バレエとの再会 バレエダンサー奥村康祐さんについて
この愛をどこに向ければ良いのだろうか。
素晴らしい舞台を観た後はいつもそう思う。
先日、大好きなダンサーの主演舞台を1年ぶりに観に行った。彼の出身バレエ団である地主薫バレエ団の公演で、『ジゼル』という作品のアルブレヒト役だった。彼のアルブレヒトを観るのは初めてだった。そして、心を揺さぶられ過ぎて言葉も出なかった。夢中になって観ていた。相手役の小野絢子さんとあまりに楽しそうに踊り、ライバル役に珍しくブチ切れ怒りを露わにするお姿も拝見出来た。カーテンコールでの精悍な顔つきが忘れられない。
大好きなダンサーがいつもエネルギーを分けてくれて、生きる気力を与えてくれて、本当に感謝が溢れ出てくる。
それなのに観客の私は拍手を送ることでしか賛辞や感謝を表せない。
やるせない。
それでも舞台というのは、舞台上と客席がノーサイドになって呼吸し合って、互いを称賛し合って、そして幕が下りる。刹那に泣きそうになるが、それもまた舞台芸術の醍醐味だ。
しかし、どうにもこの「好き」という気持ち、「今日も踊ってくれて、素晴らしい舞台を見せてくれて、力をくれてありがとう」という気持ちの落とし所が見つからず苦しい。自分の中だけでは消化し切れない。好きだと叫びたい。叫ばれた方にしてみればいい迷惑だと思うのだけれど‥‥。もはやこれは恋であり、愛でもある気がする。
どうしようもないので、そのダンサーについて書いてみようと思う。
バレエとの再会、奥村さんとの出会い
社会人2年目の始めの頃、私はどん底に居た。仕事が無い=社会との繋がりが感じられない=精神的に不安定だった。大袈裟に聞こえるかもしれないけれど、生きるのが辛く、何も楽しめなかった。また、苦しむこと自体をどこか美徳とも感じながら生きていた。表現する仕事を志していたので、苦しんだら苦しんだ分だけ表現の厚みになる、ネガティブなエネルギーから湧き出る表現が美しい。そう思っていた。しかし、そんな美徳も言っていられないほど現実の日常生活は息苦しく、そろそろネガティブな思考から抜け出さなければならないということを少しずつ感じつつも、認められないでいた。
そんなある日、Twitterでバレエ公演の情報を発見した。新国立劇場バレエ団の『眠れる森の美女』(以下:眠り)だった。私はかつてバレエを習っていて、当時教室の発表会にゲスト出演していたダンサーの内何名かが新国立劇場バレエ団に所属していることを知った。一気に興味が湧いて、母と祖母を誘ってみると「行きたい」との返事。3人でバレエ鑑賞をすることになった。2018年の6月のことだ。
主演は米沢唯さん、井澤駿さん。
久しぶりのバレエに胸が高鳴った。眠りの冒頭、オーケストラが激しく響き、久しぶりに聴くバレエ音楽に感慨深くなり、涙腺が緩んだ。劇場でしか感じられない心の震え、オーケストラの反響から伝わる肌感覚。
舞台に立つ直前、舞台から聴こえてくる音楽を聴きながら、緊張と胸の高鳴りを感じつつワクワクその瞬間を待っていたことを思い出す。
夢中になって観た。
全3幕の眠り。プロのバレエの美しさと、懐かしい音楽を生演奏で体感できる時間に興奮し切りだった。
そんな中、3幕で登場したのがプリンシパルに名前を連ねる奥村康祐さん。彼はブルーバードと呼ばれる役を踊っていた。柔らかく羽ばたき、そして踊る喜び・生きる喜びを体現しているようだった。
なんだこの人の踊りは?!?!
