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諦める資格は私にあるのか

諦めるとは、自分の才能や動力、置かれた状況などを明らかにしてよく理解して、今、この瞬間にある自分の姿を悟る。

と『諦める力』の著書である為末大さんは言っている。

わかる。わかる。わかる。

諦めるとは「思い切る」「断念する」という意味より先に「あきらかにする」「つまびらかにする」という意味があるらしい。

漢字としては「諦」に「さとり」という意味もあるらしい。

なるほど。わかった。わかったけど。



けど、諦めなくてもいい方法があったと思ってしまう。もっと手立てを選び、万全に向かうべきだったしきっともっとできることはあったと思ってしまう。

諦める前に、最善を尽くしてなかったのではないか。

私の実力以上のことをするのはずなのに、それ以上に勉強をしていなかった。そんな不甲斐ない私に為末さんの「諦める」は不適当な気がする。

諦めるってやっぱり全力をかけて、そこに到達するのに悔いなく打ち込んでからじゃないと言ってはいけない気がしてしまうんだよね。

私は今回の手段を諦めて、目的を達成することはできるのだろうか。

私は「勝ちやすい」ところを見つけられるのだろうか。

本当に勝てないのは努力が足りないからじゃないのか。

・・・

人は他者にある程度評価されなければ自分の価値を感じられない生き物である。世の中に認められたくても現時点では認められていない人に、「きみはいつだってオンリーワンだよ」と言ったところでなんの慰めにもならないだろう。


認められるように、日々背伸びをしたいんだけど、背伸びをして掴みたいものはなんなのだろうか。

私は建築や開発を自分の軸にしたいのに、会社単位でないとそっちの軸を持てないよな、なんていうのはきっと思い込みなんだけど、

でも建築なんてでかくて責任を背負うものをを作る世界って、どうやって手段をもったらいいんだろうか。

・・・

\ さかかなってこんな人/

諦めない人も、諦められる人もかっこいいよね。

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