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自分で自分を縛っていないか


数日前、ツイッターをやめた。

仕事からの帰り道、ふと思った。もう限界だな、と。何故だか分からないけれどそう思った。とりあえずツイッターやめようかな、と思って10分後にはアカウント削除をしていた。

それまで毎日ツイッターを開いていたし、タイムラインもほぼ追っていた。馬鹿真面目な私は、ツイッターで流れてくる議論にちゃんと頭を悩ませ、正義の振りした悪意や平行線の主張の攻防を見ては心を痛め、解決するはずのない問題にぶち当たっては失望していた。しかも、それらにどんなに腹が立っても苛立っても悲しくなっても、適度に距離を保ち大人の振る舞いを見せようとしていた。今考えると馬鹿馬鹿しいけど、そうしていた。それが私なりの「逃げ」で「安全確保」だと思っていた。そういう毎日を続けて、ある日ぷちっと切れた。決定打は自分でも分からない。

ツイッターをやめた生活はとても楽ちんになった。話しかけたい人がいる時に気軽に話しかけられないことと、シェアしたいnoteに出会った時にシェアできなくなったこと、不便な点はそれくらいだ。今更ながら、ツイッターで流れてくる情報はとても偏っているのだとも改めて気づいた。相変わらず夜更かしはしているけれど、ツイッターを追わない夜中は何となく健全で心に良い。

最近、思う。私は気づかないうちに私を縛っていることが多すぎる。「こうあるべき」「こうしなきゃ」「こうならなきゃ」が多過ぎて、知らないうちに動けなくなってしまっている。馬鹿真面目で、本人は真剣にやってるんだからタチが悪い。だから少しずつ、自分なりに縄をほどく努力をしている。私は私のやりたいようにやることにした。あなたはあなたの正義でやりなさいな。私には、「私」を、「私」と分ける必要があったのだ。


◇◇◇


あと一滴で限界が来ます、とは、誰も教えてくれない。「大丈夫」と「限界」は紙一重。決定打が何かは本当に全く分からないことが多い。だけどもうここで自分は普通の振りしてやっていけないと思った。このままだと私は大勢の感情の波にのまれて死んでしまうよと左耳の奥で警告音が鳴った。そう言えばここ最近ずっと耳の奥で音がしていた。自分から喧騒の中に飛び込んだにもかかわらず、一刻も早く静かな場所に逃げたかった。衝動的にツイッターのアカウントを消したのが4月19日に日付が変わった頃。飽きた。もう良いかなと思った。楽しかったし、頑張った。ツイッターで大好きな人たちができて、大好きな人たちがいて、それでもそれよりも大きくて怖い存在がいつも確かにあった。「アカウントを消して仮想的に自殺する」という歌詞が頭をぐるぐる回っていた。私は一度リセットされたのか?お茶は死んだのか?ううん、私はこの通り、食べて寝て笑って息をしている。アカウントが消えても何も変わらない毎日、ああ、せいせいした。あんなに依存していたのに、無ければ無いほうが良いと感じる。こんなものなのだ。

心がざわざわして、もう耐えられないと思った。執着していると思っていたけれど案外どうでも良いもので、ホームだと思っていた場所は思っていたよりも乾いていて冷たかった。誰かの心の中心にいたいなんて欲張るもんじゃない。

おかしくなってしまった。まったく、私はおかしくなってしまっていた。進んでいるはずなのに、気づいたら元の同じ場所にいる。当たり前に埋もれて、大切なものが見えない。情報は溢れ、悪意はあちこちに転がり、混乱が日常。耳の奥でざわざわと自分の中心が揺らいでいる。心のざわめきが減らない。息を吸ってみると、心臓がきゅっとする。いたい。生きるって、こんなにいたかったっけ?誰の顔も浮かんでこない、無理に誰かの顔を思い浮かべるともれ無く涙がせり上がる。不特定多数じゃなくて、相手を決めて言葉をおくる練習をしなきゃ。いまさら。ああ、もう、こんな人生。

人生、というワードを使いがちだ。人が生きること。人の生きる道。人の生き様。わたしの人生は、側から見てどんなものなのだろう。平凡だったらいいな。キラキラしていないし特別でもないし、とりたてて不幸でもない。平凡でありますように。思えば、誰の人生も羨ましくなかった。私は私の人生を歩くだけなのだから。それならば何故、誰かの心の中心にいたいだなんて思うのだろう。ビビりで臆病者なのに、世界を広げ過ぎてしまっていた。フォロワーが多くてこわい。読まれたいけどバズりたくない。本当はただ、夜中に眠れない数人の拠り所になりたかっただけなのだ。自分がそうだったから。眠れない夜に、たった一人でも都合の良い友達が欲しかっただけなのだ。自分が誰かのそういう存在になりたかっただけなのだ。

今年に入ってから、noteも前ほど読めていない。タイムラインを追えるようにフォローを少なくしていたけれど、それすら追えていない。もう、追う気もない。たいてい、あんまり主張の強くない、知らない人の日記みたいな記事ばかり選んで読んでいる。凪の中に淡い色がほわっと浮かんでいるようなエッセイとか。もう、そういうのしか読めないなって気づいた時点でほんとはSNSやめるべきだったよね。バランス大事。ほどよくいこう。ほどよくね。noteでは相変わらずこういう薬にも毒にもならないことばかり呟いていくね。



ゆっくりしていってね