衝撃が走った。ポジティブなエネルギーが迸っていた。それまでの私はどんどんネガティブの沼に陥り、そのエネルギーを表現に昇華させようとしていたので、あんなにポジティブで多幸感溢れる表現があるとは知らなかったし、こんなにも心揺さぶられるのか‥‥と驚いた。彼の踊る身体は、今この瞬間舞台で生きられることを喜んでいて、私はそれを受け止めきれずにただただ驚き、幸せ過ぎて、気づけば涙を流していた。奥村康祐さんから目が離せなくなった。そしてこの舞台に出会ってそれまで止まっていた私の人生の時計も動き出した。
観客がダンサーへ拍手とブラボーで称賛を送り、対してレベランスするダンサー達、という空間が目の前に広がっていた。
観客の私はただ強く拍手を送ることしかできなかったけれど、劇場全体で多くの人たちと一緒にこんなに素晴らしい瞬間を共有できたこと、生きる希望をもらって生かされていることに、素直に感謝できる日が再び自分の中にも訪れて良かったと、安堵した。
バレエの舞台の魅力に取り憑かれてしまった。
劇場体験は人間讃歌なのかもしれない…と感じ、その正体が知りたくて、好奇心が抑えられないまま新国立劇場に通い詰めるようになった。
*
終演後、電車に乗るなり、Twitterで感想ツイートを漁り始めた。
そしてどうしても今日観た奥村さんの踊りが忘れられず、別日には主役で踊るとのことだったので、大急ぎでチケットを取った。
そこから私は奥村ファンになった。
眠りの主役デジレ王子のヴァリエーションでは、カッコよく見得を切りつつ、出しゃばらない表現に、一瞬にして惚れてしまった。
同じ年の7月に「バレエ・アステラス2018」という公演で観た『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』は米沢唯さんと二人で、愛らしくイノセントに音楽と戯れていた。おふたりのあまりに爽やかな踊りに心が更に持っていかれた。
その後も沢山観に行った。外部公演での『ファウスト』、『不思議の国のアリス』の白うさぎ役・タルトアダージオでの4人の従者、『ペトルーシュカ』タイトル・ロール、『beyond the limits of ...』、『シンデレラ』お姉さん役、『アラジン』タイトル・ロール、『ロメオとジュリエット』マキューシオ役、『くるみ割り人形』王子役・マウスキング役、外部公演での『海賊』コンラッド役、『竜宮』太郎役、『ドン・キホーテ』バジル役・ガマーシュ役、『Butterfly』、『コッペリア』フランツ役、『ライモンダ』ジャン・ド・ブリエンヌ役、『ペンギンカフェ』シマウマ役‥‥等々。これでもファン歴は浅い方だろう。
奥村さんのバレエの魅力
どの舞台も高い満足感を与えてくれた。忘れられない、忘れたくない瞬間が沢山ある。彼の踊りは私の価値観を変え、心を豊かにしてくれた。一瞬の儚い舞台は、ダンサーたちの長年の鍛錬の賜物だ。私は彼らと同じように日々コツコツ継続する力もなければ、同じように努力も出来ていない。だからこそ心から尊敬している。
のびやかで美しいラインと、顔の付け方と首のライン、パートナーを美しく見せつつ自身も美しく保つ素晴らしいサポート、喜びと生命力に満ちたエネルギー、観客を引っ張る力、パートナーに向ける愛‥‥。そのどれもが素晴らしい。奥村さんの踊りは、幼少期から培ったであろう深い基礎と技術によって下支えされているというのがよくわかる。バレエの美しさの延長線上に表現が乗ることで観客を惹きつける。決して表現だけで暴走するようなことはなくバレエからは逸脱しないが、かといって控えめ過ぎるわけでもない。そこが好きだ。
