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理解できなくても愛することはできるのか?

自分は夜というよりは朝型人間だと思っていたが、どうやらそうではなかったらしいということに最近気づいた。お布団とお友達過ぎて目が覚めても立ち上がる気力が起きない。そんな時、ケータイを弄ってしまう。それくらいしかできない。

先日は仕事に行く前にやる気が起きないので、youtubeで作成している「新国立劇場バレエ団プレイリスト」を開いてみた。
(私はバレエファンで、中でも新国立劇場が大好きなのです…!)



バレエ作品『マノン』から考える、他者を理解するということ


何を摂取すれば元気が出るかなぁとぼんやり考えた結果、久しぶりにバレエ作品『マノン』の音楽とダンサーインタビューを聞きたくなったので、ラジオ代わりに再生してみた。
(2020年2月下旬、コロナで世界が混乱し日本にもその波が押し寄せ始めた頃、私は新国立劇場バレエ団『マノン』公演を観に行っていた。人生に何度観れるだろうか、名演以上の上演だった。名演の数日後、コロナにより公演が途中で中止になった。デ・グリュー役のワディム・ムンタギロフはロンドンから来日しており、奇跡的に上演できたのだと改めて感じる。
2月末、未だ寒くも少し春の匂いを感じ始めた為、マノンを思い出したのかもしれない。)

バレエ『マノン』とは
『ロメオとジュリエット』と並び称される、振付家マクミランの代表作。
1731年に発行されたアベ・プレヴォーによる恋愛物語『マノン・レスコー』を原作とし、本作品では18世紀後半のフランス革命前のフランス・パリで下層階級に生まれた少女の波乱に満ちた人生が生々しくリアルに描かれる。
当時の退廃的で誘惑に満ちた社会の中で懸命に生きる登場人物達の姿は我々の心を動かす。
古典バレエの原理にとらわれない斬新かつ繊細な振付で、愛や裏切り、嫉妬など登場人物達の心理が鋭く描かれている。
バレエの身体表現の幅と奥深さを堪能できる。

新国立劇場バレエ団『マノン』公演ページより
https://www.nntt.jac.go.jp/ballet/manon/highlights.html

バレエ『マノン』 あらすじ

パリ近郊の宿屋の中庭。若い神学生のデ・グリュー、富豪のムッシューG.M.、修道院に入る妹に会いに来ているレスコーの姿が見える。美しい少女マノンと神学生デ・グリューは恋に落ち、駆け落ちをする。ムッシューG.M.はマノンの兄レスコーに彼女の身請け話を持ちかけ、大金と引き換えにレスコーの同意を取り付ける。
デ・グリューの下宿でマノンとデ・グリューはしばし共に暮らすが、彼の留守中にムッシューG.M.とレスコーが現れ、大金でマノンを説得しムッシューG.M.は愛人として彼女を連れ去ってしまう。
ムッシューG.M.のパーティーでマノンとデ・グリューは再会。
説得するデ・グリューに「カードでイカサマしてムッシューG.M.の金を巻き上げられれば一緒に行く」とマノンは答える。だがイカサマは見破られ、マノンとデ・グリューは慌てて逃げる。ムッシューG.M.がデ・グリューの下宿先へ警察を連れて来て、マノンは逮捕され、諍いの中でレスコーは殺される。
マノンは売春婦としてアメリカへ送られ、デ・グリューは彼女の夫を装い後を追うが…。

新国立劇場バレエ団『マノン』公演ページより
https://www.nntt.jac.go.jp/ballet/manon/story.html




以下の動画は、『マノン』稽古期間中に収録されたインタビューなのだが、ぼんやり聞いていた中で、マノンの兄レスコー役で出演されていた木下嘉人さん(以下:木下さん)のお話しで色んな思考が繋がっていった。

レスコーという役柄について

「貧富の格差ある時代。レスコーは元兵士。すごく真面目な方。けれどもお金に凄く興味があって、いつもどうやったらお金を稼げるかを考えている。それで結局妹をG.M.に売っちゃう、それでお金を稼ぐという心境になる。その"妹を売る"ということが僕にはまだ全然わからなくて。でもそうでもしないと生きていけないという人物。だけど皆に好かれている。凄く難しい役柄。」
「人を売ってしかお金を稼ぐことができないという心境は、僕わからないんですよね、そういう体験がないので。だから、"本当は良い人だけど"という部分に関しては素で居られるような気がして。でも唯ちゃん(マノン役:米沢唯さん)を売るっていうことに関しては本当に未知なんですよね。正直僕今子供居ますし、それを例えば子供とかを売るってなっても絶対出来ないんですよ。でももしそういう時代になったら、そうせざるを得ない気持ちになるのかもしれないんですけど…気持ちの整理はできてないですね…それは正直…。」
「(場面ごとの稽古をしている段階なので)まだ考えている状態なのですが、心痛くなります。複雑な気持ちになって覚醒できるのかもしれないですね。」

