うるさくてひそやか、808号室
自販機のカップラーメン、200円。清潔で柔らかくて勢いよく身を投げ出すのが畏れ多くなってしまうくらい真っ白なベッドシーツ。随分遠くから聞こえてくるクラシック音楽。【常時オン】と書いてある換気扇がまわる音。午前三時。窓の外は何やら分からない光でキラキラしている。星は見えないけれど、今日はいつもより空に近い。今夜は私だけの808号室。ひとりだけど寂しくない夜がある。誰もいないのに心強くて、自分は大人になったのだと腑に落ちる夜。
何のために髪を伸ばしていたのか忘れてしまった。答えが出るのは、だいたい理由を忘れてしまった頃だ。どう頑張っても忘れられない人がいる。「覚えていたい」と、「忘れられない」は全くの別物で、「忘れられない」は、ある種の呪いだ。元気?の一言で心臓がひっくり返るほど暴れ出して、ああ、言葉はその人そのものなのだと知る。よく知りもしないその人を好きだと思えるのは、その人がつかう言葉が好きだから。ずっと横顔しか知らなかった。横顔だけで良かった。私たちは纏められれば似たようなもの。いきもの。にんげん。ことば。かなしみ。
もう会えないのだと言葉に出してみると、キーンとした感情が胸に迫ってきた。そういえばあれからずっと会っていないな、あの時が最後だったのだなと後から思い返すのと何ら変わりないのに、同じ経験をしているだけなのに、「未来を自覚すること」はなんて心が痛むのだろうと不思議に思う。何となく通り過ぎてしまえば痛むこともないのに、過去になってしまえば同じことなのに、それなのにいつも未来ばかり眺めてる。
書くという行為は自分に必要だろうか。この数年で私に必要な言葉・書きたい言葉は十分書き尽くしてしまったような気がする。書いても書いても埋められないものは埋められなかったし、書き足りない感情は書き足りないままだった。好意に気づいた瞬間に突然よそよそしくなりますね、という鋭い人の鋭い指摘。たった数時間甘えただけなのに、ちょろい。ちょろかった。私がきっと世界一ちょろい。フラットでいられないのが怖くてたまらない。私という人間を評価されたい。結局、人間を恐れている。面談で、あなたには人と接するのが怖いとか人と関わることが不安だとかそういう気持ちはないよね、と後輩に確認してみたら不思議そうな顔をされて、死ぬほど羨ましいと思った。
臆病だから、心を預けた他人とお別れをするときには、その人の存在ごと消さないと耐えられない。生きていくということは、諦めることを増やしていくことだと思っている。完全に分かり合えないことを、私はちゃんと諦められるだろうか。【一位とれるわ、芸能界が平等なら笑】というYouTubeのコメント欄で昔見かけた言葉が刺さったまま、今もたまにふと胸に浮かぶ。こういう、上手く理由は言えないけれど胸に刺さって抜けない力のある言葉が私にも欲しい。強い言葉ではなく、一緒に歩んでいけるような言葉。私が綴る文が、いつか誰かの胸に刺さって抜けなくなる日が来るのだろうか。分からない。そうなれば良いなとも思わない。ずっと私のために書いているのだから、早く私の心に刺さって抜けない言葉になって欲しいと思う。そのくらい自分と自分の言葉を愛したいと思う。
ホテルというシステムはとても不思議だと思う。今日は私の808号室。昨日は誰の808号室だったのだろう。明日は誰の808号室になるのだろう。繰り返しの毎日なのに、繰り返しではない私たち。今までの宿泊者は、どんな夜を選ぶ人たちだったのだろうか。自販機のカップラーメン、200円。新品のケトル。私の808号室。私だけの夜。思いつく限りの不摂生。明日になれば平気な顔した他人になる。すぐにこの部屋のことなんて忘れてしまう。出会いなんてそのくらいの些細な交錯で良い。
ゆっくりしていってね