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自己紹介

はじめまして。
美談年民(みだんとしみ)と言います。

私は今、東京で人材派遣の営業をしながら、AI時代に必要な新しい人材教育のお仕事をしています。

人材教育に携わり早10年。“正しい物の観方”を案内する教育をベースに講師活動・コンサル活動をしてきました。20名~30名規模ですが約100回のセミナー実績があり、個別相談件数は1000件。直近5年は自ら現場に入って部下の育成・マネジメントを実践しています。もともとは内気な性格だったので、こんなにも多くの人と関わる仕事に携わるなんて夢にも思っていなかったのですが、今では心から人が好きで、一人一人と深く関わる今の仕事も大好きです。

今回は初めてのnote投稿になるので、なぜ私がこの仕事をしているのか。
これまでの経緯と仕事に対する想いをお話ししたいと思います。


和やかに働く父母の姿

私は島根県の松江市で生まれました。
水の都 松江市は宍道湖を中心としたのどかな街です。
人口も少なく都会のような騒々しさや忙しなさのない柔らかな時間が流れる場所。
そんな松江市で商売をする米屋が私の実家でした。

実家の米屋は小規模な個人経営でお店を切り盛りするのは父と母の二人だけです。
街に出ればスーパーなどでお米を安く買える時代。
うちのお客様となるのは足が悪いおじいちゃんやおばあちゃんでした。
人が好きで冗談とお喋りが好きな私の父母は、お客様と良い人間関係を築きながら助け合いの精神で働いていました。

いつも笑顔で悩みや不安なんてない。
スッキリとした心で和やかな関係のなか働く。

そんな父母の働く姿は私にとって、とても心地がよいものでした。


不安と焦りを抱えたSE時代

2007年春、九州の大学院を出て、私は東京で働き始めました。

自然科学に興味があり大学では地球流体力学の研究室に所属しましたが、勉強したいことと働く職業はどこか別に考えている自分がいました。最終的に、研究時に扱っていたプログラミングくらいは活かそうとシステムエンジニアとして初めの会社に就職しました。

当時はクラウドサービスが主流になりはじめた頃でIT分野はまだまだ勢いがありました。新しい技術もどんどん生まれ、かなり激しい変化があったと思います。

そんな革新的な変化を遂げるIT業界で、私は早速つまずきました(笑)

着任したプロジェクトはかなり寡黙な人の集まりでした。
コミュニケーションはほぼありません。
朝挨拶しても反応なし。帰りの挨拶も反応なし。
指示と期限だけ書かれたメールが毎日飛んできます。

環境のせいにするのは良くありませんが、スキル的にまだ未熟だった私にとってこの環境はかなり過酷でした。
気軽に教えてもらうことができない中で、期限付きのタスクを抱えることは結構なストレスです。

しかも直属の先輩が恐かった。。
本当に恐ろしい先輩で、ケアレスミスなどしようものならフロア中に聞こえる声で怒鳴られていました。
仕事が遅れているのに昼休憩なんて取ったら殺される。そう思って昼食を返上して頑張るのですが、その先輩は超結果主義。夜中24時まで頑張ったとて進捗が悪ければ机を思いっきり蹴られて怒られていました。
・・・・今では笑って話せますが、当時は本当に殺されるんじゃないかと思ってました。。

毎日始発で出社し、終電で家に帰る。
家に帰ったらそのまま眠り、3時間寝たら始発で出社。
不安と焦りの心を抱えながら業務をし続け、最終的には手が痙攣し始めドクターストップ。
心も体も擦り減り倒れた結果、多額の残業代だけが残りました。

エンジニアとしての自信を失い、毎日仕事をこなすも不安と焦りはぬぐえず心も晴れない。
仕事を任されても時間はかかるしミスも多い。
基本から学び直す余裕もなければ、無理に勉強しても受け付けない。
技術者としての私はどんどん取り残されて行きました。


振り回され続けた営業時代

そんな私のエンジニアライフは2年で終止符を打たれます。
見かねた人事部長が開発者の道ではなく営業としての道を与えてくれたのです。

黙々と作業しIT技術を磨く開発者より、人と交流し関係をつくる営業に魅力を感じたこともあり、私は再出発する気持ちで営業に臨みました。

しかし、この後、さらなるビジネス社会の洗礼を浴びることになります。

人と関わる時は相手を大事にする。
実家の父母の働き方のイメージもあったかと思います。
相手の要望をなるべく叶えてあげたい。
そんな気持ちで仕事をしていました。

私は、それまで人間関係で大きな失敗をしたことはありませんでした。
控えめで自ら関係を築くことができない受け身な所はありましたが、相手の期待や要求があれば100%叶えようと頑張る姿勢に難色を示す人はほとんどいなかったからです。