バレエチャンネル 木下嘉人さんインタビューより
https://www.youtube.com/watch?v=0Rghdoz6MOI&list=PLUvglWi40HOYaykf1EgtbYaAGyxoIkfTG&index=91


木下さんのリハーサル風景はコチラ↓




私は学生時代、演技の勉強をしていた。
よく演出家や先輩に「役に身体を貸す」という表現で指導を受けていた。
とても抽象度の高い言い方だと思うのだが、その指導を受けた私は「役者とは憑依しなければ真の役者ではないのかな…でも私はそれがなかなかできない…。」
そういう劣等感があった。

一方で同期の発言が未だに記憶にある。
「わからなくてもやれる。自分自身で良い。」

その時今までの考えが覆されて衝撃を受けたのを覚えている。実際には正解はわかりかねる。「役に身体を貸す」と「自分自身で良い」が二項対立になるのかどうかもわからない。作品や求められるものによってもその正解は異なるのだと思うし、そもそも演じることに正解なんて無いのだと思う。

しかしひとつの美学・方法論として、役を理解できない自分のまま、自分の違和感をそのまま受け入れ、許しても良いのだなとその時感じた。
納得できなくても演じられる。役の心情や行動に同感しなくて良い。理解に努めた上で、違う他者として認識する。それでも良いのかもしれない。



『マノン』の世界について言えば、木下さんのお話しのように、妹を売るという感覚、お金と恋に揺れ動く主人公、その心境を理解するには程遠い。一般的な作品の解釈として、マノンは「欲望むき出しの魔性の女」と言われることも多い。理解できないが故に、理解に努めようとした結果の解釈なのかもしれない。(上記で貼り付けた「3分でわかる!バレエ『マノン』」という動画内でも「愛も財産も失いたくないマノン」のように説明されている。)

しかし実際の上演で、マノン役の米沢唯さん(以下:唯さん)を観ていて感じたのは「魔性の女」ではない。ただただ何に対しても純粋に生きる様だった。唯さんは決して「魔性の女」を「演じる」ことをしていなかった。ただ唯さん自身として感じて生きていたのだ。
これは観客としての私が勝手に解釈したに過ぎないことをご留意いただければと思うが、唯さん自身がマノンを理解していたかどうかはわからない。憑依していたのかもわからない。どちらかというと唯さん自身だったのではないかと感じた。
上演前のインタビューなのでここから本番までの間に変化はあったことと思うが、以下のインタビューでは「私自身がマノンを愛し始めている。そのマノンを踊れたらいいな…」と語っている。


唯さんのリハーサル風景と本番の映像はコチラ↓


①リハーサル風景


②第一幕 寝室のパ・ド・ドゥより


③第二幕 マノンのソロより


④第三幕 沼地のパ・ド・ドゥより



経験がなくても想像力で理解を補えるのか考えてみる


上記の同期はこんなことも言っていた。

「経験が全てではない。想像はできる。」

そうなのかぁ…。凄いことを言っているなぁ…。というのが私の率直な感想。
私はその同期のことを尊敬している。私には無い考えを持っているからだ。
私にとっては難解な言葉選びをするので、思慮を巡らせてみたくなるのだ。
しかし私自身は経験値からしか想像力は生み出せないのではないか、と考えている節がある。
「経験は無駄にならない」という言葉をかけられると何だか違和感があるのだが、同時に自分の過去の出来事に関しては尊いと感じている。
経験は否定しない。むしろ肯定している。起きた出来事も全て受け入れているつもりだ。

それでは想像力とは何か。
今までの経験から想像力を駆使できているのだろうか。
経験していないことに対しても想像力は働かせられるのだろうか…。

誰かを傷つけてしまった時、自分の想像力の足りなさを感じる。
とても不甲斐なく、情けなく思う。
想像力とは、「想像しよう」と意識している時よりも、想像力が足りなかった時に重要性を実感するのかもしれない。