ご本人が「ダンスマガジン」のインタビューで、「バレエの理想的な美しさに感情が乗った瞬間が感動を与えると思い込んでいたが、ペトルーシュカを踊ったことにより、表現だけでも観客を引き込めるという自信がついた。」「王子のメランコリックな踊りを踊ってもよくわからなかったものが、ペトルーシュカにより、人間の内に向かう繊細な感情を表現することでも観客を引き込めるんだという自信がついた」というような内容を語っていらした。これに関してはとてもとても興味深かった。確かにペトルーシュカには引き込まれていた。しかし私にとって『ペトルーシュカ』の鑑賞がその時初めてだったこともあり、展開を追うことで精一杯だったことがひたすらに悔しい。(こういう時、アーカイブの力は大きいと感じる。舞台芸術は一瞬の時の芸術であるけれど、それとは別の価値としてアーカイブすること、とても大切な役割だと思う。)そして同時にご自身でそのように語られていたことがとても嬉しかった。ポジティブな表現が非常に魅力的な分、メランコリックな表現はご本人も苦手意識があるのだろうか…と勝手ながら感じる瞬間が正直何度かあったからだ。
バレエが好きな観客として、過去に演劇をやったこともある観客として、素人目かもしれないがやはりバレエの美しさで表現してほしいという気持ちがある。"演劇的"と呼ばれるバレエ作品も多々あるが、演劇を観に来ているわけではなく、あくまでもバレエ作品としての表現を求めて劇場に足を運んでいるからかもしれない。そのことについては以前『マノン』を用いて米沢唯さんとワディム・ムンタギロフさんの踊りについて書いたことがあるので、ぜひご参照いただけたら嬉しい。
唯さんの踊りにもう少し触れてみたのはこちら。
しかし同時にファンというのはわがままなもので、想像を超えた姿を見せてほしい、冷静で美しい踊りを飛び越えてきて欲しい、驚かせてほしい、やっぱり最高だ!と思わせて欲しい…!などという欲が出てくるのだ。このワガママをどうか許してほしい…。そして想像を超える瞬間がいつ飛び出るかわからないのが舞台芸術なんだよなぁ。「表現」として表現されたものではなく、「生き切った」という生き様が観たい。でもそれはきっと、【基礎や技術を意識に置かなくても大丈夫=無意識でも確実な技術がある】という状態でこそ生きるのだろう。(などと偉そうに言ってみる。)
一瞬一瞬、一期一会、観る舞台を大切にしたい。そしてやはり彼の踊りを観ることは私の人生には欠かせなくて、できればその素晴らしい瞬間を見逃さないようにしたい気持ちが強い。東京から離れてしまった今、やはり新国立劇場近くに住むことを選択すべきかな…という気持ちにさせられている。彼が踊りを続けてくれている間に、出来る限り多くの舞台を目に焼き付けておきたい。私の人生には欠かせない。
ダンサーのキャリアは他の職業よりも短い。それでも、これからも奥村さんがお怪我無く、健やかに踊り続けられることをいつまでも祈りたい。もし引退する時が来ても、感謝を込めて餞を送れるように。
奥村康祐さん出演作品を一部紹介
2016年2月『ラ・シルフィード』
新国立劇場に通う遥か前の映像。『ラ・シルフィード』について語る、シルフィード役の米沢唯さんとジェームス役の奥村康祐の大好きなペア。
観たかったと悔やんでも仕方が無い…。
映像中出てくるもう1組のペアは、シルフィード役の細田千晶さん(先日新国立劇場を退団されて悲しかった‥‥)とジェームス役の井澤駿さん。
2018年3月 NBAバレエ団『海賊』世界初演
私がバレエを観始める数か月前、NBAバレエ団の『海賊』にアリ役でゲスト出演された際のリハーサル映像。
観たかった‥‥。
2018年7月「バレエ・アステラス2018」『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』
「バレエ・アステラス2018」で『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』を踊った奥村康祐さんと米沢唯さん。
1分17秒~フィナーレの登場シーン。
2018年8月 山本禮子バレエ団『ファウスト』
山本禮子バレエ団公演にゲスト出演した際の『ファウスト』。
ファンになってすぐの頃観に行った。『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』に近いような爽やかさを感じる。
2019年1月「ニューイヤーバレエ」『ペトルーシュカ』
「ニューイヤーバレエ」より『ペトルーシュカ』舞台リハーサル映像。
左から中家正博さん、池田理沙子さん、奥村康祐さん。
最後の方のシーンを観直したい。アーカイブが無い辛さ。
2019年6月『アラジン』
