人生初のサイン@宇都宮

 先日、宇都宮で開催された『第6回東北復興応援ひろば』に出演させていただいた。

 数日前は雨の予報も出ていたが、当日は朝から青空も見え、終日晴れ。よかった、よかった。

 会場は宇都宮市内の中心地で、どデカイ鳥居が目印の「二荒山神社」のふもとの広場。パルコの前にこんな大きな神社があるなんて。さすが東照宮を抱える県だ。七五三の人たちで賑わっていた。

 私の出番は昼過ぎ。可愛いらしい少年少女合唱団とけっさくくん(谷本賢一郎さん)の間。それまでは出店しているHARRY CURRYを食べて過ごす。このカレーが、かなり美味しかった。インスタ映えするカレー屋さんとして有名みたいだ。

 そんなこんなで、いよいよ出番。司会の女性が『震災ジャンキー』をかなり読み込んでくださっていて感激した。途中からはお坊さんも混じって、ボランティアについて、私なりの考えを話させていただいた。

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「避難所に後から入った被災者が、前からいる被災者に気を使ってしまい、居候のように小さくなって生活し、堂々と物資も受け取れない」

「必要なものは特にない。戦争の時を思えば、何とかなる」

「こちらから物資を欲しいとはいわない。わしらは乞食じゃない」

「ぬいぐるみのように可愛くなくてもいいから、子供たちに寄り添ってくれる人が必要」

「芸能人の復興イベントは嬉しいけど、その分学校の授業が遅れて大変」

 などなど。司会の方からすると、いままで見聞きしてきた被災地のイメージとはかけ離れた内容がたくさんあったそうだ。
 例外もあるが、私が上記のような話を書くことができたのは、その方たちと1回限りの付き合いではなかったからだと思う。

「わしらは乞食じゃない」と言っていた方が震災から1年後に流した涙を見なければ、「ただただ感謝を知らない失礼な人だ」で終わっていただろう。
 1回限りではない関係性の中で、その言葉の意味や行動の意図することを知れたから、書くことができた。しかも私はライターとしての取材者ではなく、ボランティアという立場だったこともあって、少し変わった目線になっていたのかもしれない。その辺りは執筆のきっかけに書いている(『震災ジャンキー』を書いた理由)。
 拙著を読んで何かのイメージが変わったり、これまでなかった考えが浮かんだりしていたら、書き手としてこれほど嬉しいことはない。

 続いて日頃から人のために生きているようなイメージのあるお坊さんとは、ボランティアの心構えみたいなことが話題となった。 

 この冬にソーラークッカーを背負って、マイナス40度のヒマラヤの氷と雪の中を3週間も歩いたという話を茂木健一郎さんとの対談でしたのだが、ものすごい非効率なことやっている私の姿勢が、面白かったようだ。このラダックでの珍道中はぜひ本にしたいと思っている。震災ジャンキーより面白い話になると確信しているので、誰か書かせてくれないだろうか。

 さておき、私は利己的な人間なので、「好きなことじゃないと続けられない」、「他人に自分を捧げるとか絶対に嫌」と断言していたので、多分ものすごいワガママな人間だと思われただろう。

 ボランティアだろうが、慈善事業や社会貢献だろうが、やっぱり「楽しい」とか「面白い」とか思えなければ続けられない。「意義がある!」だけで続けられるほど、我慢強い人間はそんなに多くないと思うのだ。
 私の場合は、好きとか面白いを優先しすぎているので、活動としての効率というかコスパみたいなのは悪いと思う。しょうがない。そこを逆にすると、多分続かない。ツラくて潰れてしまう。
 飯食う度に寄付しろって言われたらお断りだが、年1回くらいだったら今回のようなチャリティイベントでカレー食べてもいいかなという感じ。要はバランスが重要なのだと思う。