また、想像力は思いやりだとも言われる。

相手を思いやる、尊重する、受け入れる、許す…。
自分とは違う他者として認識して配慮する。
そんな意味合いが近いのかもしれない。


自分なりの「世界を愛する糸口」は何だろう


私は現在、無形高級商材を扱うtoCの営業職をしている。とりわけ顧客満足度を求められる。
「お客様を幸せにする」「お客様にとってその選択がベストな選択なのか?」「お客様と向き合う」という言葉が社内では飛び交う。
とても大切な考え方だし、この考え方があってこそのこの仕事なのだと思うが、正直違和感もある。この言葉を聞くたびに、「そんなに私はお客様の幸せを第一に考えられないなぁ」という黒い自分が出てくる。
もちろん不幸になってほしいとは思わない。少しでも幸せを感じる人が増えれば、もっと豊かな社会になるのではないかと思う。
でも意図して他者の幸せに介在できるものだろうか?という疑念がある。
「お客様の幸せの為に」と言われるよりも「自分が幸せに働きたい」と言われた方がよっぽど受け入れられるな、などと思ってしまう。

とてもセンシティブな内容になるのだが、東日本大震災があった頃、高校球児が「自分たちのプレーで被災地の皆さんに勇気を与えたい」と言っているのを聞いて、「嘘つけ!」と当時福島県のひねくれ高校生だった私は感じていた。自分がやりたくてやっているスポーツなのだから、「自分の為にやっている」と発言してほしい。そっちの方がよっぽど信用できる。勇気が湧くかどうかは観客側が決めるのだから…と思っていた。

自分が幸せで、結果的に他の誰かのことも幸せにできた。
それがベターなのではないだろうかと今の私も考えている。

私は私が楽しく喜びを感じて生きるための手段としてキャリアを考えている。お客様の幸せを願うことは、私のモチベーションの源泉第一位にはならない。お客様の人生において、意思決定はお客様自身にしかできないのだから、と境界線を引きたくなってしまう。

ただ他の誰かにとっては、お客様の幸せを願いたい、と考えることが直接的にモチベーションに繋がるのかもしれない。

対人支援って一体何なんだ、、?
よくわからなくなっている。



大学時代に映画制作をしていた時、縁の下の力持ちとして朝から晩まで寝不足で動くことに何の苦もなかった。それは制作メンバーひとりひとりが愛おしかったから。愛する俳優たちが、テクニカルメンバーが、ベストパフォーマンスを発揮して輝く姿をこの目で見たかったからだ。それを見ることが楽しかったし、私にとっての喜びだったからだ。
私にとって、皆が輝けるような環境を整備することがやりがいなのだと感じた。

ところがその翌年、1年間別のプロジェクトのリーダーをしていたのだが、全然仕事がうまくいかなかった。プロジェクトリーダーとしての推進力も、メンバーへのマネジメント力も、ゴール設定も何もかもめちゃくちゃで落ち込むばかりだった。そんな時、愛する数人の友人の存在がモチベーションになっていた。この人たちが活躍する為に自分の仕事はあるのだ…。
しかし何も上手くいかない中で、プロジェクトメンバー各々に思惑があり、メンバー全員のことは愛せないとも思ってしまった。全然頑張れない…。数人の愛する人が居れば充分なのに、そのことに目を向けられなくなっていた。
今思えば、苦手な仕事に向き合わなければならない状況と、膨大なタスクと、単に向いていないことが多かったのだから仕方ないと思うのだが、当時は苦手なことに向き合う上での最低限のモチベーションも失われていったことがとても苦しかった。

そんな経験を通して、愛するということ、自分のモチベーションの源泉、自他境界、想像力についてはよく考えるようになった。



あれから5年。様々なことを経ても、やはり今何度も思うのは、愛することができる人間でありたいということだ。

今年の初め、仕事においてのありたい姿について社内でプレゼンする機会があったのだが、全く思いつかなかったから人としてどうありたいかを話すことにした。

「わたしには大き過ぎる人生の命題があります。」

とキャッチーさを出した方がいいのかなと思って劇的に話したけれど
そんなキャッチーさはいらなかったみたいだ。

むしろ小さくて長い目標だ。

まずは一人を愛するところから。

愛するとは許すこと。
唯さんのマノンは世界を許していたし、木下さんのレスコーを許していた。むしろレスコーとの固い信頼関係を築いていたからこその全ての行動だったように思える。
唯さん自身がそんなマノンを許し愛していたから、観客には純粋な愛情が伝わってきたのかもしれない。

一人の人を愛することを通して、世界全体を愛せるのかもしれない。


さて、どうやって生きようか。




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