『アラジン』リハーサル映像。
表題役の奥村康祐さん、プリンセス役の米沢唯さん。
この2人のイノセントでキュートな化学反応が大好き‥‥。一つ目の動画(第3幕の1つ目のパ・ド・ドゥ。本番では奥村さんの衣裳のサッシュが解ける事件が起きた‥‥!)が好き過ぎて、飽きもせず通算何万回も観てます。
2019年12月『くるみ割り人形』
『くるみ割り人形』のリハーサル・そしてその本番の映像。
クララ役池田理沙子さん、王子役奥村康祐さん。
このおふたりはパートナーとして様々な作品を踊っているが、パートナーシップは2人で育むもの、ということをとても感じた公演だった。この公演映像は何万回繰り返し見返したことか…(2回目)
2020年2月 日本バレエ協会『海賊』
日本バレエ協会『海賊』のリハーサル・ゲネプロ映像。
メドーラ役の加治屋百合子さん、コンラッド役の奥村康祐さん、アリ役の荒井英之さん。
この時はいつも潜んでいる奥村さんの少年感は皆無で、貫禄があり、新たな一面を観られて嬉しかった。この時期は新国の舞台にあまり出演されておらず、どうされているか心配だったので非常に安心したのを覚えている。
アメリカのヒューストンバレエでプリンシパルとして活躍されている加治屋さんと初めてパートナーを組んだ作品。いつもとは違う場所、違うパートナー、新国には無い作品に、観客も楽しませてもらった。
2020年7月 こどものためのバレエ劇場『竜宮 りゅうぐう』世界初演
こどものためのバレエ劇場『竜宮 りゅうぐう』よりプロモーション映像と公演映像。
コロナ禍で新国立劇場は約5ヶ月閉まっており、ダンサーたちも自宅待機を余儀なくされていた。自宅でレッスンに励む様子や、トークイベントでどれだけ多くの世界中のダンサーに楽しませてもらえたか。
新国立劇場のダンサーたちも徐々に劇場でのレッスンが再開し、一発目に上演された作品。しかも森山開次さんによる新作。いざ劇場で久しぶりに公演を観ると、舞台芸術の素晴らしさを痛感させられた。
この時の奥村さんの弾ける喜びは忘れられない。
2020年10月『ドン・キホーテ』
『ドン・キホーテ』よりリハーサル映像。
米沢唯さん×井澤駿さん、小野絢子さん×福岡雄大さん、柴山紗帆さん×中家正博さん、奥村康祐さん×池田理沙子さん、木村優里さん×渡邊峻郁さん、米沢唯さん×速水渉悟さんの計6組のキャストにより上演された。夢中になって全キャスト観に行った。
3分41秒〜が奥村さんと池田さん。冒頭のジャンプ、3分56秒のエポールマン、4分36秒の視線。コレを見て欲しい!!!
2021年5月『コッペリア』
『コッペリア』リハーサル映像。
コッペリウス役の中島駿野さんの相手がフランツ役の奥村康祐さん。対して一緒にリハーサルしているもう一組がコッペリウス役の山本隆之さんとフランツ役の福岡雄大さん。
3月に行われた「舞姫と牧神たちの午後 2021」公演の『Butterfly』のリハ期と近かったからだろうか、奥村さんはパーマヘアーだ。
この『コッペリア』はコロナの影響により全公演無料ライブ配信になった。劇場に行けなかったのは悲しいものの、観る予定のなかった全キャストを観ることができて嬉しかった。また今までバレエに触れてこなかった方にも届いたようで、日本だけでなく、世界から観られたことも快挙だった。twitterのトレンドにも一時載っていた。
2021年10月『白鳥の湖』
『白鳥の湖』のプロモーション映像と公演映像。
オデット/オディール役の小野絢子さん、ジークフリード王子の奥村康祐さん、ロットバルト役の中家正博さん。
引越し・転職したてで観に行くことが叶わなかった。非常に悔しい。
公演映像の16秒あたりから繰り返されるサポートが美し過ぎる。1分11秒のシンクロした首と脚の角度が素晴らしい。奥村さんは安心サポートしながら、パートナーだけでなく自身も美しく見せてくださるので、見ていてうっとりさせられる。
2022年7月 こどものためのバレエ劇場『ペンギンカフェ』
こどものためのバレエ劇場『ペンギンカフェ』リハーサル・インタビュー映像。ケープヤマシマウマ役。しなやかでシマウマにしか見えない美しい四肢だった。56秒~奥村さんのシマウマ。