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傘は持っている


土砂降りだし、弱音吐いていい?

そういう言い訳みたいな逃げ道をつくるような言葉が嫌いで、弱音や本音やその前置きすら何も言えなくて、黙って自動販売機に小銭を入れた。無意識に選んだ微糖のホットコーヒー。何故だかとてもカフェインが欲しかった。欲しくて欲しくて手に入れた缶コーヒーって、本来の価値よりもなんだか重くて窮屈だ。自動販売機の飲み物なんて、覚えていないくらいが丁度良い。楽しかった飲み会の後、満足した気分で買うあまり欲しくないミネラルウォーターくらいの手軽さで十分だ。

BoAのメリクリの『コンビニでお茶選んで』ってあるじゃん?あのお茶、ホットとアイスどっちだったのかな。
そんなどうでも良い議論を交わして、決着はつかなかった。私は「冬の歌だしホットだと思う」と言ったけれど、その人は「アイスでも成り立つんじゃない」と譲らなかった。コンビニのお茶がこんなに議論されるのも窮屈だな、そう感じた時、私は自分が「価値以上の期待」「背丈に見合わない重荷」を恐れていることに気付いた。

傘、持ってる?
自動ドアの前、ビニール傘を右手で揺らしながら尋ねる人に、持ってる、と返す。確かリュックの中に折り畳み傘があるけれど、この土砂降りの中だと身体の半分くらいは濡れてしまうだろう。リュックの中の傘を探している僅かな間に先に土砂降りに向かって歩き出した人を早足で追いかける。

もう既に靴が終わったんだけど。
歩き出して数十歩でびしょ濡れになった靴を苦笑いしながら見せてくる人に、私の靴も終わったと報告してみる。そんな小さい傘じゃすぐ全身終わるよと無邪気に笑っている人の笑顔は土砂降りの中でも上手く作られている。10人中10人が綺麗な笑顔ですと即答するような100点満点の笑い方で笑うけれど、内側は見えない。今、目の前で笑っている人は確かに私に笑いかけているけれど、本当に私に向かって笑っているのかは分からない。近いように見えてとても遠い。ビニール傘越しに見えている姿のどこまでが本物なのだろう、私には正解が分からない。

私とは「メリクリの歌詞のコンビニのお茶がホットかアイスか」みたいな話しかしない人が、別の人には上手に愛を囁いていて、傘持ってる?なんて聞かずに当たり前のように傘をさしてあげているのだ。花火大会が終わった後に青い浴衣の美人とコンビニに入って行ったり、ジュエリーショップで真剣にピアスを見ていたり、その時々で愛を渡す相手が違っていることは知っている。愛の行方が不確かな人なのだ。今のその人の「イチバン」なんて知るよしもないけれど、努力すれば私もその人の愛の行方の一部になることはできたかもしれないのだ。それなのに何故か、私はその人からとても遠い場所にいる。


やっぱりお茶はホットだったかもね。
突然、前を歩いていた人が強めの声を出した。雨音に消されないように、私に伝えようと言葉を発したのが分かった。顔を上げると目が合った。この人と心から目が合ったのは初めてかもしれないと思った。
メリクリの歌詞のやつ。アイスって言ったけど、やっぱりホットの方がしっくりくる気がするわ。
それだけ言って相変わらずの100点満点の笑顔を作って、そしてそれまでよりも少し早足になった人。小走りで追いかけながらなんだそれ、と思う。理由をもっと聞きたいのに。私に背を向けても笑顔を崩さないで歩き続ける人を斜め後ろからじっくり見たら100点満点だと思っていた笑顔に「寂しい」と書いてあった。はっとする。なんだ、ただの同じ人間だったのか。


それから一言も喋らない。雨はずっとやまない。前を歩く人の左肩も、私の左肩も、同じくらい濡れている。くしゅん、と小さなくしゃみをして、傘、ないって言えば良かったなと思った。どうせ二人ともびしょ濡れになるのならば、ビニール傘に入れてもらえばよかった。小さな嘘をついてでも、距離を縮める手段を選べばよかった。

ビニール傘をさして少し前を歩く人の濡れた左肩を見ながら、可愛いズルさの一つや二つ、出会う前に覚えておきたかったなと思った。ねえ、土砂降りだし、弱音吐いていい?言えそうにない言葉は土砂降りの中に捨てていこう。きっとすぐに溶けてなくなる。今日のこともじきに忘れる。

ゆっくりしていってね