人々によって演じられる歌舞伎で、いわゆるプロの演じる"大歌舞伎"を生で観るのは今回の御園座が初めて。

ついでに地歌舞伎の話をもう少しすると、地域の年長さんから大人までの幅広い年代が役者として参加していて(中には小中学校の先生や市役所職員の方も)客は持参したお弁当だったり、小屋前で売られている軽食やお酒を飲み食いしながら自由に観劇することができる。いわば大歌舞伎よりも敷居が低く、まるで江戸にタイムスリップしたような大衆的な雰囲気を直に味わえる。そして、役者が見栄を切るたびに客席から舞台に向かっておひねりがわんさか投げ込まれるのも、大歌舞伎では見られない光景のひとつ。それでひとつ思い出した事が、私たちはそのとき前方で観劇していたのもあって、後ろから投げ込まれるおひねりが幾度となく後頭部をバシバシと襲った。ぎゅうぎゅうに混み合う初詣の参拝中、後ろから小銭が自分の頭上すれすれを勢いよく飛んでいっては肩がヒュンとすくむあの感覚を思い出して、役者が見栄を切るたび反射的に縮こまる自分がまぬけで可笑しかった。ちなみに、芝居小屋まで向かうシャトルバスの中ではフランスからこの日の為に来日したというおじさまにも出会った。大昔から今に続く貴重な伝統芸能がなんと無料で観られる、村の長閑な心地よさも相まって忘れられない加子母の地歌舞伎は必ずまた観に行きたい。次回は頭におひねりが当たらない場所で…

かしも明治座
左の男の子、なんと年長さん

本題に戻って、あれよあれよと御園座公演の当日。学生席はある程度、座席場所が決まっているようで私の周りには同年代らしき人たちが多かった。高校生の頃、古文が毎度のように赤点だった私は素直にイヤホンガイドを聴きながらの観劇... 演目のひとつには、あの有名な、ライオンみたいな紅白のカツラを被った演者が髪を激しく振り回すシーンもあった。分かってはいたけど、生で観るとやはりものすごい迫力。豪快そのもの、なのに上品。しかも体感2分ほどずーっと髪を振り回していて、貧血持ちの私は見るだけでくらくらしてきそう... だけど、ちゃっかり持参した双眼鏡でその姿を眺めていると、イヤホンガイドから「首で回すのではなく、腰を使って回すのです。」との解説が入る。ほぇ〜!と思った私は、隣に座る人に耳打ちしたい気分だった。他にも人間以外の役が出る幕も多く、恋人を想い続ける幽霊、花の精、優しい化け狐、屋敷の主に不条理にも殺された恨みを持つ庭園の鯉など... 物語としては深刻だが、どのキャラクターも繊細で愛らしい。

歌舞伎を観ている最中、京都で由緒あるお寺や庭園を眺めた時のように、日本人としての心が静かに燃えたぎる感覚に何度も包まれた。燃えた後は、心がふくよかになる感覚。日本人に生まれたからにはこういうものをたくさん見て、聞いて、触れていきたいと改めて思う休日だった。

幕間(休憩)では自分の席でお弁当が食べられる。
思ってた以上に鰻が贅沢に入ってて、ラッキー!

【短歌】
白粉おしろいを持たぬ私も花冷えに降る雨の名を襲名したい

坪内 万里コ(つぼうち・まりこ)
1999年愛知県名古屋市生まれ。
X(旧Twitter),instagram共に @11marico17

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