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関根愛「食べることは生きること」(1日目)

初めまして。関根愛(めぐみ)です。昨年から東京を離れ鎌倉で暮らしています。俳優歴十年、ビデオクリエイター、コラムニスト、料理などしています。今回滞在する三島市は高校時代三年間を過ごした街です。

十一月三十日、晴れ、小雨、晴れ、大雨。

私はどこかへ滞在する時はだいたい自炊をする。今回も台所のある宿への滞在。ということでまず着いてすることといえば食糧調達。地産のものをできるだけ食べたいので、道の駅や農産物直売所をのぞく。その土地で育ったものを食べることは、自分とその土地との距離を少しだけ埋めてくれる。その土地の大地のミネラルや栄養分を吸い、その土地の雨風を受け、その土地に降り注ぐ陽射しを浴び、その土地に暮らす人の手で育てられたものを食べることは私にとってその土地にお邪魔します、という思いもある。それに、人は、食べたものでできている。昨日食べたものが今日の自分を作り、三ヶ月前に食べたものが今日の自分の血肉骨となる。無自覚だけどそういう仕組みが私たちの体には備わっているというのがいつ考えてもすごい。今日食べたものが明日の自分を少しだけ決め、三ヶ月後の自分を大きく決めるなら、今何を食べるかは重要な問題だと思う。旅の発見は、少しあとになってから見つかることもある。今三島にいることの影響が三ヶ月後や一年後の自分にどうもたらされるかを知りたい。すぐには分からないからこそ楽しい。土を返し、小さな種を点々と植え、いつどれが発芽するかを楽しみに待ちながらきっと私はまた日常に戻る。これが楽しい。いつもどきどきする。ということで向かったのは三島市安久の伊豆・村の駅。

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三島野菜をはじめ、沢山の種類の静岡産野菜がお手頃な価格で買うことができる。百円とか二百円台で、袋一杯に入った新鮮な野菜たち。朝採れの野菜も並んでいたりする。きのこコーナーも充実している。原木栽培のきのこが立派。やっぱり原木がいい。農産物直売所の隣には、魚介や海苔、海産物が所狭しと並ぶ。まぐろの解体ショーなんかもやるらしい。山と里の幸の他に海の幸まで手に入るのは嬉しい。

買い物を終えて、村の駅からすぐのところにあるお店「畑ごはん あぐり」で昼食。無農薬の野菜を使ったり添加物のない調味料を使ったりと体に負担のかからない自然な形の食事を提供する温かいレストラン。

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店内は縦に長く広々。居心地が良い空間。お店の入り口を入ったところに自然食品を売っている小さなコーナーがある。調味料やお茶、お菓子、その他食材など。普段から買っているものがちらほらあって安心感を覚える。こういう場所があればどこへ行っても緊張せずに生きていける。

頼んだのは、あんかけごはん。野菜が沢山と、肉厚の湯葉。雑穀米と白米、お米の量が選べる。元々はお肉も入っているみたいだけど、肉抜きにも対応してくださる。私は肉抜きにしたけどボリュームはたっぷり。手作りのまろやかな中華ドレッシングがかかったサラダは優しい味。口に入れたものが広がっていく時に思わず目を閉じたらそれは体を思いやる温かいご飯のしるし。糠漬けも作り手の温かさが伝わる。命が宿るご飯だった。ごちそうさまでした。他にも色とりどりのおばんざいセットやカレー、石焼ビビンパなどのメニューがある。

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これで食材の調達は完了。宿に落ち着いたあと、沼津経済新聞の宮川さんの取材を同じ三島市の旅人である奥野さんと共に、今回のホストをしてくださっている株式会社シタテの山森さんの運営されているコワーキングスペース「三島クロケット」にて受ける。短い時間に貴重な話ができて楽しかった。

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その夜、さっそくこちらで出会った方のおうちへお邪魔し、ライフワークとして撮り始めた「ひとりきりで食べる」シリーズを撮影させていただく。これは文字通りひとりきりで食べている人の姿をドキュメンタリーとして映像に残すもの。撮り始めたきっかけは、ひとりきりで食べている人の姿を見るとどきっとするから。そして一人きりで食べている時に強く生を肯定されている気持ちがするから。このことをテーマに12/5(日)18時、三島クロケットにて披露するための短いパフォーマンス「MOST OF THE TIME, I ATE ALONE - ほとんどの時、私はひとりで食べた - 」を実験制作する。どうなるかは未知です。

イベント

今日の撮影で撮らせてもらったのは、十日後に誕生日を迎える0歳の赤ちゃんのひとり夕食のようす。正確に言えばまだお母さんやお父さんの補助を受けないとちゃんと食べられない状態だけど、でもなんだろう。「食べる」の起源を見たような気がした。なんで人は食べるんだろう。食べることは私たちの命をどう作るんだろう。大人しく食べ始めたかと思えば大泣きが始まって、手振りで何かを訴える。お母さんがうまくいなすとまた大人しく食べ始める。たまににやっとする。一体どういう感情の川が流れているんだろう。食べることはその川をどう動かしているんだろう。言葉もしゃべらない赤ちゃんは雄弁だった。撮影の後には、お母さんお父さんが作ってくれた山椒出汁のお鍋をいただいた。山椒のスープにさらに山椒をふりかけて食べる。美味しい。ひとりでご飯を食べる時があるからこそひとりじゃない時の喜びも感じられる。ごちそうさまでした。

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お母さんが面白い話をしてくださった。赤ちゃんは食べること(咀嚼すること)ができるようになると脳が発達し、歩けるようにもなっていくのだそう。反対にお母さんのおばあちゃんの話ですが、入れ歯を拒み、料理をしなくなり、咀嚼することがぐっと減ったことで物忘れをしやすくなったのだそう。食べることは咀嚼すること。咀嚼することで外の世界と内の世界の調和を取っていく。外の世界をどう咀嚼し取り入れていくかが、自分や人生を作っていく。食べることは私たちが生きることにこんなにも直結している。食べることはやっぱり生きることだ。

毎日あったことをその日のうちに文字にして表現するのはとても難しい。自分の中で咀嚼も消化もまだできていないものをどうやったら伝えられるんだろう。一般的な社会人生活を経験していないからなのかこういうスピード感には慣れていない。書くだけで半日が終わりそうだし、ハードな毎日になりそう。どうしよう。


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