 といった内容を風に吹かれながら話した。
 聴衆の大半の方は、私の後の”けっさくくん”のライブ目当てだと思うが、少しでも何か「へー」みたいなことが伝わったら嬉しいし、さらに言えば本が売れて。。。と思っていたら、なんと売れた!! 持参した冊数の半分も売れたのだ。1冊でも売れれば上出来と思っていたので、マイアミならぬ宇都宮の奇跡だ。年末にして、今年一番嬉しかった出来事かもしれない。

 さらに「サイン、、、いただけます?」という奇特な方までいらっしゃった! あまりに意外で「え、私のですか?」と聞き返してしまった。

 これまで本を買ってくれた友人知人から面白半分に「サインしてよ(笑)」と頼まれて書いたことはあったが、まったく存じあげない方にお願いされたのは初めて。つまり事実上の「生まれてはじめてのサイン」となった。

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 プルプルしながら、サインした。字は苦手だ。まったくじっちゃんの血を受け継いでいない

 書き終えて本を手渡しながら、「ブックオフとかメルカリで売れなくなっちゃうな」と思った。私は臆病なので、すぐ自分を卑下するところがある。
「そういうのヤメた方がいいよ、ホントに」と人生の先輩からもたまに言われることがあるのだが、自分でもヤメた方がいいと思っている。

 サインの余韻が冷めるとなぜだか急に「本を買ってくださった方のために、もっとちゃんとしないとダメだ」と青臭い思いがこみ上げてきた。バカみたいだが、「あの人が私のサインを自慢できるようにならなきゃダメだ」と思ってしまったのだ。

 あの方たちもサインもらったことなんてそのうち忘れてしまうかもしれないが、私が今日話したことに何かを感じ、興味を持ってくださったのは間違いないわけだ。だから、安くない本を買ってまでくださったのだ。
 別に大人物とか有名人になる必要はないが、私の本を読んでくださった方に「なーんだ、あーなんか残念だわ」と思われる人生を歩んではダメだと思う。じゃなきゃ今回イベントを主催し、声をかけてくださった天台仏教青年会の方や私を推薦してくれた友人を裏切ることになる。すごい熱くなってきた!

 それはボランティアをもっとやるとかではないと思う。なんというか「正直に生きる」みたいなことだと思う。違うかな。いや、そうだと思う。自分を卑下して逃げ道つくって、その場凌ぎのような人生じゃダメなのだ。

 大袈裟かもしれないが、サインを書いたらそんなことが頭をよぎった。自己愛、強すぎだろうか。

 そんな中、けっさくくんこと谷本賢一郎さんが一緒に写真を撮ってくれた。

「娘とフックブックローめっちゃ観てました」

「えーほんとですか。嬉しいなー」

 2、3歳の子を持つ親の半分は観てただろう。番組が終わっても、「けっさくくん」と呼ばれてしまうことに複雑な思いもありそうだが、素晴らしいライブパフォーマンスだった。
 ライブ後には各ブースを一つ一つ回り、挨拶しながらサインや写真に応え、自腹で品物を購入していた。そして私の本まで買ってくださった!! けっさくくんのキャラクターそのまんま、なんていい人なんだ。いやいい人だから、けっさくくんみたいな仕事が来るのだろう。
 私もお返しにCDを買うべきだったかなと帰りの電車で反省したが、よく考えたらCDプレイヤーがない。別の恩返しを考えよう。

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 売れた本のスペースには、宇都宮在住の友達からもらったお土産。
 なんだろう、これ。飾る、、、でいいのかな。
 その友人とは、『震災ジャンキー』の冒頭に出てくるスリランカ大洪水の緊急支援に一緒に行った方。私がNGOをやめる時、送別会で彼女から「絶対いつか本書いてくださいよ。約束ですからね」と言われた。彼女は忘れてしまったそうなのだが、私はずっと覚えていて、執筆中もう大変だから諦めようかなと思う度に、彼女との約束を思い出し、折れそうな心を奮い立たせていた。呑み会での何気ない言葉なのに、なぜか妙に心の支えになっていた。
 その意味でも彼女には大変感謝している。なので、数年ぶりの再会は本当に嬉しかった。

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