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先生が積極的にリーダーシップを手放した方がいい理由

リーダーという言葉を聞いて、どのようなイメージをもつでしょうか。
昔から言われているのが「チームを率先してリードする存在」「指示・命令する人」ということです。そして、リーダーというのはそのまま『担任』という文脈でぼくたちに置き換えることもできます。先生方のイメージでも、担任の先生は「子どもたちをリードする存在」「子どもたちに指示・命令する人」となっているのではないでしょうか。
こうした先生の在り方を否定するわけではありません。が、ややもするとこうしたリーダー像が子どもたちの成長を阻害する一因になり得るとぼくは考えています。なので、本記事では学級担任としての振る舞いやマインドセットについて、ぼくなりに考察してみたいと思います。

まず、前述したようなリーダー論は「自分は子どもたちよりも、知識や経験において優れている」という思考がベースにあります。だからこそ指示・命令をするという選択が当たり前になってくるわけです。
ここで問題となるのは「そもそも先生は優れているのか」という点です。ここが崩れれば、リーダー論が根本から覆ってしまうでしょう。

一般企業で考えると分かりやすいです。社会は急速に変化し続けるわけですから、昔からの知識や経験は10年もしたら役に立たなくなるのは明らかです。なので、リーダーは常に新しい知識や経験を探し、成長できる人でなければなりません。リーダーがというより、知的向上心のある人でないと指示・命令が時代遅れになってしまい、結果として指示・命令されたチームは時代遅れになってしまうということです。
そしてこの例は、まんま学級でも当てはまるとぼくは考えています。知識のアップデートを怠っているにも関わらず、ただ先生だからという理由で子どもたちに指示・命令をしていると、間違った知識を子どもたちに与えることにもなりかねません。
中でもその傾向が顕著に表れるのが、ICT教育でしょう。

例えば、タブレット端末の持ち帰りについてです。
よく聞くのが「タブレット端末を持ち帰らせたら好き勝手に使いトラブルを起こすから、原則として持ち帰りはさせていない」というものです。もちろん、この意見にも一理あります。確かに自由に使っていいよ、となれば当然遊びのために使ったり、トラブルの原因にもなったりするでしょう。
でも考えてみて下さい。子どもたちが将来大人になったときに、タブレット端末に触れずに一生を過ごすということはまずあり得ません。99%の子どもたちは、仕事でもプライベートでもタブレット端末を使うでしょう。そうなったときに初めて「タブレット端末を自分で使う」という経験をさせるのは、あまりにも遅すぎます。すでに学校ではタブレット端末を扱える環境があるのだから、むしろ先生や保護者の管理下のもとで、たくさん使わせ、たくさん失敗し、その経験から学ばせることが結果として子どもたちのためになるというのは明らかです。実際、文科省もタブレット端末の持ち帰りや家庭学習での活用は推奨しています。

ここまでの論をまとめると、2つの主張が見えてきます。

1.トラブルになるから持ち帰らせない
2.トラブルになるかもしれないが、子どもたちのため持ち帰らせる

別の視点からこの論をみてみると、持ち帰らせないという主張の裏には「子どもはトラブルメーカーで、大人がしっかり管理しないといけない」という思考が見えてきます。これはまさに、冒頭で示した旧態依然のリーダー的思考だと言えるでしょう。逆に、子どもたちの将来や文科省からの情報をしっかりとキャッチしている知的向上心のある先生方は、持ち帰らせるという主張をしている方が多いように感じます。

これは一例ですが、教師側がなにかを選択する際に「子どもを信じるか・信じないか」でその決断が大きく変わってきます。ぼくの中での最適解は「子どもを信じた上で、なるべく任せる方向で選択していった方がいい」というものです。
任せるというのが、本記事のタイトルである「リーダーシップを手放す」という点とリンクしています。

もちろん、なんでもかんでも任せるというのは厳しいです。学年や発達段階に応じても任せる度合は変わってくるでしょう。例えば、小学校1年生の子どもたちに「自分たちで学習しよう」と言っても、まぁ学習は成立しないと思います。係活動とかでも同様ですね。
しかし、4月スタート時から「年度末には、この子たちに〇〇を任せられるようにしよう」と意識して学級経営や授業計画を立てていけば、かなりの部分を任せることができると思います。1年間かけてのロングスパンで子どもたちを育てるのです。

正直、なんでもかんでも先生がリードした方がラクなんです。でも、それでは子どもたちの将来のためにはならないのではないか、と最近は考えています。いつか、子どもたちは社会に出て強制的に自立を求められます。そのときの力を学校で培うためにも、ぼくらは子どもたちを信じ、リーダーシップを手放していくべきではないでしょうか。



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