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なんだっていい、本気をみたいのだ

人口5万人くらいの、小さな我が市に、
NHKのど自慢がやってくる、
というニュースに、市民は浮き足だった。
ゲストは、日本人なら誰でも知っているほど
の、有名な歌手だ。

母とわたしは、もうこんなことは
この先、50年はない。
つまり、一生に一度の機会である。といい、
観覧の抽選に申し込んだ。
一生に一度なら、歌えば、という話だが、
歌いたいわけではないので。

抽選は見事に外れたが、放送前日の
予選会は、観覧自由、との事。
母と観に行くことにした。

今まで知らなかったが、のど自慢の本番は
生放送だ。
予選会は本番の前日に行われる。
つまり、本番に出られるかどうかは、
前日までわからないのだ。

なんかすごいな、心の準備をする暇がないでは
ないか、と驚く。

予選会当日、観覧席にはなんとか
座る事ができたが、大入満員だった。

予選だし、何もないステージで歌うんだろ、
と思っていたが、本番のセットがもう組んで
あり、出番を待つ人たちは、本番さながらに、
セットの雛壇に座って、他の人が歌う間は、
両手を胸の前に出し、
左右に揺れさせられていた。

しかし、Xの「紅」を歌う人のときだけは、
両手をバッテンにしてあたまの上に掲げよ、
という指示があったようで、
みんな素直に従っていた。

本番と違い、音源はカラオケだし、
司会は男性ディレクターみたいな方だったが、これはもう、
鐘はならないけど、十分、本番気分になるな、
とテンションが上がる。

さらにわたしのテンションを上げたのは、
本物のテレビキャメラと、
東京(大阪かも)から来た、
本物のテレビスタッフたちの姿だ。
かわいい。
かっこいい。

化粧っけのない、髪をひとつくくりにした、
若いカメラマンの女の子でも、
光ってみえた。
すきになっちゃう。

都会で働く人はやっぱり垢抜けてるね。

と母に耳打ちする。

予選は約3時間かかって、
150人が歌うので、1人の持ち時間は
30秒くらいだ。
ゲスト芸能人の、とあるヒット曲を歌う人が、
7人ぶっ続けだったりして、
(カラオケの都合上、同じ歌を歌う人たちは
まとめられる)
またかよ!
飽きたぞ!
とどよめき笑いが起きたりするが、
始終、会場はあたたかな雰囲気。

私達のうしろに、おそらく声からいくと、
30代の男性らしき2人が座っていて、
だいぶはしゃいで、
楽しんでおられる様子だった。
話が耳に入ってきたのでわかったのだが、
この2人はどうやら、

「のど自慢の予選会の観覧が趣味の人たち」

のようだ。
つまり、日本全国の、のど自慢の予選会場
に行っているのだ。
今日もどちらからいらしたのか知らないが、
ぜんぜん知らない町の、
ぜんぜん知らない人達が歌うのを、
とても楽しんでおられる。

「いいわあ!あのステップいいわあ!」

など、まあ、楽しんでおられる。

これは、なかなかいい趣味だな、と思う。
お金も交通費しかかからない。

行き先は自分で選べないけど、
知らない街の美味しいものを食べたり
できるし。その街ごとの雰囲気もそれぞれ
違うだろうからたのしそうだな。
わたしも時間ができたらやろう。


実家に居た頃、日曜日の昼ごはんは、
のど自慢をみながら食べていた。
小さい頃は、こんな、知らない一般人の
さほど上手くもない歌を聴いて、
何がたのしいのだろう、と、思っていた。

のど自慢のよさ、がわかったのは、
40歳を過ぎてからである。
ある日、実家で、いつものように、
のど自慢を見ながらご飯を食べていた。

・漁師をやっている若い兄弟
・離れて暮らす祖父母に向けて歌う孫娘
・会社の同僚何人かで出場した人たち
・地元の学校の先生

など。
歌う前にちょっとだけ司会から、口上がある。

「兄弟で漁師をされてます!どうぞ!」

みたいな。
今は、その人について短い紹介文が、
画面にテロップでつく。

その若い兄弟の漁師の歌をききながら、
自然に、その兄弟の日常を思い描いていた。
で、

あ、そっか。

と、すとん、ときたのだ。
のど自慢のよさ、が、わかった気がした。

のど自慢は、歌そのものをたのしむ、と
いうよりも、

「ステージで歌っている人の日常」

を想像しながらみるから、いいのだ。

兄弟で漁師か、なかよしだな。

孫娘が出ておばあちゃん、泣いてるやろな。

同僚で出ようってなって、このステージに
立つまでいろいろあったんやろな。
仕事終わってから練習頑張ったんかな。

こんな先生いたら元気でるよな。

とか。
自然と、ひとりひとりの日常、
を想像して、歌うのを聴いている。
制服や、仕事着のある人は出来るだけ
その服装で出てください、
と言われているのかは知らないが、
仕事着だとさらに、それが想像しやすい。

父と母はのど自慢がすきだが、たぶん
歌のうしろに、その人の人生を想像して
みるからたのしい、
なんて、自覚はないと思う。
でも、それを自然に感じていたのだろう。

ぜんぜん知らない、
会ったことも話したこともない人の
日常を想像して、それをたのしむ。

noteだってそうか、と気づく。

全然知らない人の、日常や、考え。
話したことも、顔も知らない人の日記。

それをたのしむことができるなんて、
人間ってすごい能力を持っている。



予選会の帰り道、母と、

「たのしかったねー」
「たんのした」

と言いながら帰った。
たんのした、というのは方言で、
「満足した、お腹いっぱい」
という意味である。

予選会の観覧が趣味、というお兄さんたちの
きもちもわかった。
みんなが一生に一度の、
本気のステージだから、見たいのだ。
だから感動する。
高校野球と同じ。

緊張して、歌詞を忘れたり、
声が裏返ったり、
めちゃくちゃ音痴でもいい。
ひとりの人間の、一生に一度の、
本気の晴れ舞台。

いつだって、本気で何かをやっている
人間を、人間は、見たいのである。


よみんさま
イラスト使わせていただきました。
ありがとうございました!









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