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人間の脳はデジタル社会に適応していない―アンデシュ・ハンセン『スマホ脳』

「有害メディア論」ではない

キャッチーなタイトルから、「スマホが人の脳を破壊する」というような「有害メディア論」(※)的な内容を想起した人も多いのではないでしょうか。
実際、ぼくもそう考えて、刊行当初は敬遠していました。
しかし、朝日新聞の書評欄で紹介されるなど、メディアで取り上げられることが増えたので、気になって購入してみました。

読んでみて、この本はこれまで巷で流布してきた「有害メディア論」とは本質的に異なるものだと思いました。
これまで話題になった「有害メディア論」は、「ゲーム脳」や「脳内汚染」など、「デジタルデバイスが脳に悪い影響を与える」という構図でデジタルデバイスを糾弾するものでした。

これに対して、本書『スマホ脳』では原則的に、「人間の脳の働きがデジタルデバイスに適応していない」という構図を取ります。

例えば、「スマホがあるとつい触りたくなる衝動」に悩まされている人も多いと思います。
これは、スマホから発せられる何らかの刺激が人間の脳の働きをおかしくするからではありません。ハンセンによれば、人間の脳には常に新しい情報を求める報酬系が備わっています。

進化の観点から見れば、人間が知識を渇望するのは不思議なことではない。周囲をより深く知ることで、生存の可能性が高まるからだ。天候の変化がライオンの行動にどう影響するのか。カモシカがいちばん注意散漫になる状況は?それがわかれば狩りを成功させられる確率が増し、猛獣の餌食になるのも避けられる。
(アンデシュ・ハンセン『スマホ脳』,p.71, 太字引用者)

しかし、現代社会ではニュースやメール、SNSなどの情報がインターネット上に溢れています。「常に新しい情報を求める」という脳の報酬系に従った行動によって、人々はスマホを手放せなくなります。

今度はあなたや私が生きる時代まで早送りしてみよう。脳は基本的に昔と同じままで、新しいものへの欲求も残っている。しかし、それが単に新しい場所を見たいという以上の意味を持つようになった。それはパソコンやスマホが運んでくる。新しい知識や情報への欲求だ。
(前掲書『スマホ脳』,p.73, 太字引用者)

人間の脳は、狩猟採集社会に最適化して進化してきたと、ハンセンは言います。こうした、人間の脳に備わっている仕組みが、現代のデジタル社会と齟齬をきたしているというのが、ハンセンの主張です。

スマホを自室に置かないようになりました。

本書を読んでぼくが生活習慣を改めるきっかけになった一節に、「サイレントモードでもスマホは私たちの邪魔をする」(p.92~)があります。

大学生500人の記憶力と集中力を調査すると、スマホを教室の外に置いた学生の方が、サイレントモードにしてポケットにしまった学生よりもよい結果が出た。(中略)
同じ現象が他の複数の実験にも見られた。そのひとつに、800人にコンピューター上で集中力を要する問題をやらせるというものがあった。結果、スマホを別室に置いてきた被験者は、サイレントモードにしたスマホをポケットに入れていた被験者よりも成績がよかった。
(前掲書『スマホ脳』,p.93, 太字引用者)

同じ部屋にスマホが存在するというだけで、人間の認知能力はこれだけ影響を受けるというのです。
この部分を読んでから、ぼくはスマホをできるだけ自室に置かずに、リビングに置いておくようにしています。
効果は劇的で、在宅ワークや勉強の最中にスマホに気を取られることがなくなり、とても気が楽になりました。

スマホを別室に置く、というシンプルな方法ですが、スマホばかり見てしまうことに悩んでいる方は、是非実践してみてはいかがでしょうか。

シリコンバレーは罪悪感でいっぱい

脳の報酬系を効果的に刺激し、人々を依存させていくスマホをはじめとするデジタルデバイス。
これらを開発したエンジニアたちが、その危険性を認識していた点も、『スマホ脳』では指摘されています。

・スティーブ・ジョブズは、自分の子どもがiPadに触る時間を厳しく制限していた。
・ビル・ゲイツは、自分の子どもに14歳になるまでスマホを持たせなかった。

このように、IT業界の大物たちも、デジタルデバイスの危険性を認識し、それに即した行動を心掛けていたのです。

『スマホ脳』で紹介されていた事例以外でも、IT業界のトップエンジニアたちが「罪悪感でいっぱい」な例はあります。
ここでご紹介したいのが、ジェイク・ナップ、ジョン・ゼラツキーの『時間術大全―人生が本当に変わる「87の時間ワザ」』(ダイヤモンド社)という本です。

著者の2人はGoogleでの勤務経験があり、ジェイク・ナップはGmail、ジョン・ゼラツキーはYouTubeの開発、改良に携わった経験を持ちます。

タイトルの通り、この本は時間術に関する本ですが、時間を作り出す技術を紹介する中で、2人は自分たちが開発したアプリによって現代人の時間が奪われていることをあっさりと認め、それ故に自分たちの時間術には説得力があるのだと主張します。

情けないやつらだと思わないでほしい。世の中は気を散らすものだらけなのだ。
受信箱やネット、ポケットのなかのピカピカのスマホには、いつも何かしら新しい情報があり、見ずにいられない。
こんな世界では、意志力だけでは集中を保てない。僕らがこう言うのは、あなたが信用できないからでも、僕らの意志薄弱を正当化するためでもない。
僕らはあなたが立ち向かっているものの実態を知り尽くしているから言っているのだ。
前にも言ったとおり、僕らは「無限の泉」のなかでもとくに粘着性の高い、2つのアプリの開発に関わった。
気を散らす業界を内側から見てきたからこそ、なぜアプリにこんな抗しがたい魅力があるのかを知っているし、テクノロジーの使い方を見直して主導権を取り戻すためにはどうしたらいいかもわかっている。
(ジェイク・ナップ、ジョン・ゼラツキー、櫻井祐子訳『時間術大全―人生が本当に変わる「87の時間ワザ」』,p.106-107)

『時間術大全』で紹介されている「87の時間ワザ」のうち、直接関係あるものだけでも実に27の「時間ワザ」が、スマホなどのデジタルデバイスに関するものでした。
中には「ネットを「解約」する」という、身も蓋もない方法も紹介されています。

デジタルデバイスやアプリの開発に深く関わっている人ほど、その依存性を理解して、自分で対策をしているようです。

スマホ依存はおかしいことではない!

スマホ依存はおかしいことではない、というのが、ぼくが『スマホ脳』を読んで得られた気付きです。
暇さえあればついスマホに手を伸ばしてしまう自分はどこかおかしいのではないか、そう考えたことのある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

しかし、ハンセンによればそれはごく普通のことなのです。
なぜなら、私たちの脳は狩猟採集社会に最適化されて設計されており、デジタル社会に適応できるようには設計されていないからです。

『スマホ脳』では、スマホなどのデジタルデバイスだけでなく、うつや肥満、発達障害などの問題にも言及されています。
これらの問題に共通しているのは、「狩猟採集社会で生き延びるために脳に備わっている機能が、デジタル社会では逆に行動の足枷となる」ということです。

「脳はもともとスマホに依存する作りになっているんだ」と考えれば、スマホが手放せない自分を過度に責めることなく、適切な距離感での付き合い方を考えられるようになるのではないでしょうか。

※「有害メディア論」とは、ここでは「デジタルデバイスなどの情報流通に使われるメディア(媒体)によって、人間に有害な影響がもたらされるとする言説」という程度の意味で用いています。エログロなどの過激表現が人間に悪影響を与えている、という意味で用いられることもありますが、ここでは除外しています。







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