見出し画像

耳はどこへいってしまったのだろう

ほんものの野良猫なら、こちらです。

みみがない

野良猫を見ると、どこまで近づくことが
できるのだろう、と考えてしまい、
「野良猫チャレンジ」をしてしまう。
低くゆっくり、近づいていく。
急いでいたって、やりたい。

野良猫は、居るところにはたくさん居て、
都会の野良猫は人慣れしているだろうが、
田舎の野良猫は人を見るとすぐ逃げる。

この野良猫は、ちょっと街中の、
スナック街のあたりにいたから、
人慣れしているようだ。

3mくらいの距離まで近づいて、
ちょっとズームした写真がこれだ。
この猫は、人間など怖くないのだ。

こちらを警戒もせず、じっと見つめている
先には、みゃーみゃーいってウロウロしている
子猫が2匹ほどいた。
だから、ガチ野良のお母さんだとわかった。

うまれたから、たべさす。しなせない。

それは多分、本能として、備わっている。
エサをどうやって手に入れているのか
はわからない。とくに夏場や冬場など、
ほんとにどうやって。

小さな子たちを隠す事も難しいだろうから
残してエサを探しに行くのは不安だろう。
いや、不安を感じる、とかあるんかな。
お父さんは、その間守ってくれる、とか、
しないんだろうし、帰ったら子供が
しんでいた、とか、さらわれていた、
なんてこともあるだろう。

しかしお父さんを恨んだりもしないだろう。
お父さん、とかの概念もなさそう。

目立つから、みゃーみゃー言うなよ、と
思う。たぶん母猫も、思っている。

お母さんの耳、は
どこへ行ってしまったのだろう。
けんかをして、噛みちぎられたのだろうか。
生まれつき、こんな感じではなかっただろう
から、耳がないのは何か事情があるのだろう。

野良猫の顔、とゆうのは、険しい。
飼い猫の顔、というのとは全然ちがう。

いつもなにかに警戒し、
やられるかやるか。
取るか取られるか。
「皆敵」
と思っていると、こういう顔になるのだろう。

人間の顔を見ても思う事だが、
普段している顔が板についてくる、とゆうか
普段感じている気持ちのままの
顔になってしまう、というか。
いわゆるそれが、人相。

いつも悪い事ばかり考えている人は
悪人面になり、
いつも善い事ばかり考えている人は
善人面になる。
善悪の判断は、個人的なものであるから、
ここでいう善い、悪い、というのは、仮に、

人に喜ばれないことをするのが悪、
人に喜ばれることをするのが善、

と定義するとしよう。
逮捕とかされてしまう人の面がまえからは、
たいてい

辛苦
うらみ
悲しみ

が溢れている。
指名手配者のビラなどをみると、じっと
顔を見てしまう。
罪を犯した人の肩をもつわけではないが、
ああ、辛い人生の果てに、な、と思う。
まあ、思うだけで、同情するとかじゃない。

人に喜ばれないことを、しなければならない
目的は、たいてい

お金とうらみ

それ以外に、理由はあまり無さそうだ。
という考えからいくと、
お金に困っていなくて、
人をうらんだりする事がなければ、
犯罪がなくなるのか。

いや、ほかにも、欲望のままに行動して
捕まってしまう場合もあるから、

金、うらみ、欲望

か。

まて。
金もあり、うらみもなく、欲望もないのに
万引きしてしまう人もいるな。
これは、

心にポッカリ穴があいている

からかな。

わかんない。
犯罪を犯すまでの道程は、以外と、
複雑怪奇
なのかもしれない。


あれ。野良猫から、犯罪の話になって
しまった。
野良猫と、犯罪は、関係ないですのに。

わたしが、野良猫に釘付けに
なってしまうのは、彼ら、彼女らが、

その刹那

を、生きているからだと思う。
後先などなく。後悔とかもなく。

いかんせん、野良猫に会うと心の中で思う。

おつかれさまです。師匠。
かお、こわいっすね。



にきもととさま
イラスト使わせてもらいました。
有難うございました!






この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?