【1】発芽
ガラガラガラ…
ザアアアアアアアア..........
ゴロゴロゴロ.....ドーン!
2021年8月中旬、日本列島に前線が停滞し、お盆の恒例行事と化した長雨が続く。
ちょうどその時、ボクは自分を見つめ直したい心からの欲求から、実家を離れて岐阜県郡上市に来ていた。
マイプロジェクトを起こそう。
ボクは、何をプロジェクトにするか悩んだ。
ええい!僕がやりたいことは、文章だ!
屋根を打ち付ける雷雨の下、僕は自伝を書くことを決意した。
自分に素直に向き合うことを、したい。
発芽
ミキオは、平成14(2002)年の春に生を受けた。体重は3900グラム。
札幌,三重,東京を転々としながら、大学教授の祖父とピアニストの祖母に育てられた「トカイ育ち」の父と、静岡・清水で育った「イナカ育ち」の母の間に生まれた巨体。
長男で、家の中でも21世紀最初の生まれだった。
しかし既にこの頃から、体が大きかった。
母の祖父母が住む鎌倉で里帰り出産をしていたのだが、祖父母が寝かせる場所としてちゃぶ台の上に寝かせられた。
ちゃぶ台に収まるわけないやろ。
鎌倉での生活も、首が座るまでだった。
田植え
もともと、ミキオのアイデンティティが形成される街・サンフランシスコへ行くことは、ミキオが生まれる前から決まっている。
そんなことはつゆ知らず、首が座らぬまま悠然とちゃぶ台の上で過ごすボク。
父母共にとても子供思いで、初めての子どもという事もあり、僕にあふれんばかりの愛情を注いだ。
母は会社を退社して、ミキオの子育てに専念した。
やがて首が座ったか座らないかわからぬうちに、訳も分からぬまま太平洋を渡る。
渡った後の世界こそ、初めてミキオ自身の目を通して見る世界だった。
ミキオは外を歩く度、目に見えたものを指差しては
「カー!!」
「ブリッジ!!」
「ん、エアプレイン」
覚えたものが目の前にあると、嬉しい!
・・・目に見えるもの、耳で聞こえること、手でさわったもの、五感で感じるもの・ことすべてが新鮮。
サウスサンフランシスコのセントラルレイクに面する湖畔に、父が家を構えてくれていた。 サンフランシスコ湾に面した、自然豊かな郊外の街。 何もかもが広かった。
ミキオは、湖の周りのデッキを無心で走り回った。
ここに、18年後に郡上で再体験することになるミキオの原点がある。
全てのスケールが大きい郊外の環境で、ミキオはのびのびと育った。
公園遊行
近所には、大きな公園があった。
休みの日、父にベビーカーを押されて、ボクはその公園にやってきた。
遊具が視界に入った瞬間、ミキオはビビっときた。
まるで要塞のようなデッキ。
小学生用とは思えない、長い長い通路。
プラスチックでできた、ワイルドな遊具が立ち並ぶ。
ミキオの心が躍り出す。
父がベルトを外し、ベビーカーから降ろされるや否や、ミキオは目の前の上り階段に向かって一目散に走りだした。
「ん!! ん!!! ん!!」
何で遊ぼうか・・・と考える暇などない。
目の前に見えるものに向かって、身体が勝手に食いつく。
とにかく遊具の中を
「無心で」
走り回った。
何も考えずに、身体の赴くままに遊具や、その周りを駆け巡った。
1人で遊具の上を走り回り、気が付くと日が西へ傾いていた。
「みっくん、おいでーー」
父が呼んでも、ミキオは上の空。
このゆうぐのさきには、なにがあるんだろう。
このすべりだいはなんだろう。
ミキオは、怖いもの無しだった。
小学生用の遊具に果敢に挑戦する2歳児。
恐る恐る・・・ではなく、心から楽しんでいた。
これを、僕の原点と定義しよう。
植え替え
見るもの全てが新鮮なサンフランシスコ。
しかし、そうしてアメリカという「畑」で育ったミキオという「芽」は、ずっと同じ畑で育つことはなかった。
やがて、日本という鉢植えへと移し替えられることになる。
その前触れ
ある日、サンフランシスコ国際空港近くの公園・コヨーテポイントを、母にベビーカーを押されて散歩していた時であった。
サンフランシスコ湾に面した遊歩道を歩いている時、
ボクは、遠くで着陸態勢にある飛行機を見つけるやいなや、
「ん、ん、 エアプレイン!! エアプレイン!!」
ボクが人差し指を向ける先を必死に探し、母が発見した機体には、
Japan Airlines
というプリント。
英語があまり話せない母にとって、異国での生活は苦労が多かった。
近所に知り合いがいるわけでもなく、父は朝早く仕事に出ていってしまう。
外を歩く人も少ない。
しかも、こんな1歳児とふたりきり。
あれに乗れば、日本に帰れる。
地に足をつけようとしている赤い鶴を、じっと追いかけた。
日本という鉢植えへ
、、、本当に帰ることになった。
2歳11か月のこと、父の駐在が終わることが告げられる。
ついに、日本という鉢植えに移される時がやってきた。
旅立ちの前夜、父母はボクを連れ、日本人のママ友たちへ最後の挨拶をしに行く。
「みっくん、元気でいるんだよ!」
ママ友たちは、涙目でミキオの頭を撫でてきた。
何が起きているのか、さっぱりわからない。
植え替えの前夜、祝福の涙が降った。
こうした数々のドラマを経て、ミキオは父母と共にサンフランシスコを旅立った。
後に「巨木」と呼ばれることになるボクの将来を暗示する、スラっとして背が高い現地で買ったクリスマスツリーを航空貨物に積んで。
当然ながら機内食は乳児食で足りるはずがなく、大人のメニューに手を出していく。
人生の逆風に立ち向かうように、3人を乗せたJAL002便は偏西風に逆らいながら日本という地へ降り立った。
そこで待ち受けていたのは、、、、。
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最後までお読みいただき、本当に本当にありがとうございました!!
本エッセイは、投稿主が受講していた
オンライン市民大学「さとのば大学」のカリキュラムにおける個人プロジェクトとして
「自伝を書こう!」
という趣旨のもと、投稿させて頂いております。
僕自身今後さらに投稿内容を充実させていきたいため、みなさんからのフィードバックを頂ければと思っております。
短文でも構いませんので、本文を読んだ上での率直な感想をこちらに記入頂けると幸いです!短時間で終了します!
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