しかし、営業は違いました。
顧客と自社という2つの主義主張の調整が必要な環境では、私の成功法則が全く通じません。
一方を立てればもう片方が立たず、どんなに頑張っても最終的には妥協がつきもの。
なんとかしたくても何をどうしたら良いかわからない。
田舎の個人商店ならお互い様で許されることも、利害にシビアなビジネス社会では許されません。

仕事は皆に喜んでもらう為にあるはずなのに、私の仕事は相手に頭を下げて妥協をお願いすること。
皆の為に頑張っても、最後にはいつも誰かから落胆される役回り。
愛想をつかされてばかりの自分が嫌で、他人に見せたくなくて、人目につかない場所で謝りの電話を入れる。
無力な自分を隠し、取り繕うのにも忙しい日々。

どうすれば皆が納得いく意思決定ができるのか。
どうすれば他人に振り回されず、主体的にまとめていけるのか。

何をどうしたら良いかわからず、リーダーシップ論、マネジメント論、コミュニケーション、交渉術、組織論など多種多様なビジネススキルをひたすら勉強しました。

ですが、どんなに知識は増えても実際に相手にするのは人間です。
いつも同じ条件とは限らないし、ある人は納得する解決策でも別の人には通用しないこともある。
何より何を選択しても、自分の選択に確信が持てない。
ただただ全てを受け入れるしかありませんでした。

いったい何をどうしたら良いのか?何が正解なのか?

自分の判断・意思決定に自信が持てず、振り回される根無し草の自分。
薄っぺらくて軽い私は振り回されながら耐え忍ぶしかありません。

エンジニアもダメ、営業もダメ、自分は何ができるんだろう?
何もできない私は疎外感と孤独感でいっぱいでした。


正しい観察・正しい理解から生まれる根本的な変化

そんな時、私はある韓国人と出会います。

日本が大好きだと語る彼の話はとても面白く、心とは何か、人間とは何か、この現実とは何かといった本質的な内容を語ってくれました。

初めは要領がつかめずわからないことだらけだったのですが、彼の話を聞いているうちに、自然と目の前の課題を解決する道筋が観えるようになっていきました。

人間とは何か、現実とは何か。
どんな仕組み、どんな構造で成り立っているのか。

普段は考えてこなかった話ですが、根本的な仕組み構造が理解できると、世界の観え方が変わっていきました
目の前で起きた事象を深く理解できるようになるので、何をどう考えていけば良いのか、課題に対する正しい診断と処方ができるようになります

それまでは振り回されてばかりだった私でしたが、正しく物事を観察・理解できるようになってからは、自然と発言が多くなり、いつしか主体的に場をまとめる立場に変わっていきました。
ビジネススキルやノウハウをどんなに得ても変化できなかったことが、自然とひっくり返っていくので不思議です。

悩み不安が絶えなかった日々は、
スッキリとした心と頭で自信を持って取り組める日々に。

忙しくて余裕がなかった毎日は、
ゆとりを持って心も身体もスッキリな毎日に。

多様な主義主張に振り回されてきた仕事は、
自らが主体的にリードしていく取り組みに。

我慢・妥協・あきらめがつきものだった人間関係は、
活かしあい・助けあい・共に問題解決を目指す信頼関係に。

何をどうしたら良いかわからず、無力で悩み心配が耐えなかった生き方から一転。いつも心スッキリ、歓喜があふれる生き方へと変わっていきました。


そして、今

長くなりましたが、以上が私が身を持って体験してきた変化のお話です。

・・・・・。
本当にちょっと長かったですね。。
そして少しかたかったですね。
これからはもう少し読みやすくなるよう精進します。

話は戻りまして、
その後、本格的に認識技術を学び早10年。
冒頭でお伝えした通り、現在は部下の管理&育成に特化した人材教育を生業として活動しています。

相対比較が激しく自己に自信が持てない時代。
個人だけでなく社会全体・人類全体に関わる問題も増え、社会の雰囲気が閉塞感であふれています。

変化が必要なことはわかるけど、何をどうしたらわからない。

これだけ情報があふれていても、根本的な変化を起こせる術は見当たりません。
限界であることを知りながら、耐え忍ぶしかないのがこの時代です。

ですが、変化をつくれないのは正しい観察の仕方、正しい理解の仕方を知らないだけです。
人間とは何か、現実とは何か、その本質的な問いの答えを知り、全ての成り立ち・仕組み・構造がわかれば変化は簡単につくれます。

ご自身の変化をつくりたい方、
AI時代の生き方を模索している方、
我慢して合わせて演じる関係性に限界を感じている方、
仕事で人と関わり、管理・育成・組織作りに悩んでいるマネージャーの方

人間の尊厳性と可能性を拓く新しい時代社会をつくりたい方
ぜひご連絡ください。

和やかに力強く。

そんなふうに働ける個人や集団をつくることの手助けができれば幸いです。

美談年民


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